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「タスマニア」書評 世界の終わりと他者への想像力

評者: 小澤英実 / 朝⽇新聞掲載:2024年03月23日
タスマニア 著者:パオロ・ジョルダーノ 出版社:早川書房 ジャンル:欧米の小説・文学

ISBN: 9784152102980
発売⽇: 2024/01/10
サイズ: 20cm/357p

「タスマニア」 [著]パオロ・ジョルダーノ

 現実逃避は悪いものと思われがちだが、世界は案外、つらいことを忘れるためにとる行動の恩恵に支えられているのかもしれない。本作はそんな逃避の効用がよくわかる、ある作家の個人的かつ切実な物語だ。
 前作『コロナの時代の僕ら』が日本でも話題になった作者による自伝的小説。2015年から現在まで、欧州各地で頻発したイスラム過激派によるテロや#MeToo運動の隆盛といった社会情勢の変化を肌身で感じる彼自身の日々の生活が、色濃く投影されている。気候変動や核の脅威、人類滅亡のタイムリミットが刻々と迫る世界で、作家の「僕」は不妊をめぐり妻とすれ違い、「子どもができず、未来をもぎ取られた」絶望に苦しんでいる。自己の問題から目を背けるかのように、彼は仕事と称して各地を転々とし、ある登場人物によれば「七十年前に日本で起きた、今じゃ誰も関心がない」原爆についての本を書きあぐねている。淡々とした日常の記録のようでいて、グローバルとローカル、「世界の終わり」(大きな物語)と「自分の終わり」(小さな物語)が交錯し融和する緻密(ちみつ)な計算のストーリーテリングに惹(ひ)き込まれる。
 表題のタスマニアとは、「世界の終わりが来たらどこに逃げるか」と訊(き)かれた気象学者が出した、科学的見地に基づく答えだ。「ここではないどこか」を人はつねに夢想してきたが、本作の問いはより現実だ。タスマニアは人類が辿(たど)り着いてはならない、逆説的な理想郷なのだ。
 物語の終わりに、「僕」は広島と長崎の慰霊式を取材しに日本を訪れる。原爆の記録と記憶、被爆者やその家族との交流についての語りは、感傷的で拙(つたな)くもみえる。だがそんな語りだからこそ、人はこんなふうに、自分とはまるで無縁な遠い他者の痛みを想像し、思いやることができると信じられる。それは世界の終わりの到来を先送りするために不可欠な想像力だ。
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Paolo Giordano  1982年生まれ。イタリアの小説家。著書に『天に焦がれて』『素数たちの孤独』など。