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煙滅 [著]ジョルジュ・ペレック

[評者]奥泉光(作家)

[掲載]2010年02月28日

[ジャンル]文芸

表紙画像

■特定の文字の不在が導く「物語」

 これはとんでもない本である。どうとんでもないのかといえば、一九六九年に発表された仏語の原作は、三百頁(ページ)を超える長さがありながら、「e」の文字を一度も使っていないのである! いわゆるリポグラム(文字落とし)というやつなのだが、仏語において「e」は最も出現頻度の高い文字であり、この制約は、日本語でいえば、「い」段の仮名「い、き、し、ち、に、ひ、み、り、ゐ」を、「い」段の音が入っている漢字を含め一回も使わないで書くのと同じくらいの困難をもたらす。とても可能とは思えない。だが、現に、そのとんでもない作品は存在するのだ。そして、本訳書『煙滅』は、右の「い」段抜きの制約を訳文に課すという形で、原作に倍するとんでもなさを素晴らしく実現している。
 そんなことをしてなんの意味があるの? と問うのは、小説を読んだり書いたりすることにどんな意味があるのかと問うのと同じである。つまり、そういうことをするものこそが小説なのだ。素朴にいっても、小説は言葉のアートなのであり、だからそういうことをする意味が分からないという人は、小説ではなく、「癒やしの物語」とか「いい話」とかを求めているにすぎない可能性がある。
 もちろん大抵の小説には「物語」がある。けれども、あらかじめ心に抱かれた「物語」を言葉で的確に書き表すのが小説ではない。むしろ言葉の方が「物語」を変容させ、産み出していくところに、小説の小説たるゆえんはある。その意味で、特定の文字の不在が、ミステリーふうの「物語」を律し主導していく本作品は、きわめて小説らしい小説であると、逆説でもなんでもなく、いいうるだろう。
 本の末尾にはかなり長い「訳者あとがき」がある。訳者の苦労には頭が下がるが、そんなことより、これ自体が優れた翻訳論、小説論になりえている点を指摘したい。本書を繙(ひもと)く人には最初にこれを読むことを勧める。いわゆる「ねたばれ」になるが、ばれた「ねた」を繰り返し楽しめることこそ、優れたミステリーの資格である。
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 塩塚秀一郎訳、水声社・3360円/Georges Perec 36〜82年。フランスの作家。『美術愛好家の陳列室』など。

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