歴史ゼミナール
藪 光生[全国和菓子協会専務理事]
普段何気なく食べている和菓子。そのルーツをたどってゆくと、そこには奥深い世界が広がっていました。スイーツ好きだという女優の三倉茉奈さんと、業界きっての和菓子通である、全国和菓子協会専務理事の藪光生さんに、和菓子の魅力、そして東京の「甘味物語」を語っていただきました。
[取材・構成:五月女菜穂/写真:長島史枝/スタイリスト(三倉さん):近藤伊代(IYO KONDO)/ヘアメイク(三倉さん):杉野加奈(KANA SUGINO)/衣装協力:スカート - Lois CRAYON、株式会社クレヨン(TEL:03-3709-1811)、その他スタイリスト私物]
「心の栄養」になる
三倉 私、和菓子も洋菓子もどちらも好きなんです。あんこ系もチョコレート系も好きで、どれか一つに絞ることができません。
藪 生活のシチュエーションの中で、「今日は疲れているからチョコレートが食べたい」とか「珈琲を飲みたいからビスケットもいいな」と気分によりますよね。僕も和菓子だけではなく、ケーキも大好きですよ。
人間は生きるために、食べ物によってエネルギーを得ていますよね。だけど、お菓子だけでエネルギーを摂取しようとする人はいなくて、食事から摂るでしょう。生きるための食ということから考えると、お菓子というのは不要なんですよ。それでもお菓子はこんなに求められているのはなぜだと思いますか?
三倉 自分へのご褒美だったり、お腹というより心を満たす役割があるのではないですかね。
藪 そう。心の栄養、心の満足、心の健康のためにお菓子は非常に重要なんですよね。心の栄養になるために何が必要かというと、食べたことに対する満足が必要。つまり、大事なのは、美味しいかどうかということなんですね。
和菓子のルーツを探って
藪 さて、今回は東京の「甘味物語」ということで、江戸時代の和菓子の歴史を紐解いていきたいと思います。江戸時代は特別な時代でした。それ以前、京都や大阪などはある程度完成された街でしたが、色々あって、徳川家康が江戸に幕府を開くということになった。街づくりから始まるわけですよ。
300年の江戸時代を初期、中期、後期と3つに分けるとすると、初期の段階はほとんど街づくりに費やされたわけ。ものを運ぶために水路を造って、城を建てて。ずっと働きづめですよ。当時の人々は、朝飯と夕飯の1日2食の生活だったんですね。
ところが、働くからエネルギーを使うじゃないですか。どうしても途中で何か食べたい。それで食べられたのが「おやつ」。ただ甘いだけの、ちょっとしたおやつでは、エネルギーにならないんですね。だから団子や大福など、しっかりエネルギー源になるようなものが江戸初期に流行りだしているんですよ。
三倉 へー、知らなかったです!
藪 基本的に、大阪で言っている桜もちは道明寺粉で作られたものをいいますよね。大阪の道明寺というお寺で作った「道明寺糒(どうみょうじほしい)」という、もち米を蒸して干したものがもとです。水や熱湯を注いで柔らかくして食べ、戦の時の携行食などとして用いられていました。起源は菅原道真公の時代ですから、江戸時代より随分と昔の話です。なので、道明寺糒を使った和菓子は「椿もち」など江戸以前からあったんです。
一方、江戸で桜もちというのは塩漬けにした桜の葉で巻きますから、焼皮とか道明寺糒とかの区別はさておき、桜もちの始まりは江戸からと言っていいと思います。ちなみに、三倉さん、桜の葉っぱは剥いて食べますか?
三倉 一緒に食べます。
藪 葉っぱと一緒に食べるとね、桜の葉っぱの味が勝ってしまうんですよ。お米やあんの甘さが引き立たない。だから、本当は皮を剥いて、移り香を楽しむものなんです。その移り香と、お米の香り、あんの香りが調和して一体となる。それで本当の桜もちの味となるのが楽しいんですよ。
このように、江戸中期になると、菓子もどんどん洗練されてくる。助惣焼(すけそうやき)や助惣ふの焼という、どら焼きのもととなるようなものが出てきたりしますし、室町時代から始まった羊羹も栄えてきます。ちなみに、どうして羊羹は、「羊の羹(あつもの)」と書くと思いますか?
