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「カレー移民の謎」室橋裕和さんインタビュー なぜインドカレーの店にネパール人経営が多いのか?

室橋裕和さん=斎藤大輔撮影

「インネパ」の謎を調べてみたら

――インドカレーの店は全国に4000~5000軒あると書いていますが、確かにちょっと地方に行っても、ネパールの国旗が掲げてある「インドカレー」の店がありますよね。なぜインドカレーと言いながらネパールの国旗があるのか、私も気になってました。

 気になっていた方は多いようで、発売後2週間ちょっとで重版がかかったし、SNSのリプライやDMは今まで出した本の中で一番多かった。今までの私の本は在日外国人に焦点を当ててきましたが、彼らに興味はなくてもネパール人が働くインドカレー屋は気になってたよねって人が、今回は手に取ってくれているのだと思います。

日本のインドカレー店ではもはや定番の、バターチキンカレーとナンのセット(取材協力:「カルカ」)

――企画が通ったのは2021年の1月と「あとがき」にありましたが、何がきっかけで取材してみようと?

 「インネパ」と呼ばれるネパール人が働くインドカレー店のことが前々から気になっていて。断片的な話を耳にすることはあったのですが、どこまで本当か分からないような話がネット上に溢れていたりしていて、本当のところはどうなんだろうとずっと思ってました。

 それである時、在日外国人が多く通っている夜間中学の取材をするうちに、生徒の一人でネパール人の少年と知りあったんです。来日当初は日本語が全然わからなくて、社会に馴染めなくて。人生に迷っていた時に夜間中学に行って、そこで救われたって言ったんです。その彼の父親がカレー屋をしていて、「カレー屋の子どもたちっていうのは、いろいろなものを抱えてるんですよ」みたいなことをつぶやいたのが、すごく心に残ったんです。「僕はカレー屋の子どもなんです」みたいな、どこか切ない感じだったのが印象に残って。

 日本に住むネパール人たちのことを調べていくと、子どもの教育の問題だとか言葉の問題だとかも浮かび上がってきたし、そもそもなんでインネパカレーの店が増えたのかとか、硬軟両面から取材をしたら面白いだろうなと。それで企画を考えたという流れです。

「失敗したくない」からバターチキン

――最初に訪ねたのは「ルポ新大久保」にも登場する、ネパール語新聞「ネパリ・サマチャー」発行人で在日ネパール人のお父さん的存在、ティラク・マッラさんですね。

 まずは概略を知りたかったので、日本に住んで何十年も経つ方や、ネパール人とビジネスをしている日本人を訪ねて、アウトラインを知るところから始めていきました。ティラク・マッラさん自身もかつてカレー屋をやっていたことがあるし、ほかのネパール人を紹介してもらったりして。あとはもう自分で直接、歴史がありそうなお店を訪ねて、カレーを注文しがてら話を聞いたり。東京だけではなく名古屋でも岐阜でも大阪でも、話を聞いてはカレーを食べ、カレーを食べては話を聞き……みたいなことを繰り返してました。

――最近は値上がりしましたが、たいていランチは1000円以下でカレーとサラダとドリンクがついていて、ライスかナンはお代わり自由ですよね。そのルーツには中村屋やナイル、モティといった老舗があり、そこで技術を覚えて「じゃあ自分も」と店を開く。さらに独立した人たちのもとで働いた人たちによって、コピペ状態でどんどん店が増えていったというのは衝撃的でした。だからどこの店でも、看板メニューはバターチキンカレーという。

 僕もはじめは意外に思ったんですけど、やっぱり、冒険して失敗するのが怖い。移民がよその国に働きに行くこと自体が大冒険なので、失敗できないという気持ちはすごく強い。だからネパール人がふだん食べているものではなく、「こういう味つけやメニューが日本人に好まれるはず」という、いわば王道を狙うんです。

 「モモ」と呼ばれる餃子とか、ご飯にダルという豆の汁をかけて、野菜のスパイス煮と高菜の漬物を合わせる素朴なネパール料理は、実は日本人の食文化と相性がいいと思うんですよ。実際それが好きな日本人もいますし、そういうメニューを置く店も増えていますが、でもやっぱり思い込みとか決めつけみたいなものから逃れられず、コピペ的な王道メニューを出す店もたくさんあります。一歩踏み出さないとダメだとわかっている人も、最近は増えていますが。

取材に協力してくれた東京・関口のインド料理店「カルカ」。室橋さんの行きつけの店でもある

日本に続くインド・ネパール・英国の三国史

――インドカレー店で働く人の多くが、カトマンズから200キロ近く離れたバグルンという山に囲まれた地域出身とありました。聞けばここの店主のカルカ・ラム・バハドゥルさんもバグルン出身だそうで、店の壁にもバグルンの風景が描かれています。段々畑が続く山岳地帯のようですが、なぜバグルン出身者が多いのでしょうか?

