The Sweetest City, Tokyo

Tokyo甘味物語
Special Talk
江戸からつながる和菓子の歴史ゼミナール
Vol.6
江戸からつながる和菓子の
歴史ゼミナール
三倉茉奈[女優]
藪 光生[全国和菓子協会専務理事]
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普段何気なく食べている和菓子。そのルーツをたどってゆくと、そこには奥深い世界が広がっていました。スイーツ好きだという女優の三倉茉奈さんと、業界きっての和菓子通である、全国和菓子協会専務理事の藪光生さんに、和菓子の魅力、そして東京の「甘味物語」を語っていただきました。
[取材・構成:五月女菜穂/写真:長島史枝/スタイリスト(三倉さん):近藤伊代(IYO KONDO)/ヘアメイク(三倉さん):杉野加奈(KANA SUGINO)/衣装協力:スカート - Lois CRAYON、株式会社クレヨン(TEL:03-3709-1811)、その他スタイリスト私物]

お菓子は「自分へのご褒美」であり、
「心の栄養」になる

三倉 私、和菓子も洋菓子もどちらも好きなんです。あんこ系もチョコレート系も好きで、どれか一つに絞ることができません。

 生活のシチュエーションの中で、「今日は疲れているからチョコレートが食べたい」とか「珈琲を飲みたいからビスケットもいいな」と気分によりますよね。僕も和菓子だけではなく、ケーキも大好きですよ。

人間は生きるために、食べ物によってエネルギーを得ていますよね。だけど、お菓子だけでエネルギーを摂取しようとする人はいなくて、食事から摂るでしょう。生きるための食ということから考えると、お菓子というのは不要なんですよ。それでもお菓子はこんなに求められているのはなぜだと思いますか?

三倉 自分へのご褒美だったり、お腹というより心を満たす役割があるのではないですかね。

 そう。心の栄養、心の満足、心の健康のためにお菓子は非常に重要なんですよね。心の栄養になるために何が必要かというと、食べたことに対する満足が必要。つまり、大事なのは、美味しいかどうかということなんですね。

三倉茉奈
三倉茉奈 女優

三倉 私は舞台のお仕事などで、差し入れでお菓子をいただいたり、見に来てくださったお客さんがお菓子を持ってきてくださったりするんですが、お菓子をいただくと、それだけで私も他の出演者も、すごくテンションが上がります。「今日これがある! どらやきがある!」と思うだけで、頑張ろうという気持ちになる。そういう意味では、本当に心の栄養になっているなと思います。

 こういう殺伐とした世の中になってくると、より一層ちょっとしたひと時が大事ですよね。

三倉 その時間が大事なんですよね。普段急いでご飯を食べて、という時間が多いけれど、「お菓子を食べよう」と思うと、じゃあコーヒーも一緒に飲もうかなとか、お茶も一緒に飲もうかなとか。ちょっとホッとした時間になりますよね。

桜もちに羊羹に。
和菓子のルーツを探って

 さて、今回は東京の「甘味物語」ということで、江戸時代の和菓子の歴史を紐解いていきたいと思います。江戸時代は特別な時代でした。それ以前、京都や大阪などはある程度完成された街でしたが、色々あって、徳川家康が江戸に幕府を開くということになった。街づくりから始まるわけですよ。

300年の江戸時代を初期、中期、後期と3つに分けるとすると、初期の段階はほとんど街づくりに費やされたわけ。ものを運ぶために水路を造って、城を建てて。ずっと働きづめですよ。当時の人々は、朝飯と夕飯の1日2食の生活だったんですね。

ところが、働くからエネルギーを使うじゃないですか。どうしても途中で何か食べたい。それで食べられたのが「おやつ」。ただ甘いだけの、ちょっとしたおやつでは、エネルギーにならないんですね。だから団子や大福など、しっかりエネルギー源になるようなものが江戸初期に流行りだしているんですよ。

三倉 へー、知らなかったです!

藪 光生
藪 光生
 全国和菓子協会専務理事

 そして、中期になってくると、街もだいぶ完成されてくる。このころになると、例えば、隅田川の向島に桜並木ができて、「桜を見に行くついでに何かが欲しいね」と言って、桜もちが有名になるんですよ。

長命寺というお寺があるんだけども、そこの門番が、青々としたまま散ってしまう桜の葉っぱを塩漬けにして売ることを考えたんです。ところが、これが売れなかった。それで餅を包んで売るようにしたら、たくさん売れた。それが、桜もちの始まりと言われているんですね。

三倉 桜もちの話でいうと、私は大阪出身なんですけど、関西と東京って全く桜もちが違うじゃないですか。あの焼いた皮であんこを包んだものを「桜もち」と知ったときに、「嘘!」と思って。私は桜もちといったら、道明寺のイメージしかなかったので驚きました。それはどっちから、どういう風に生まれたんですか?

