短歌を送って、それっきり
――「あなたのための短歌1首」の活動内容を教えてください。
購入者からの「お題」をもとに短歌を作り、便箋に書いて封筒でお送りする。制作した短歌は僕のもとには記録として残さず、公表しません。短歌をどう使うかは購入者の自由です。2017年から始めて、現在も続けています。もともと本にする予定はなかったのですが、ナナロク社から書籍化の提案があり、購入者からの提供が集まればという前提と、僕は印税を受け取らないという条件で『あなたのための短歌集』を作りました。
――依頼者の反応はいかがですか?
Twitterで「泣きました」「家宝にします」とつぶやいてくださる方、BASEのサイトにレビューを書いてくださる方、お手紙をくださる方もいらっしゃって、嬉しく思っています。ただ、毎月10首から15首くらい作って、何かしらの反応をくださるのは全体の2割くらいです。ほとんどの場合はお題をいただいて、短歌をお送りして、それっきり。依頼者のみなさんがどう思っているかは正直わからないですね。だから満足せずに続けられているんだと思います。
印象的なお題は?
――いままでで難しかったお題はありますか?
簡単なお題はひとつもないのですが、どなたかが亡くなられたというお題については、かなり慎重に、何をどうお伝えするか言葉を選びます。『あなたのための短歌集』の中にも、お父さまが亡くなられて、葬儀でお読みになった弔辞の全文を送ってきてくれた方がいらっしゃいました。そのときは僕に言えることなんて何もないんじゃないか、とかなり苦しみました。自分の父親が亡くなったら自分はなんて言うだろう、などいろいろリアルに考えて、けっこう辛かったです。
【お題】父の葬儀のときに、私が読んだ「おわかれの言葉」を添えました。亡き父の思い出として、短歌をお願いします。
やや素直すぎた弔辞の感想をいつかひかりのなかで聞かせて
――「オムレツ」「たこ焼き」「鶏肉」など、単語ひとつのお題もありますね。
単語ひとつのお題の場合は「ああ、試されているな」と思います。そのお題に対して、ある程度どういう短歌が来るかって、依頼者は予想すると思うんですよね。だからその予想を裏切るような短歌を作ろうと思っているんです。「たこ焼き」は、短歌をお送りした後に、依頼者ご本人が「夫と付き合って食べるようになった思い入れのある食べ物なんですよ」というのを教えてくれて、なんで「たこ焼き」というお題だったのか理解できました。
【お題】お題は「たこ焼き」です。夫と付き合ってから食べるようになった思い入れのある食べ物です。
恋人はノアの手つきでうつくしいたこ焼きだけを舟皿に盛る
「鶏肉」という依頼をくださった方は、本当に鶏肉が大好きらしく、「よし、じゃあこの方を面白がらせよう、この方が手紙を開いたときにびっくりするような短歌をつくってみよう」という気持ちで作ったなあというのはよく覚えています。
【お題】お題は「鶏肉」でお願いします。
ささみ・むね・もも・すね・てばにわけられて天国でまたにわとりになる
――片思いしている依頼者の想いをギュッと圧縮したような歌もあります。どのように作っていますか?
