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「小説ムッソリーニ」 ファシズムを追体験 慎重な挑発 朝日新聞書評から

評者: 藤原辰史 / 朝⽇新聞掲載:2021年10月30日
小説ムッソリーニ 世紀の落とし子 上 著者:栗原 俊秀 出版社:河出書房新社 ジャンル:小説

ISBN: 9784309208343
発売⽇: 2021/08/24
サイズ: 20cm/504p

小説ムッソリーニ 世紀の落とし子 下 著者:栗原 俊秀 出版社:河出書房新社 ジャンル:小説

ISBN: 9784309208350
発売⽇: 2021/08/24
サイズ: 20cm/457p

「小説ムッソリーニ」 [著]アントニオ・スクラーティ

 これは危険な小説だ。
 たしかに、歴史書だと言われても何ら不思議ではない入念な史料調査に基づいている。節の最後にはほぼ毎回、新聞や書簡の引用が記してあって、それに基づいた記述であることを読者に種明かしするほど慎重である。ベニート・ムッソリーニによる一九一九年三月の「戦闘ファッショ」の結成から二二年一〇月のローマ進軍を経て二五年一月のファシズム独裁の完成に至るまでを、歴史の背景も踏まえて描き切っている。
 だが、散文詩のような煌(きら)びやかで緊張感みなぎる文体や歌舞伎のようにエッジの利いた場面構成とセリフを味わっているうちに、いつの間にか自分の思考が独裁者の内面に触れ、彼の思考をなぞろうとしているのに驚く。
 とはいえ、この本はファシズム礼賛本ではない。生ぬるい決まり文句で批判した気になる方がよほど危険だと著者なら言うだろう。ここまで独裁者の論理と感情に踏み込み、自分の内なる粗暴さに足をすくませなければ、私たちはいつまでたっても、現在のファシズム的な状況の傍観者にとどまり、それがもたらす暴力を止められないのではないか、という著者の挑発として私は本書を読んだ。
 役者も揃(そろ)っている。鍛冶(かじ)屋の息子から社会主義者になり、第一次大戦参戦論者に転向して社会党を追い払われ、イタリアの独裁者となったムッソリーニが主人公であるが、イタリア現代史ではおなじみの登場人物もかなり個性的である。飛行機も操る「詩聖」ダンヌンツィオ、「労働者のキリスト」「ロマーニャのレーニン」と言われた社会主義者ボンバッチ、ムッソリーニの文体や身のこなしを作り上げた愛人サルファッティ、世界的に著名なマルクス主義の哲学者グラムシ、未来派の詩人マリネッティ。
 そして、ムッソリーニがのし上がっていく過程が彼の目線だけでなく、三方の相克によって叙述されているところも読みどころだ。第一に、民衆を熱狂させる言葉の使い手であるダンヌンツィオと、彼を尊敬しつつも、次第に邪魔に感じ始めるムッソリーニの息の詰まるような駆け引き、第二に、社会主義者とファシストの街頭での血生臭い攻防と国会での激しい論戦、第三に、仲間のファシストの裏切りや暴走、それに対するムッソリーニの冷酷な措置である。
 実は、彼が首相になった後の描写に私は戦慄(せんりつ)を覚えた。「見よ、この強き男を、力の男を。彼の力とは肉体の力だ。(中略)残虐を飼いならすであろう残虐の男」。「倦(う)みつかれた半島」で民衆に強く求められた「男らしさ」。これが、現代の倦み疲れた列島でも威力を発揮しない保証はどこにもない。
   ◇
Antonio Scurati 1969年イタリア・ナポリ生まれ。大学でクリエーティブ・ライティングを教える。『生き残り』と『私たちの生涯の最良の時』でそれぞれ同国の著名文学賞を受賞。本書で最高峰のストレーガ賞。