桜もち
写真右が、関西で一般的な道明寺粉の桜もち、左が焼皮であんを巻いた関東の桜もち(画像提供:全国和菓子協会)

 基本的に、大阪で言っている桜もちは道明寺粉で作られたものをいいますよね。大阪の道明寺というお寺で作った「道明寺糒(どうみょうじほしい)」という、もち米を蒸して干したものがもとです。水や熱湯を注いで柔らかくして食べ、戦の時の携行食などとして用いられていました。起源は菅原道真公の時代ですから、江戸時代より随分と昔の話です。なので、道明寺糒を使った和菓子は「椿もち」など江戸以前からあったんです。

一方、江戸で桜もちというのは塩漬けにした桜の葉で巻きますから、焼皮とか道明寺糒とかの区別はさておき、桜もちの始まりは江戸からと言っていいと思います。ちなみに、三倉さん、桜の葉っぱは剥いて食べますか?

三倉 一緒に食べます。

 葉っぱと一緒に食べるとね、桜の葉っぱの味が勝ってしまうんですよ。お米やあんの甘さが引き立たない。だから、本当は皮を剥いて、移り香を楽しむものなんです。その移り香と、お米の香り、あんの香りが調和して一体となる。それで本当の桜もちの味となるのが楽しいんですよ。

このように、江戸中期になると、菓子もどんどん洗練されてくる。助惣焼(すけそうやき)や助惣ふの焼という、どら焼きのもととなるようなものが出てきたりしますし、室町時代から始まった羊羹も栄えてきます。ちなみに、どうして羊羹は、「羊の羹(あつもの)」と書くと思いますか?

三倉 うーん、なぜでしょう。

対談

 羊の肉が入ったお椀(汁物)のことを言うんですね。日本では仏教の伝来以降、獣肉を食べないので、羊肉の代わりに、小豆の粉や小麦粉を練って入れていた。それが汁から取り出されて、お菓子として成長していく。だから蒸し羊羹が始まりなんですね。

実は、今のような練り羊羹は江戸中期に始まります。寒天が発明されたからです。

島津の殿様が参勤交代の帰りに京都に寄って、美濃屋という宿に泊まるんですね。そして、その宿で出されて残ったところてんを外に出しておいた。冬の京都は寒いから凍ってしまう。それをほったらかしておいたら、あくる日に溶ける。そして夜になるとまた凍る。そして、自然と乾物状になっていった。それが寒天の始まりという説があります。

蒸し羊羹はあんこに小麦粉を混ぜて固めていたのだけれど、小麦粉ではなく寒天を混ぜて固めてみた。日本人は実に進取の気性に富んでいますよね。

三倉 あんこは結構、砂糖を使いますよね。贅沢品ではなかったのですか?

 江戸中期以降、砂糖はかなり使えるようになりました。吉宗公が日本国内で砂糖を作ろうということで努力されたこともあります。それまでは非常に高価であったので、むしろ塩味のものが多かったんですね。

伝統は常に革新の連続である

 江戸中期以降、京都の京菓子に対して、江戸は上菓子ということで、競い合うようになります。競い合って、お互いが良くなる。参勤交代で文化も行き来をするようになっているので、例えば京友禅の着物と江戸小紋の違い、関西の白足袋と江戸の紺足袋の違いといったような話が、お菓子の中にも出てくるんです。京都は華やかな色使いの生菓子が多いけれど、江戸はどちらかというと地味な色使いのお菓子が多い。そういう個性がだんだんとできてくるんです。

三倉 お寿司もそういうところありますよね。江戸前寿司って色々手を加えたりして。

三倉茉奈

 江戸のお菓子は中期ごろにはかなり完成されているんだけれども、羊羹に寒天を入れたように、変化を加えていく。伝統というのは常に革新の連続で生き残っていくわけです。何も革新しないで作ったものだったら、すぐダメになってしまうのでね。

三倉 名言ですね。

 常に開発意欲を持っていないと、新商品は生まれてこないけれど、ただ新商品のための新商品というか、話題性をあげよう、ちょっと見栄えを良くさせようということに囚われていると、2、3年は、パッとお客さんが飛びつくんだけど、すぐに消えてしまう。