「背中を押して」ほしいという依頼ですが、第三者の僕が何か言ってもあまり効かないかもなと思ったので、依頼者に成り代わって、依頼者自身の台詞のように作っていますね。ご依頼に対してお返しできるのは31音なので、どうしても圧縮しなければならないのですが、依頼者が将来この歌を見返しても「前に進もう」という決意を、いつでも思い出せるように、短い動画をつくるような、お守りを作るような気持ちで書きました。
【お題】長い間、片思いをしていた相手がいます。もう前に進もうと決めました。背中を押してくれるような短歌をください。
ふりむけば君しかいない夜のバスだから私はここで降りるね
こうして振り返ると、楽にできた歌はないんですよね。早めにできたとしても、別の案を考えます。どのお題に対しても最低2案くらいは並行して作っていくんです。お題は大抵メールでいただくのですが、それを何度も読み返しながら、なにを言うか、というのをバーっと箇条書きしていって、最終的には二つくらいを短歌のかたちにします。それのどちらか一方をお送りすることもありますし、二つお送りすることもあります。
「あなたのための短歌1首」って言ってるんですけど、僕は自分の歌の良し悪しを自分で判断するのが苦手なので、2首お送りすることもあるんです。「あなたのための短歌展」(2020年に東京・高円寺で行われた「木下さんが短歌を制作している姿を展示する」展示会)のときは1首しか壁に貼れなかったので、2首作って村井さん(ナナロク社の村井光男氏)に「どっちがいいですかね?」って客観的に選んでもらうこともありました。
――木下さんは短歌教室もやってらっしゃいますよね。添削をしたり選をしたり……。
自分の短歌については「選」ができないんですよね。客観的になれなくて。もちろん2首作る過程で添削というか、頭のなかにいじわるな自分を登場させて、ここはもっといい表現があるんじゃないか、別の比喩があるんじゃないか、とか、いちゃもんをつけながらかなり推敲はしますよ。その推敲を乗り越えてできた2首なので選べない。
2首ともお送りするときは、同じような2首ではなく、違う種類の2首ではあります。例えば、「こんな私ってダメですよね」ってお題に対して「そのままで大丈夫ですよ」って言うのか「ダメですよ」って言うのか。依頼者のすべてを知っているわけじゃないから、断言できない場合もあります。
短歌を未来につなぐために
――木下さんは『あなたのための短歌集』の印税を受け取らず、印税分で歌集を購入し、学校など希望する施設に寄贈する計画があります。
歌集を購入して、少しでも今の歌人を応援したい気持ちがあります。寄贈については、小さい頃から図書館とかに普通に歌集があるような環境にいて、それに触れていれば、将来その子どもが何か書きたいなあと思ったときに、小説とか、詩とか、考えていくなかに短歌も選択の一つとして挙がると思うんですね。そういうふうに短歌というものを未来につないでいきたい。そして、その子どもたちの作る短歌を読んでみたい。だから村井さんと相談しながらこういう計画を立てました。
ただ、短歌教室を開催しているのも、歌集を寄贈するのも、これから短歌を始める人たちが将来作るであろう素晴らしい短歌を僕が読みたいっていうのが根底にある。だから本当は、自分のためでもある。よい歌を読んで、よい歌を詠みたいというのは常にあります。
――木下さんにとってよい短歌とはどのようなものでしょうか。
僕が驚く短歌ですね。自分の頭のなかにはない発想というか。たとえば、僕が講師を務めた短歌教室の受講生の歌に、<交響曲の中にいる『うきょうきょ』は音の魔人で楽器をくれる/奥平>というものがありました。読んだ瞬間に「おお、この発見はすげー」と思って。読む前と読んだ後の世界を更新してくれるような快感がありましたし、「うきょうきょ」は今でも「交響曲」と聞くたびに僕の頭のなかに現れてくれます。
それから、僕は歌人の吉川宏志さんが大好きなのですが、<フィラメントのごとく後肢を光らせてあしなが蜂がひぐれに飛べり/吉川宏志>という歌。この歌を読む前までは、自分の頭の中に、夕日が照らす「あしなが蜂」の後ろ足と、ランプの「フィラメント」って、それぞれには存在していましたが、つながっているものではなかったんです。でも、この歌はそれらを「ごとく」という直喩で強固につないでくれました。たしかにそう見えるなあという納得感もあり、このつながりはきっと一生忘れません。
――『あなたのための短歌集』を含め、これまでたくさんの歌集を発表されていますね。
僕の場合は雑誌や新聞への投稿から短歌を始めたので、もともと自分のために短歌を作っているという意識がなくて。最初から誰かに向けて書いていたんですね。だから、短歌を自分の元に置いておくのが性に合わなくて、作った瞬間どこかに出したい。なので『つむじ風、ここにあります』『きみを嫌いな奴はクズだよ』については、ひとつのゴールというか、一旦ここでもう全部手は尽くしました、お別れです、さようなら、という気持ちでした。本になっていないと自分のものであり続けるんですけど、本になってやっと手放せるというか。みなさまどうぞ読んでくださいと、自分のなかで区切りがつけられた。次に行こうと思えた。
でも『あなたのための短歌集』は、依頼者のみなさまのご協力やお題があってこそ生まれた本ですから、半分は依頼者の作品というか、自分の作品ではないような気もしていて。うまく言葉にできないですけど、これまでにはない不思議な気持ちで、この歌集がどうなっていくのかを見守っていきたいと思います。