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「戦前日本の私娼・性風俗産業と大衆社会」書評 「外側」に位置づけず歴史を考察

評者: 藤野裕子 / 朝⽇新聞掲載:2023年03月11日
戦前日本の私娼・性風俗産業と大衆社会 売買春・恋愛の近現代史 著者:寺澤 優 出版社:有志舎 ジャンル:社会・時事

ISBN: 9784908672613
発売⽇: 2022/12/30
サイズ: 22cm/311,4p

「戦前日本の私娼・性風俗産業と大衆社会」 [著]寺澤優

 100年前に起きた関東大震災を機に、日本の性風俗産業は大きく変化したと聞くと、驚くかもしれない。遊郭以外の形態の性産業が急速に発展した。本書はその実態を掘り起こし、当時の社会の何を映し出していたのかを考える。
 戦前、遊郭で働く娼妓(しょうぎ)は「公娼」と呼ばれ、性病検査の義務化や就労年齢の制限など、一定の条件のもとで国家が公認していた。一方、非公認で性売買を行う芸妓や銘酒屋の酌婦などは「私娼」と呼ばれた。
 大正・昭和初期、安価さと簡潔さを売りに銘酒屋街が繁栄し、私娼の数が娼妓の数を大幅に上回った。震災後の市街地整備にともない、警察は浅草の銘酒屋街を強制的に排除したが、性病予防の徹底など公娼と同質の基準を遵守(じゅんしゅ)させ、玉ノ井・亀戸での営業を黙認した。こうして私娼は「準公娼」として再編されていく。
 1930年代にはさらなる変化が訪れる。恐慌が相次ぐ一方、都市にはエロ・グロ・ナンセンスの享楽的な空気が流れた。加えて、「自由恋愛」に価値を置く風潮が高まり、男性は性産業にも「疑似恋愛」を求めた。そこで流行したのがカフェーだ。震災後の東京で、その数は4倍にも増加し、遊郭・花街を凌駕(りょうが)した。西洋風のモダンな店内で、女給と男性客とが交流し、チップを介して性的なサービスが行われた。客にとっては花柳界の伝統に縛られない点で、働く側にとっては身売りによる前借金がない点で、カフェーには「自由」さが感じられたという。
 戦前の性風俗産業の移り変わりには、景気変動のほか、大衆社会の登場や自由恋愛の風潮が鮮明に現れていた。人々は新しい価値のもと、新たな性風俗を形づくった。著者は現代の性売買をめぐる議論には踏み込まない。だが、性風俗を社会の外側に位置づけず、「社会的な人々の営み」の中で捉え直す本書の試みは、政府が性風俗産業を経済対象から除外する現代の日本を省みるうえでも示唆深い。
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てらざわ・ゆう 立命館大専門研究員(日本近代史)。論文に「1930年代のカフェーにみる性風俗産業界」など。