考えてみたら、羊羹や桜もちは300年以上歴史を持っている。人間の生活の中に溶け込んでいて、それがなくてはならないものとして生き続けてきた、何よりの証拠ですよね。

三倉 藪さん流の和菓子の楽しみ方を教えてください。

 いろいろとありますが、知っておいていただきたいことは、あんこは実に個性的だということ。あんこの個性が分かるようになると、和のお菓子もすごく面白いと思いますよ。渋切り(小豆の渋み成分を取り除くこと)や水晒しの方法、砂糖の量や種類などで全然味が変わってくる。大げさにいうならば、あんこは100人が作ると100の味になるんです。

さらに言うと、お店によってあんこは違うし、どら焼き用のあんこもまんじゅう用のあんこも違ってくる。それぞれのあんこの味を意識しながら和菓子を味わいながら食べてもらうと、より深い和菓子の世界が広がると思いますよ。

全国和菓子協会オリジナルグッズ
取材時、藪さんが三倉さんへのお土産に持ってきた和菓子柄のポーチやマグネット(全国和菓子協会オリジナルグッズ、非売品)

三倉 あまり意識したことがなかったことですね。あんこって、自分で炊こうとするとすごく難しいので、作ったことないです……。どら焼きやたい焼きを食べるときも、あんこで選んでいないかもしれない。でも確かに食べておいしいと思うときって、甘すぎず絶妙だったり、あんこの加減ってありますよね。それぞれのお店に個性があると思うと、これから食べるのが楽しみになります。

 ぜひお時間にある時に、いろいろなお店のいろいろな和菓子を食べてみてください。そうだなぁ、多くのお店で作っているどら焼きなんかが分かりやすいでしょうか。いろいろ食べているうちに、茉奈さんにとってのオンリーワンのお菓子が出てくるわけですよ。茉奈さんが好きなどら焼きと、僕の好きなどら焼きは違うかもしれないけれど、それはそれでいいと思うんです。これが絶対だというものではない。美味しくいただけて、また食べたいなと思うようなお菓子ならば、それでいいのです。

三倉 そうですね。あと、手土産で持っていって人にも食べてもらいたいですね。もし今「和菓子はそんなに好きじゃないな」と思っている人がいるとしても、お店によって好きな味があるかもしれないし、年齢によっても美味しいという感覚がどんどん変わってくるじゃないですか。

 そうですね。珍しいから、人気があるからということではなくて、本当に美味しいと思って食べてもらいたいです。そういうことがあるからこそ、老舗がずっと生きている。新しい近代的なお店がどうしても目立つけれども、それでも、この老舗の味が好きだという人が寄ってくるというのはそういうことなんですよね。

三倉 私も見つけたいなと思いました。自分の中でこれが好きだと自信を持って言えるものを。

三倉茉奈

 芝居をするのでも何でも芯になるものがしっかりあると、必ずいい芝居ができてくるじゃないですか。ただただ見た目や奇抜さだけで勝負しても、一瞬は流行るかもしれないけれど、中身がないと誰も寄ってこなくなるように。

三倉 そうですね。いろいろとお話を伺ってきて思ったのですが、藪さんは、昔からお菓子にお詳しいのですか? ご家庭で食べる機会が多かったのでしょうか?

 単純に興味があるからですよ。何か疑問に思ったり、学びたいなと思ったりすると、いろいろ調べますよね。そういうことの積み重ねです。

三倉 そうなのですね。藪さんのお話を伺って、いますぐいろいろなお店のあんこを食べにいきたくなってきました!

やぶ・みつお/札幌市出身。和菓子の普及啓発や業界内の経営指導などにあたる全国和菓子協会専務理事を務める。著書に『和菓子』(KADOKAWA)、『新 和菓子噺』(キクロス出版)、『和菓子と日本茶(和食文化ブックレット ユネスコ無形文化遺産に登録された和食)』(共著、思文閣出版)など。




みくら・まな/1986年生まれ、大阪市出身。女優。双子の妹・三倉佳奈とNHK連続テレビ小説『ふたりっ子』で子役としてデビューし、マナカナの愛称で人気を集めた。最近はテレビドラマや舞台で活躍。

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※東京の魅力発信プロジェクトとは、東京ブランドアイコン「Tokyo Tokyo Old meets New」を効果的に活用しながら、東京都および東京観光財団が民間事業者と連携し、東京の魅力などを発信する事業です。

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※本プロジェクトは「東京の魅力発信プロジェクト」に採択されています。
【問合せ先】
book-support@asahi.com