書評・最新書評

笑う親鸞―楽しい念仏、歌う説教 [著]伊東乾

[評者]中島岳志(北海道大学准教授・南アジア地域研究、政治思想史)

[掲載]2012年08月12日

[ジャンル]人文

表紙画像

■意味超えて心に届く声、響き

 自力の限界を説き、直接、民衆に語りかけた親鸞。彼は自らを「愚禿(ぐとく)」と称し、人々と同じ目線に立った。
 「愚かなハゲ」と自分のことを言える親鸞は、きっと面白い話し方をしたに違いない——。そう考えた著者は、念仏や和讃(わさん)、説教を追いかける旅に出た。
 著者が関心を持ったのは「節談説教(ふしだんせっきょう)」。僧侶がお寺で行う説教だが、堂内が爆笑の渦に包まれる。そして、漫談が佳境に入ると、突然その語りに「節」がつく。親鸞の教えの本質が、独特の節回しで語られるのだ。
 笑い話で楽しませ、人情話でホロリと泣かせ、信仰の本質が「節をかけ」て語られる。そんな節談説教を行う僧侶は、みんな魅力的な人物だ。よく笑い、よく笑わせる彼らの姿を通じて、著者は「笑う親鸞」というイメージを固めていく。
 浄土真宗は、独特の説教の世界を構築してきた。僧侶たちが目の前にした民衆は、文字を読むことがおぼつかない人々だった。そこでは経典の意味を説くことよりも、声の調子や歌の雰囲気から布教が始まった。信仰は観念としてだけでなく、場として存在する。お寺での儀礼は、エンターテインメント性を伴いながら、人々の救いの場となってきたのだ。
 言葉の意味を超えて心に届く「声」や「響き」。西洋音楽の演奏と作曲を本業とする著者は、一人の住職から「合唱曲を作ってほしい」という依頼を受ける。彼は「笑い」と「楽」のある新しい法要を作るべくプロジェクトをスタートさせた。その過程で発見したのは、伝統的な木造のお寺が、木製のヴァイオリンと同様の響きを増幅させる仕掛けになっていることだった。
 真宗説法の「音」の世界から、等身大の親鸞を想起するプロセスは圧巻だ。目を閉じると、肖像画に描かれた仏頂面の親鸞が、笑顔に変わっていた。
    ◇
 河出書房新社・2100円/いとう・けん 65年生まれ。作曲家・指揮者。著書に『さよなら、サイレント・ネイビー』など。

関連記事

ページトップへ戻る