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歌人・枡野浩一さんが全短歌集を出版 デビュー25周年、「はじめまして、歌人です」みたいな気持ちで

枡野浩一さん

はじまりは予備校の授業

――この度刊行された全短歌集を拝読して、枡野さんがいかに現代語だけで短歌を作ることに腐心してきたかが分かりました。

 昔、短歌の賞に応募するにあたって傾向を研究してみようと思って、過去10年の受賞作を全部読んだんですよ。当時は口語だけの短歌ってほとんどなかったんです。現代語の短歌というと、俵万智さんの『サラダ記念日』が有名ですけど、俵さんは国語の先生でもあったから、文語と現代語をうまいことまぜこぜにするわけですよ。だったら自分は徹底して現代語だけで作ってみようと思ったんです。数年前、佐々木朔という面識のない若い歌人が、現代語だけで短歌を作るべきと最初に主張した歌人は枡野浩一であるという文意の批評文(「思想としての完全口語ーー短歌史における枡野浩一の意義について」)を雑誌(「羽根と根」7号)に書いてくれたんです。若い世代にもちゃんと伝わっているんだってびっくりしたし、嬉しかったです。

――なるほど。枡野さんは「でも僕は口語で行くよ 単調な語尾の砂漠に立ちすくんでも」という短歌も作られていますよね。ちなみに、短歌を最初に作ったのは予備校の漢文の授業中だったとか。

 そうですね。「無理してる自分の無理も自分だと思う自分も無理する自分」とか、「かなしみはだれのものでもありがちでありふれていておもしろくない」とか「こんなにもふざけたきょうがある以上どんなあすでもありうるだろう」などは、その時期に一気に作った短歌ですね。

 その中でも代表作を挙げるなら、今回の本のタイトルになっている「毎日のように手紙は来るけれどあなた以外の人からである」。これは高校の国語の教科書にも載っているし、思い入れが強いですね。あと、こういう言い方の短歌って、発表当時そんなになかったんですよ。「である」で終わるのがちょっと変わっていたし、「あなた以外の」っていう言い方で「あなた」を強調している。今でこそみんなやっていることだけど、当時、こういう言葉遣いで散文そっくりの短歌って少なかったんです。それに、今だったら「手紙」っていうところを色々な言葉に置き換えられますよね。メールでもいいし、Twitterで「毎日のように『いいね』は来るけれど」でも伝わる。

――今挙げられた短歌もですが、以前、ご自身の短歌を「ひと口ことわざに近い」とおっしゃっていましたね。

 私の短歌は、なんだか立派だなとか、読者が「自分には書けないな」って思うことはたぶん少ないんです。逆に、古文調で俳句や短歌を書いて、年配の偉い先生が解説をしていると、なんかすごいのかなって思っちゃうんですよね。文句を言いづらくなっちゃうというか。だけど正直、現代語だけでさりげなく短歌を作るほうが本当は難しいでしょ?って思っていました。

――でも、最近、短歌界の風向きも変わってきていますよね?

 今の時代、現代語だけで短歌を作る人はたくさんいますね。枡野のことなんて知らずに無意識に枡野っぽい短歌を作っている人もすごく多い。だから、「全短歌集を出しませんか?」って言われた時も、正直、嬉しいというよりは、「需要があるのかな?」と不安で。今さら過去の短歌を本にしても、「もうこんな短歌よくあるじゃん」って思われないか不安でした。

25年越しのタイトル

――全短歌集を作るのは、版元である左右社の筒井菜央さんの提案だったそうですね。どの短歌を選んで、どういう装丁にするかは、筒井さんと話しあいながら?

 「絶版になっている短歌集の短歌はもちろん全部入れたいけれど、新作も入れたいんです」と筒井さんに言われました。あと、若い人に読んでほしいから、復刻版みたいにはしたくないという希望が筒井さんにはあって。そういうイメージを共有しながら作りました。

ほぼ等身大パネル写真提供:成清徹也

――企画段階から完成までだいぶ時間がかかったそうですね?