三倉 うーん、なぜでしょう。
藪 羊の肉が入ったお椀(汁物)のことを言うんですね。日本では仏教の伝来以降、獣肉を食べないので、羊肉の代わりに、小豆の粉や小麦粉を練って入れていた。それが汁から取り出されて、お菓子として成長していく。だから蒸し羊羹が始まりなんですね。
実は、今のような練り羊羹は江戸中期に始まります。寒天が発明されたからです。
島津の殿様が参勤交代の帰りに京都に寄って、美濃屋という宿に泊まるんですね。そして、その宿で出されて残ったところてんを外に出しておいた。冬の京都は寒いから凍ってしまう。それをほったらかしておいたら、あくる日に溶ける。そして夜になるとまた凍る。そして、自然と乾物状になっていった。それが寒天の始まりという説があります。
蒸し羊羹はあんこに小麦粉を混ぜて固めていたのだけれど、小麦粉ではなく寒天を混ぜて固めてみた。日本人は実に進取の気性に富んでいますよね。
三倉 あんこは結構、砂糖を使いますよね。贅沢品ではなかったのですか?
藪 江戸中期以降、砂糖はかなり使えるようになりました。吉宗公が日本国内で砂糖を作ろうということで努力されたこともあります。それまでは非常に高価であったので、むしろ塩味のものが多かったんですね。
藪 江戸中期以降、京都の京菓子に対して、江戸は上菓子ということで、競い合うようになります。競い合って、お互いが良くなる。参勤交代で文化も行き来をするようになっているので、例えば京友禅の着物と江戸小紋の違い、関西の白足袋と江戸の紺足袋の違いといったような話が、お菓子の中にも出てくるんです。京都は華やかな色使いの生菓子が多いけれど、江戸はどちらかというと地味な色使いのお菓子が多い。そういう個性がだんだんとできてくるんです。
三倉 お寿司もそういうところありますよね。江戸前寿司って色々手を加えたりして。
三倉 あまり意識したことがなかったことですね。あんこって、自分で炊こうとするとすごく難しいので、作ったことないです……。どら焼きやたい焼きを食べるときも、あんこで選んでいないかもしれない。でも確かに食べておいしいと思うときって、甘すぎず絶妙だったり、あんこの加減ってありますよね。それぞれのお店に個性があると思うと、これから食べるのが楽しみになります。
藪 ぜひお時間にある時に、いろいろなお店のいろいろな和菓子を食べてみてください。そうだなぁ、多くのお店で作っているどら焼きなんかが分かりやすいでしょうか。いろいろ食べているうちに、茉奈さんにとってのオンリーワンのお菓子が出てくるわけですよ。茉奈さんが好きなどら焼きと、僕の好きなどら焼きは違うかもしれないけれど、それはそれでいいと思うんです。これが絶対だというものではない。美味しくいただけて、また食べたいなと思うようなお菓子ならば、それでいいのです。
三倉 そうですね。あと、手土産で持っていって人にも食べてもらいたいですね。もし今「和菓子はそんなに好きじゃないな」と思っている人がいるとしても、お店によって好きな味があるかもしれないし、年齢によっても美味しいという感覚がどんどん変わってくるじゃないですか。
藪 そうですね。珍しいから、人気があるからということではなくて、本当に美味しいと思って食べてもらいたいです。そういうことがあるからこそ、老舗がずっと生きている。新しい近代的なお店がどうしても目立つけれども、それでも、この老舗の味が好きだという人が寄ってくるというのはそういうことなんですよね。
三倉 私も見つけたいなと思いました。自分の中でこれが好きだと自信を持って言えるものを。
藪 芝居をするのでも何でも芯になるものがしっかりあると、必ずいい芝居ができてくるじゃないですか。ただただ見た目や奇抜さだけで勝負しても、一瞬は流行るかもしれないけれど、中身がないと誰も寄ってこなくなるように。
三倉 そうですね。いろいろとお話を伺ってきて思ったのですが、藪さんは、昔からお菓子にお詳しいのですか? ご家庭で食べる機会が多かったのでしょうか?
藪 単純に興味があるからですよ。何か疑問に思ったり、学びたいなと思ったりすると、いろいろ調べますよね。そういうことの積み重ねです。
三倉 そうなのですね。藪さんのお話を伺って、いますぐいろいろなお店のあんこを食べにいきたくなってきました!
やぶ・みつお/札幌市出身。和菓子の普及啓発や業界内の経営指導などにあたる全国和菓子協会専務理事を務める。著書に『和菓子』(KADOKAWA)、『新 和菓子噺』(キクロス出版)、『和菓子と日本茶(和食文化ブックレット ユネスコ無形文化遺産に登録された和食)』(共著、思文閣出版)など。
みくら・まな/1986年生まれ、大阪市出身。女優。双子の妹・三倉佳奈とNHK連続テレビ小説『ふたりっ子』で子役としてデビューし、マナカナの愛称で人気を集めた。最近はテレビドラマや舞台で活躍。