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「星新一の思想」書評 「文学じゃない」から届いた普遍

評者: 石飛徳樹 / 朝⽇新聞掲載:2021年12月04日
星新一の思想 予見・冷笑・賢慮のひと (筑摩選書) 著者:浅羽 通明 出版社:筑摩書房 ジャンル:日本の小説・文学

ISBN: 9784480017383
発売⽇: 2021/10/14
サイズ: 19cm/445p

「星新一の思想」 [著]浅羽通明

 私は星新一の良い読者ではない。中学の頃に「ボッコちゃん」などをむさぼり読んだが、それは彼の最初期から前期、「シニカルで切れ味のあるオチ」があるショートショートの時代。「この時期の作品のみで星新一を認知している一般読者が、ほとんどなのではないか」。その一人が私だ。
 ではなぜこんな駄文を書くのか。星が文学賞の選考の際に「同業者目線、専門家目線としてではなく、未知の一般読者目線」で作品に向かったことを、本書で知ったからだ。文壇では彼の小説は「文学じゃない」と言われていた。しかし圧倒的に読まれていた。
 文学の世界が「『外部の他者』にはさっぱりわからぬ種々の符牒(ふちょう)が行き交うようになってゆく空間」であり、星はそこから「最も遠いところで執筆していた」という。これは文学界に限るまい。政界も財界も、メディア界にも当てはまる。
 星は「文学性」などという「符牒」に絡め取られることなく、読まれる小説を書いた。その最大の特徴は副題の通り予見性にある。有名な「おーい でてこーい」は環境問題を、『声の網』はネット空間を、「白い服の男」はPC(政治的正しさ)な社会を予見していた、とよく言われる。
 しかし、それは違う、と浅羽さんは言い、星新一の優れた評伝を書いた最相葉月による次の分析を引用する。「星さんは未来を言い当てたのではなく、変わらない普遍的なものを指し示していたのではないか」
 星新一の小説は、いつの時代の、どこの国の読者にも「私たちのことを言い当てている」と思わせる。それはつまり、人間の社会には普遍性というものが存在しているからにほかならない。そして内部の「符牒」に絡め取られていては「普遍」にはたどり着かない。
 「一般読者」として本書を通読すると、中期から後期にかけての小説がとても魅力的に紹介されている。半世紀ぶりに星新一の世界に浸ることにしよう。
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あさば・みちあき 1959年生まれ。評論家。星読ゼミナール主宰。著書に『ナショナリズム』『アナーキズム』など。