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私がアルビノについて調べ考えて書いた本―当事者から始める社会学 [著]矢吹康夫

[評者]椹木野衣 (美術評論家)

[掲載]2018年01月07日

[ジャンル]社会 ノンフィクション・評伝

表紙画像

■マイナーな語り、多様な受け皿

 昨年、大阪の高校で、生まれつき茶色い髪の黒染めを教諭らから何度も強要されたとして、在校の女子生徒が健康被害と精神的な苦痛から訴訟を起こしたのは記憶に新しい。なぜ、そこまでして黒い髪を優先するのだろう。美意識の強要は、人権の侵害のうち最も悪質なもののひとつではないか。
 ならば、生まれつきメラニン色素をつくることができないアルビノ(白皮症)の当事者たちが、余儀なくされてきた難局も想像がつく。事実、著者自身も小学校の時、母親に髪を染められている。また髪の色を理由に接客業への就業を門前払いされ、工場でさえ「衛生上の問題」で断られている。「外人」との揶揄(やゆ)は数え切れない。
 にもかかわらず、著者がアルビノについて調べ始めた2000年代初頭には、ネットで検索しても「出てくるのは熱帯魚とは虫類とげっ歯類ばかり」で「人間のアルビノが存在するなんてとても思えない」状態だったらしい。重篤な身体機能の欠損を伴わない障害のため、逆に認知や対応が遅れていたのだ。
 障害者をめぐる新たな法整備で、これらの問題は解決のための糸口を得た。だが同時に著者は、そのことでアルビノの当事者たちが、障害者に特有の「苦難から克服へ」といった抑圧に働く「モデル・ストーリー」へと回収されるのを懸念する。これに対して本書では、丹念な聞き取りによる13人の「ライフ・ストーリー」が対置される。それは「できるように強いる社会」を動揺させる「マイナーな語り」であり「戦略」でもありうる。
 私は「難局も想像がつく」と書いた。だが、それも先入見の一種なのだ。アルビノである前に誰もが別の人生を生きている。本当に必要なのは「モデル・ストーリーを体現できずにこぼれ落ち」「見上げるしかできない」人たちのための、様々な色合いを持つ別の「受け皿」かもしれない。本書はそのための扉を開く。
    ◇
 やぶき・やすお 79年生まれ。立教大助教(社会学)。共著に『排除と差別の社会学(新版)』ほか。

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