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「忘れられない日本人」書評 文化遺産をどう次代に託するか

評者: 保阪正康 / 朝⽇新聞掲載:2024年04月27日
忘れられない日本人 民話を語る人たち 著者:小野和子 出版社:PUMPQUAKES ジャンル:ジャンル別

ISBN: 9784991131011
発売⽇: 2024/03/10
サイズ: 14.2×21cm/314p

「忘れられない日本人」 [著]小野和子

 主に農村共同体に伝わる民話は、日本人の心理構造や生活習慣の深部を映し出す貴重な口承文芸である。この50年余、仙台にあって東北地方の農村に入り、民話を収集してきた在野の研究者が、思い出に残る語り部8人をスケッチ風に描いた。
 民話はいかなる状況下で伝承されていくのか、こうした文化遺産をどう次代に託するか、の課題も浮上する。
 著者によれば、民話はただ聞かせるのではなく、語る人の内部で「醸され、それが枯れるとき」に「もっとも光を放つ」と語り部の一人が漏らしたという。
 ある農村の女性は、祖母から多くの民話を聞いて育った。その女性が別れ際に「もうひとつあんのす」と意を決し、「むがす、あったづぉんなす」と語り始める。昔、こんな話があったというのは大体、民話の出だしである。山奥の一軒家で老夫婦が毬(まり)つきをしている。柴グルミが「熟(う)んでこぼれて拾われて 売られて買われて食べられた」と歌いながら。かつて貧しさのため子どもを売ったのだ。老夫婦はその行く末を思い、責め続ける。
 ほかにも貧困ゆえの残酷な話が紹介される。幼い姉妹が山に捨てられるが、可愛がっていた猫に助けられる。金を川に落としたが、大切に育てた捨て犬が、川から鯉(こい)をくわえてきた。鯉の腹にその金があった。
 こうした民話にふれると、正直に生きるといいことがある、強欲な生き方は必ず見放される、生き物を慈しむのは大切、というモラルが軸だと気がつく。庶民は真面目な生き方に報いがあり、社会悪には罰が下されると信じていたいのである。
 共同体に伝わる民話の教訓は、昭和の戦争理念と必ずしも合致しない。息子への赤紙(召集令状)を焼却したというエピソードは、民話を繫(つな)いできた明治前半生まれの女性には、赤紙は不吉だったことを示す。民話が伝承されなくなった現代、教訓継承の精神と手法を著者から学びたい。
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おの・かずこ 1934年生まれ。民話採訪者。「みやぎ民話の会」顧問。著書に『あいたくて ききたくて 旅にでる』。