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増田俊也さんの胸に今も残る寮歌「都ぞ弥生」

北海道大学の「恵迪寮」=2024年

 音楽が共有されづらくなって久しい。誰もが一緒になって口ずさめる新曲が生まれなくなっている。地上波テレビの衰退とインターネットによる個の時代の到来によるものだろう。……そんななか寮歌について語るなどというのは郷愁もいいところだが、歌詞というものの意味を考え直してもらうために紹介したい。
 寮歌といっても今の若い人たちはほとんど知らないと思う。戦前、旧制高校の学生たちが作ったものだ。酒席で歌い、街を散策しながら歌い、運動部の試合後に歌った。現在では考えられぬほど旧制高校生たちは寮歌の歌詞にのめりこみ、昂揚し、肩を抱き合って泣いた。
 彼らの学生生活は寮歌とともにあり、卒業したあとも、勤めはじめてからも、いや定年を迎えて老境にさしかかってさえも、その胸の内には若き日の寮歌が流れていた。だから私の住む名古屋でも「寮歌祭」という集まりがほんの10年前まで年に1度ホテルのパーティー会場で開かれ、80代90代となった年配の旧制高校OBたちが学校ごとに壇上にあがって蛮声を張り上げていた。その寮歌祭に1965年生まれの私のような若輩が毎年のように呼ばれていたのは、私の母校、北海道大学が現代において特殊な大学だからである。

 旧制高校とは1949年(昭和24年)まで存在した6・5・3・3制時代の高校で、旧制中学5年間のあとの3年間あった。つまり浪人なく入学すれば在学時は17歳から21歳、年齢的には現在の大学生にあたる。学問もそのレベルにあり、教員は教授や助教授と呼ばれた。卒業後に進学する帝国大学が現在の大学院だと考えればよい。旧制高校の卒業者数と帝国大学の入学定員がほぼ同じだったので全員が帝大へと進学できたことも、モラトリアムとしての寮生活を豊かにしていた要因である。
 しかし1949年、GHQによる学制改革で旧制高校は消滅し、それとともに寮歌の文化も消滅した。
 ところが最北の旧制高校だった北大予科(今でいう附属高校のようなもの)は北海道帝国大学のキャンパス内にあり、予科生が住む恵迪寮はそのまま新制の北海道大学に受け継がれたため、寮歌文化そのまま受け継がれることになる。今でも毎年新しい寮歌が一曲ずつ作られているため、北大生たちは明治期の寮歌から令和の寮歌まで百数十曲もの歌を心の内に持っている。これは奇跡といってもいいことだ。

 北大の寮歌の歌詞の美しさは戦前から他の旧制高校生にまで愛されて放吟された。他の旧制高校がエリート臭ふんぷんな歌詞なのに較べ、北大予科のそれはただただ北海道の自然の美しさを謳っているからである。
 例えば最も有名な1912年(明治45年)寮歌『都ぞ弥生』の2番と3番の歌詞を挙げてみる。

 2
 豊かに稔れる石狩の野に
 雁(かりがね)遥々沈みてゆけば
 羊群声なく牧舎に帰り
 手稲の嶺(いただき) 黄昏こめぬ
 雄々しく聳ゆる楡の梢
 打振る野分に破壊(はゑ)の葉音の
 さやめく甍に久遠の光り
 おごそかに 北極星を仰ぐ哉
 3
 寒月懸れる針葉樹林
 橇の音凍りて物皆寒く
 野もせに乱るる清白の雪
 沈黙(しじま)の暁 霏々(ひひ)として舞ふ
 ああその朔風飊々として
 荒(すさ)ぶる吹雪の逆巻くを見よ
 ああその蒼空(そうくう)梢聯(つら)ねて
 樹氷咲く 壮麗の地をここに見よ

 2番は秋の札幌を、3番は冬の札幌を謳い上げている。夕刻になって羊の群れが牧舎へと帰るさまが見える。キャンパスの頭上に聳える楡の枝々が微風にそよぐさまが見え、吹雪が逆巻くさまが見える。作詞者横山芳介の感性はすぐれて繊細だ。橇の音は見えずとも凍りつく実体があり、樹氷は枝にからみつくものではなく咲くものだと言うのである。横山芳介だけではなく、北大寮歌を作詞した学生たちはみな、眼前に見える自然の美しさを何とか言葉にできないかと何週間も何カ月も考え抜き、ここに言葉として結晶化させているのだ。

 ちなみに私の自伝的小説『七帝柔道記』『七帝柔道記Ⅱ』に書いたように、北大では現在においても寮歌を歌う前に作詞者と作曲者に敬意を払ってその名前を言わねばならない。たとえば『都ぞ弥生』を歌う前には誰か一人が腕を組み「明治45年度寮歌、横山芳介君作歌、赤木顕示次君作曲、都ぞ弥生! アイン・ツヴァイ・ドラーイ!」と言って、そのあと皆で歌いはじめる。
 この『都ぞ弥生』の歌詞が110年以上経った現在もそのまま残り、現役の北大生たちが歌い続けるのは、内地から北海道へとやってきた学生が昔も今も同じ景色を見続けているからだ。それを世代を超えて明治時代から令和まで、歌で共有できるとは何という幸せであろうか。「大学選びに悩んでいる」と言う高校生に、私が北海道大学進学をすすめる所以である。ここには本物の学生生活が今も残っている。