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財務省と政治―「最強官庁」の虚像と実像 [著]清水真人

[評者]諸富徹(京都大学教授・経済学)

[掲載]2015年11月08日

[ジャンル]政治 社会 新書

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■官→政 「力」の移行と銀行救済

 古代律令制以来の「大蔵省」の金看板を、省庁再編で2001年に降ろした「財務省」。なぜこの省は、長らく「最強官庁」であり続けたのか。あらゆる政策は、予算の裏づけがなければ「形」にならないからだ。したがって政治は、予算の立案、調整、執行のすべてで、財務省の協力を仰がなければならない。彼らは、予算編成を通じてあらゆる政策に関与し、官邸、霞が関、永田町の要所に人材を配置、情報網を張り巡らせる。情報は「力」であり、それを握る者が優位に立つ。
 90年代の政権交代でも、経験の浅い細川連立政権の予算編成を助け、政策実現の道筋をつけたのは大蔵省だった。それが自民党の怨念を生み、日銀の独立性強化や金融検査・監督機能の分離(「金融監督庁」の成立)など、大蔵省解体につながったのは皮肉だ。
 日本の不良債権処理がかくも長きにわたったのは、大蔵省に責めを帰すべきか、それとも統治構造の問題か。本書は、当時の「改革」至上主義の下、不透明な銀行救済が排除される過程を描く。その象徴が、1998年の長銀・日債銀破綻(はたん)だった。大蔵省から独立した金融監督庁が、自らの独立性の証しとして、大蔵省の嫌がる両行破綻を強行した、との説明は興味深い。
 だが結果として、破綻認定なしに公的資金を投入できなくなり、問題銀行への予防的な公的資金注入が難しくなった。それが可能になったのは、小泉政権による2003年の「りそな銀行」処理であった。これを市場は好感、ようやく株価は上昇に転じた。
 本書は、首相主導型権力の確立を目指す「統治構造改革」が、「政」と「官」の関係を変え、「政」優位に傾かせたと結論づける。消費増税延期、軽減税率導入など、たしかに最近、財務省が官邸に押し切られる場面が相次ぐ。これは著者の主張を裏づけ、「最強官庁」の落日を意味するのか。興味は尽きない。
    ◇
 中公新書・950円/しみず・まさと 64年生まれ。日本経済新聞で政治部、経済部などを経て経済解説部編集委員。



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