 出すことを決めてから発売日まで、ちょうど1年かかっているんです。東京の荻窪にあるTitle(タイトル)っていう書店の喫茶コーナーで歌人の仁尾智さんと話していたら、そこにあとから編集の筒井さんが合流して。それで、仁尾さんにも同席してもらって、こんな本がいい、あんな本がいいって話をしたこともありました。そういうことの繰り返しで、自分の中のイメージも固まっていって。色々な歌人の力をお借りして、アンケート方式で駄目な短歌にバツを付け、いいと思う短歌にマルを付けてもらう、なんてこともやりましたね。

――「毎日のように手紙は来るけれどあなた以外の人からである」という短歌が、そのまま本のタイトルになっていますね。意外と珍しい例なのでは?

 昔から、本のタイトルを短歌にしたいってずっと思っていたんです。本を出す度に提案は何度もしていたんですけど、どの出版社にも却下されて。大抵、最終的に営業部の判断で通らなかったって言われるんです。でも、昨今はナナロク社という出版社が、短歌のタイトルの本(木下龍也と岡野大嗣の共著『玄関の覗き穴から差してくる光のように生まれたはずだ』)を出してヒットしたりとか、短歌ブームの空気もあって、こういうタイトルもアリという判断をされて。そういう意味では、本当に25年越しのタイトルです。

――短歌集を拝読していて、流行り言葉を使うのが難しいんだろうなと思ったんです。例えば、「野茂がもし世界のNOMOになろうとも君や私の手柄ではない」という短歌がありますが、今は野茂英雄を知らない人もいる、とは考えませんでしたか?

 それはよく言われますね。短歌がプリントされたTシャツを作って売っているんですけど、そのデザインをした谷田浩さんとかも「野茂は古いのでは」って言うんですね。でも、野茂はメジャーリーグで活躍した日本人として第一人者だ、ということが重要で。あれをイチローとか大谷翔平にしたらいいかっていうと、全然違うと思うんです。

 日本では、メジャーに行っても絶対失敗すると思われていた野茂が、実際に成功したらみんなが急に手のひらを返して支持したじゃないですか。そういうことの象徴として野茂を出しているわけで、寓話みたいなものなんです。昔話とかことわざの元になった人物のように、野茂の名前を出している。100年経ってみても、野茂が日本で最初にメジャーで成功したことぐらいは歴史に残っているだろうから、それが大事だというジャッジですね。

――固有名詞を出すにしても、普遍性があるものを作ろうという意識が強くあるんですね。

 それは昔からそうですね。星新一さんが好きなんですけど、星さんって、寓話みたいに、いくら歳月が流れても通じる作品を書きたかったらしいんです。実際そうなっているし。そういう星新一イズムに影響されているから、当時からこの言葉は10年後にも残るはずだって考えながら作っていたんです。

装丁は名久井直子さん

――ブックデザイナーの名久井直子さんが装丁を手掛けていますね。マームとジプシーという劇団とコラボレーションをするなど、非常に人気のある方ですが、なぜお願いしようと?

 名久井さんって、初めて装丁を手掛けたのが、今は小説家でもある錦見映理子さんの第一歌集『ガーデニア・ガーデン』だったんです。それを見そめた小学館の編集者が、菊地成孔さんらの本のデザインを名久井さんにお願いして。今は文芸書の売れっ子デザイナーですが、短歌にもすごく理解のある方なんですよね。木下龍也さんの『あなたのための短歌集』も名久井さんだし、短歌の本を任せるにあたってはすごく安心感があるんです。

写真左から山階基さん、枡野浩一さん、木下龍也さん

――名久井さんは人気歌人である穂村弘さんの本の装丁もされていますよね。

 私は名久井さんとは知り合いで、自主制作の短歌用原稿用紙をデザインしてもらったこともあるんです。でも、私の中で「名久井直子」は、穂村派というか、穂村さんの本をデザインしているイメージが強くて。だから、依頼するかどうか悩んだんですけど、私が本屋さんでいいなと思って手に取る本は、名久井さんが装丁をしたものばかりで。もう、ここまできたらやっぱり名久井さんだな、と思って、編集の筒井さんに言ったら、同じように名久井さんをイメージしていたらしくて。じゃあもう名久井さんでしょって。実際、あがってきたものも素晴らしかったです。私の短歌の本ってほとんど絵や写真がついていたり、祖父江慎さんデザインの『ますの。』みたいに字が巨大だったりする。そういう意味では今回は初めてのシンプルな歌集というイメージですね。この短歌「毎日のように〜」がタイトルになったのも、名久井さんからの提案が採用された感じなんです。