 理由のひとつとして、かつてネパールにあったゴルカ王国とイギリスとの対立の歴史があると思います。この時に闘ったゴルカ出身の兵士たちは屈強で勇敢だったので、イギリス兵にスカウトされました。彼らはイギリスの植民地で先兵として働いてきたことから、海外で働くことが身近でした。そのゴルカ兵の多くが、バグルン出身なんです。

 あとはネパール人とインド人はビザもパスポートも要らずにお互いの国で働くことができたので、バグルンの人は一番近い隣国で経済的に繁栄しているインドに行くケースが多かった。インド人オーナーが日本に進出する際に、店で働いていたネパール人に「一緒に来い」と声をかけることが多かったようです。そこからどんどん、バグルンからの日本への出稼ぎが増えていったんです。

――中には日本の生活からは想像できないほどの、伝統的な暮らしの家庭もあったとか。

 まさに異世界でしたね。あんな山奥から、距離的にも文化的にも遠い日本に来てるんだと思ったら、すごく感慨深かった。取材していろんな物語を積み重ねてきて、それで遠い遠いバグルンに向かったことで、自分の中の物語がある種の終焉を迎えたというか。バグルンでインネパの世界を知ることができた実感を得たので、そんな僕の思いが少しでも伝わればいいなというか、読みながら一緒に体験してもらえたら嬉しいなと思います。

日本に定着したネパール人によって進化を遂げたインド料理。明太子ナン(奥)と、あんこナン

やっとの思いで日本に来たけれど…

――でもやっとの思いで日本に来たのに、同胞から騙されてしまう人もいるんですね。

 同胞をだますことにあまりためらいがないのが見えた時は、ちょっと怖かったですね。話を聞いたカレー屋店主の中にも、取材したときはすごく紳士的で優しげだったのに、あとで別のネパール人コックから「実はあの人にめちゃくちゃ搾取されてた」っていう声を耳にすることがありました。そこまで酷くなくても、ネパール人のカレービジネス社会には全体をとりまとめるコンサル的な人はいないのですが、店を借り上げて内装を整えて引き渡すビジネスをしてる人や、ビザのアレンジをする日本人の行政書士を紹介する人はいます。彼らは仲介が仕事なのでお金を取ります。でも直接話を聞くと「誰からもお金取ってないよ」みたいなこと言うんです。ビジネスだからお金をもらうのは当たり前ですが、結構な金額を取ったりすることもあって。誰を信じていいのかわからなくなることもありました。

 でもそういう「なんとしても稼ごう」みたいな、もう日本人があまり持っていない気持ちはえげつなく見えてしまうこともあるかもしれないけど、高度経済成長期や戦後の復興期の日本も、同じような感じだったのかもしれないなんて思うこともありましたね。

――店が忙しかったり、親も日本語がおぼつかなかったりして、子どもの教育に関心が向かない家庭もあることに触れていましたね。

 ネパールの人は、子どもと一緒に日本に来る家庭が、ほかの国の人たちよりもずっと多いんです。子どもの教育を真剣に考えている親御さんも多いけれど、残念ながらそうじゃない人たちも結構いて。日本人と違って外国人は義務教育の対象外なので、日本人だったら学校側や自治体が不就学の家庭にアプローチしますが、外国人の子どもはその限りではありません。教育を受けないから日本語がわからない。日本語がわからないから孤立して荒れる。そういう子どもが今後増えていく可能性があります。

 子どもの将来を考えたら、無理に連れて来ない方が幸せな家族もあるかもしれないので、そこは考えて欲しい。日本語でもネパール語でもいいけれど、何語を自分の心の芯にするのか、何語で考え、何語で夢を見るのか。それをしっかり決めないとどの言葉もおぼつかなくなり、自分の気持ちを表現できなくなる。そうなると当然、その子は荒れます。ネパール人社会だけではおさまらず、ひいては日本社会全体にとってもリスクになります。

 日本政府の基本的なスタンスは、出稼ぎで来ている外国人は移民ではなく、3年とか5年とか、場合によっては1年しかない在留資格を更新している短期滞在者という扱いです。だからそんな人たちへの長期的な対応を考えていないという現状がありますよね。

身近に感じて、知って欲しい

――どういう人たちが作っているのかということにちょっと気持ちを寄せると、より美味しく食べられる気がします。だから「インドカレー屋って安くて美味しいよね」で終わりにしないで欲しいなと、私もすごく思います。

 「外国人とか多文化共生とかにはとくに興味はない。でもカレーが好きで、今日のランチはカレーにしようか蕎麦にしようか」みたいなノリでふだんから食べている人たちに、読んでもらいたいと思います。

 残念ながらダークな部分もある業界ですけど、外国に来てレストランを作ってそこで働いて、その国の言葉でお客さんを出迎えて子どもたちを学校に通わせてっていうのは、やっぱりすごい大変なことなわけですよ。みんな愛想よくしているけれど、苦労している人はとても多い。野心が強いからめちゃくちゃ勉強する人もいるし、逆に全然ダメな人もいたりする。つまり、日本人と変わらないわけなんですよ。そこを知って欲しいというか、身近に感じて欲しいというか。

――ここまで取材を続けると、もう日本のネパール人社会についてはどんと来いという感じですか?

 偉そうなこと言ってきたけれど、実は隣に住んでいるネパール人とは挨拶ぐらいしかできていないので、まずはその人と親しくなることから始めなければと思ってます。挨拶からもう少し踏み込んで、ぜひ家に呼んでいただきネパールの家庭料理をふるまってもらえたら。そんな野望を持ってるんですよね(笑)。

【好書好日の記事から】

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