見えない未来に立ち向かうすべての人に。 宮野真生子・磯野真穂『急に具合が悪くなる』より
記事:晶文社
記事:晶文社
この奇妙な往復書簡をやってみようと言い出したのは、私、宮野真生子です。
ことのきっかけとしては、随分広い射程が含まれていたはずの本なのですが、気づくと最終的に生と死をめぐるドキュメントと、そのなかを共に生きる人々との出逢いの物語になりました。あるいは、病に面した一哲学者が「魂の人類学者」に寄り添われ、生まれてきた言葉の記録と言い換えてもいいかもしれません。もちろん、その言葉は私一人で紡ぎ出せたものではなく、つねに磯野さんという伴走者がそこにいて、受け止め、引き出してくれたからです。彼女は、訳もわからず私が「急に具合が悪くなっていく」状況に立たされ、巻き込まれていってくれました。
もともと、この本で私が磯野さんと語り合ってみようと往復書簡を提案したときに考えていたのは、もちろん自分が身体にガンを飼っているということをいかに捉えるのかという問題はありましたが、もっと広く、そうした病を抱えて生きることの不確定性やリスクの問題を、磯野さんと専門的に深めてみようという学問的な野心がありました。
そのため前半はゆっくりと生と死に限らず、身体とリスクをめぐる話が、しかし、主に私のガン闘病を中心にいささかのんびりと流れて行きます。
ところが、この原稿を書いている最中に「ほんとうに急に具合が悪くなる」ことが起こってしまった。そこからこの書簡は色合いを変えていきます。
いつからこんなふうに「ほんとうに具合が悪くなって」、磯野さんが私との「出会いと別れの急降下」を味わいながら、書簡を紡ぐことになってしまったのか。いつからこんなふうになるように導かれていたのか。それは単なる偶然の集積なのか必然なのか。そのことも含め、この書簡のテーマです。
つねに不確定に時間が流れているなかで、誰かと出会ってしまうことの意味、そのおそろしさ、もちろん、そこから逃げることも出来る。なぜ、逃げないのか、そのなかで何を得てしまうのか、私と磯野さんは、折り合わされた細い糸をたぐるようにその出逢いの縁へとゆっくりと(ときに急ぎ足で)降りながら考えました。
最後に皆さんに見える風景が、その先の始まりに充ちた世界の広がりになっていることを祈っています。
全十便にわたる、宮野真生子と磯野真穂の往復書簡をお読みくださりありがとうございます。
(……中略……)
宮野さんはこの九月、博論を基にした『出逢いのあわい』(堀之内出版)を出版されます。「あわい」に代表されるように、宮野さんが哲学者として見ようとしてきた現象は、朝焼けと夕暮れのような、目を離したらすぐに消えてしまう、留まることのない景色です。儚(はかな)さを伴った動きのある現象を、その動きを消さずに文章として表現するのはそんなに容易なことではありません。ですが彼女の文章の中にはそれがあった。私はそれに惹(ひ)きつけられたのだと思います。
ただ一度だけ「もうやめよう」と言おうと思ったことはありました。それは六月の半ば、宮野さんの状態が悪くなり、モルヒネを大量に内服することでしか痛みが抑えられず、その結果、どう見ても意識が朦朧(もうろう)としていると私が感じた時です。奇しくもこの時は、この書簡が晶文社から出版されることも決まっており、これ以上続けるのは私のエゴかもしれないという葛藤も生じていました。
ですが「まだ書ける?」という、私のその提案は「なめんなよ、磯野真穂」の一言で豪快かつ痛快に切り捨てられ、その後、9便、10便と続いて今に至っています。先ほど、ここに出ている世界は一面でしかないとお話ししましたが、これもまた書かれていないひとつの一面です。
ただその一方で私には必死に逃げている物語がありました。それは「宮野さんのような人」が一般的にどうなるのかという医学の語りです。
(『急に具合が悪くなる』より抜粋)