――全短歌集には俵万智さんとの往復書簡が入っていますね。

 俵さんはお会いしたこともなかったから、まず私がお手紙を書いて、私と俵さんの往復書簡を両方とも載せた、しおり(栞。別冊リーフレット)にしました。俵さんが受けてくれなかったら、しおり自体つけていなかったと思います。帯も小沢健二さんにお願いしましたが、まあ無理だろうなと思っていましたし、ダメだったら帯文なしという覚悟をしていました。2人とも第1志望だったんです。小沢さんももちろんですけど、短歌界とは違うジャンルで活躍している人に「私、短歌も作っているんですよ」って言われるのが嬉しい……というかそういう時代に、やっと今なってきていますよね。短歌ブームと言ってもいいでしょうね。このタイミングで全短歌集を出せたのはすごく良かったと思っています。

「短歌西荻派」誕生

――短歌ブームは、小さな出版社の後押しはもちろん大きいですけど、SNSとの相性がいいですよね。

 短歌大喜利みたいなのをたくさん見かけるようになりましたね。何かお題を一つ提供して、それに対してハッシュタグを付けて短歌を投稿する企画、すごく増えたと思います。そういう企画でわいわい言い合って楽しむなんて、昔だったら考えられなかったですよ。今の若い人は、放っておいても短歌が目に飛び込んでくるくらいの感じでしょうね。

――枡野さんも若い歌人との交流も増えたのでは?

 それで言うと、たまたま西荻窪が好きな3人で、「短歌西荻派」っていうユニットを組んだんです。ひとりは山階基さんという歌人で、第一歌集『風にあたる』の帯文は東直子さんと枡野浩一が書いています。私は短歌の本の帯文、初めて書いたんです。もうひとりが木下龍也さんっていう、今すごく売れている歌人。交流は以前からあって、『あなたのための短歌集』っていう本のあと書きに私の名前が出てくるんですけど、その本は今、累計2万部だそうです。今回、今野書店の花本武さんっていうカリスマ書店員の方の提案で、私の本の発売に合わせてその3人が集まって、フェアをやってくれるんです。デザイナーでもある山階さんの尽力で、書店に置くリーフレットを作っていて、3人がおすすめ本を10冊ずつ選んで、推薦文を書いたりしていて。そのフェアは9月23日からスタートしていて、10月22日にトークイベントがあります。

――枡野さんの影響で短歌を作り始めた人も多いですよね。

 私が書いた『ショートソング』っていう小説が10年以上前にヒットしたんですけど、それがきっかけで短歌を始めたって人が、今、活躍していて。今回の版元の左右社も、阿波野巧也歌集『ビギナーズラック』も出しているけれど、阿波野さんは『ショートソング』で短歌に興味を持ったらしくて、昔やっていた「枡野浩一のかんたん短歌blog」にも投稿してくれていたそうなんです。あと、映画にもなった『世界で一番すばらしい俺』を書いた工藤吉生さんも、私が選を担当した『ドラえもん短歌』から短歌に興味を持ち始めた人で。そういう感じで、枡野短歌が最初のきっかけだった人も、いることはいるんですよね。

――そういう後続がいる中で、枡野さんは今、どういうスタンスで短歌と向き合っていますか?

 今、短歌については仕切り直しじゃないけど、「はじめまして、歌人です」みたいな気持ちでいるんです。だから、サインにひと言を書いて欲しいと言われたら「はじめまして」って書こうと思っていて。この前、穂村弘さんともお話ししたんですけど、現代語の短歌では、まず俵万智さんが大ベストセラーを出して、穂村さんは俵さんと同世代で、数年遅れて枡野浩一がいて、さらに下の世代である永井祐さんの文体が歌壇で流行ったりして、今はもっと若い世代の活躍も目立ってきている。やっと、そういうことを俯瞰して見られる時代になったし、だからこそこういう本ができたんだなって思います。これを作ったことで、もし需要があるなら、また短歌の本も出せたらいいなっていう気持ちに久々になりましたね。