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「あくてえ」書評 本を閉じても耳に残る不協和音

評者: 金原ひとみ / 朝⽇新聞掲載:2022年09月24日
あくてえ 著者:山下 紘加 出版社:河出書房新社 ジャンル:小説

ISBN: 9784309030630
発売⽇: 2022/07/19
サイズ: 20cm/174p

「あくてえ」 [著]山下紘加

 主人公、ゆめは十九歳の小説家志望で、文芸誌に小説を投稿しながら派遣社員として働き、家計を支えている。家族は母親のきいちゃんと、九十歳の父方の祖母、ばばあ。
 きいちゃんは人が良く、父親がよそに家庭を作り出て行った後も献身的にばばあの介護を続けているが、ゆめは不潔で自分勝手なばばあの一挙一動が許せず、顔を合わせればあくてえ(悪態)の言い合いとなり、きいちゃんに対してもなぜそこまでしてやるのかと解せない思いでいる。しかしきいちゃんはばばあに対して、体が弱かった幼いゆめの育児を手伝うため故郷から上京してもらったという恩義を感じているのだ。
 刺々(とげとげ)しいゆめと図々(ずうずう)しいばばあの罵(ののし)り合いは、もはや現代人が忘れかけている加虐と被虐の快感すら思い出させる。もっとやれ、と格闘技を見ているかのようなアドレナリンが出るが、これが現代社会の最小単位の共同体で起こっている現実だと突きつけられる痛みも同時に湧き上がる。
 時折父親が現れるが、笑顔で全てをぶち壊していくモラハラ男で、ゆめの彼氏も悪い人ではないが頼りない。歪(いびつ)な三つのピースはどうやっても収まりきらない。ぎちぎちな部分とスカスカな部分がアンバランスな家庭は、体を壊し、耄碌(もうろく)していくばばあにより決定的に破綻(はたん)していく。
 許せないもの、耐え難いものを直視し続け、己の中の卑しい欲望と感情を搔(か)き乱されるような読書の中で、それでも何かしらの救いがこの三人に、ゆめだけにでも訪れますようにという願いを抱かずにはいられないが、その願いこそがまさに彼らに届かない欺瞞(ぎまん)だと嘲笑(あざわら)われるような気分で本を閉じることとなった。
 ばばあの聞き取りにくいぐずる声が、ゆめの怒鳴り声が、今も心の中でリフレインし続けている。本書は読者の心にどこまでも続く不協和音のこだまを残し、終わらない小説となったと言えるだろう。
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やました・ひろか 1994年生まれ。作家。2015年、『ドール』で文芸賞を受けデビュー。著書に『クロス』など。