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ギリシア人の物語(1)〜(3) [著]塩野七生

[評者]山室恭子(東工大教授)

[掲載]2018年02月11日

[ジャンル]歴史

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■西と東をぐぐっと引き寄せる

 我が名はアレクサンドロス。
 オリンポスの裏側、小国マケドニアの王から身を起こし、大ペルシアを制した者である。
 苦楽をともにした兵士たちに引き留められ、インダス河より東に征(ゆ)くことはかなわなかったが、なんとそのはるか東方より、我が生涯を描いた女性歴史家が現れたと聞き及び、好奇の心に動かされて、2300年の眠りから、いっとき覚醒した。
 イッソス、ガウガメラ、ヒダスペス。戦場を一つ一つ再訪する。なるほど、そうであったのか。つねに自らがダイヤモンド陣形の「切っ先」となって敵陣にくさびを打ち込んできたので、私は愛馬ブケファロスの視点しか知らぬ。こうして鳥の目で戦況の推移を見せられると、いたく新鮮で陣形図の一枚一枚に見入ってしまう。なるほど、ペルシア王ダリウスが逃げ出したのは、こんなふうに切っ先が迫る恐怖ゆえであったのか。
 さらに気づく。軍の構成は国家の縮図である。我が鉄壁の重装歩兵は市民自らが従軍するギリシア都市国家の伝統。数は少ないが覚悟は固い。私はそれに騎兵の機動力を加えた。かたやペルシアは広大な帝国から君主の威光と資金で雇い集めた軽装歩兵と騎兵。数は多いが覚悟は甘い。今、鳥の目で見渡すと、どの会戦も重装歩兵が敵の猛攻を耐えている間に、私が騎兵を率いて間隙(かんげき)を突くことで勝機をつかめている。マケドニアは王国だが、私は市民主体のギリシアの政体の底力で勝てたのだ。
 そのギリシアも民主政で経済力を伸ばし海軍に結実させたアテネと、寡頭政で経済発展を拒み陸軍を鍛えたスパルタとの二極に分離する。ごく近距離に全く異なる政体が並立し交錯した不思議については、我が師アリストテレスも関心を寄せておられたが、この書物の1・2巻でもつまびらかに再現される。
 ときに、この歴史家は「笑ってしまう」が口癖のようで、それが私には好もしい。泣くのは容易だが、笑うのは難しい。重たい史実を描きながら、深刻ぶらず、ほどよい距離感でとらえて楽しげに語る。33歳に満たぬ短い生涯のあいだに、私も良く笑ったものだった。
 我が名はアレクサンドロス。西のギリシア世界の「切っ先」となって東の大帝国に乗り込み、それまで遠く隔たっていたオリエントをぐぐっとギリシアに引き寄せた。かの歴史家は逆に、極東の島国の「切っ先」となって西のイタリア半島に移り住み、やはり遠く隔たっていたギリシア・ローマという西洋文明の源流をぐぐっと日本に引き寄せた。ともに畢生(ひっせい)の大業を成し遂げた者どうしである。
 愉快愉快、大笑いしつつ眠りに就くこととしよう。
    ◇
 しおの・ななみ 37年生まれ。作家。81年『海の都の物語』でサントリー学芸賞。『ローマ人の物語』(全15巻)は92年から15年をかけた代表作。本書は15年に1巻、17年1月に2巻、同年末に3巻が刊行。

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