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「羊と日本人」書評 国家・戦争と連動した牧畜事業

評者: 藤野裕子 / 朝⽇新聞掲載:2023年06月17日
羊と日本人 波乱に満ちたもう一つの近現代史 著者:山本 佳典 出版社:彩流社 ジャンル:技術・工学・農学

ISBN: 9784779128639
発売⽇: 2023/03/28
サイズ: 19cm/401p

「羊と日本人」 [著]山本佳典

 村上春樹の初期作品『羊をめぐる冒険』を想起する人も多いだろう。小説に登場する羊博士は、若き頃農林官僚として満州に渡り、洞窟で羊に取り憑(つ)かれた。
 憑依(ひょうい)こそないが、本書にも羊に人生を捧げた人物が数多く登場する。欧米で牧羊を視察した農林省の技師は、建国直後の満州国で緬羊(めんよう)改良計画に関わったという。民間人でも、渡米中に羊に魅了され、十勝で牧場を開いた後、朝鮮や内モンゴルに渡った人がいる。
 著者はこうした群像を時系列に配置して、羊をめぐる近代日本史を描いた。そこから見えてくるのは、日本の牧羊事業と国家・戦争との密接な関わりだ。
 明治政府は直営事業として、千葉県に牧羊場を造った。のちに、三里塚地区を含む下総御料牧場となる。だが事業は容易に根付かなかった。19世紀末の日本で飼育された羊の数は2400頭、自給率は1.6%に過ぎない。羊は繊細な動物で、疥癬(かいせん)などの病気や寄生虫によってダメージを受けやすく、飼育は簡単ではなかった。事業を興すにも、海外から羊を大量に輸入する費用がかかる。国による支援が不可欠だ。
 日露戦争以降、日本の牧羊事業の舞台は外地に向かった。中国東北部・朝鮮に牧羊場を設けたのだ。大正期には「緬羊百万頭増殖計画」が打ち出され、両地に加え、台湾・南樺太などでも羊の牧畜が試みられた。
 満州事変後、現地の人びとの抵抗に遭いながらも、牧羊は満蒙開拓の一環として進められた。満州国の牧場建設に携わった日本人の思想に、他民族への優越感を著者は見て取る。
 下総御料牧場が閉鎖されたのは、1969年。成田空港の建設を受けてのことだ。「明治大帝偉業達成」の地として牧場の存続を訴える運動の様子を本書は伝える。ここには、牧羊が天皇制国家と連動して展開したことが象徴的に表れていよう。羊から国―個人―時代を見通した、読み応えある文化史だ。
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やまもと・けいすけ 1981年生まれ。専門誌記者などを経て、フリーランスで執筆・翻訳業を始めた。