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國分功一郎さんインタビュー 考えるための読書術

國分功一郎さん
國分功一郎さん

人文書は日本で読まれている

――AIの時代、自分で考えることがますます重要になっています。そういう意味では読書、とりわけ人文書を読む意義が高まっていると思いますが、出版関係者からは読書離れが止まらない、人文書が読まれないという声を聞きます。

 僕はいろいろな国を知っているわけではないけど、日本は比較的、人文書が読まれている方だと思います。海外で、僕が書いた思想や哲学の本の売れ行きを話すと、そんなに売れているのかと驚かれます。

 僕は今度、英国の出版社から本を出しますが、英国では人文書は日本のようなビジネスにはなっていません。僕が一緒に仕事をしているのが大学出版だからかもしれませんが、一般の読者に読んでもらうというより、研究成果を形にして残すために出すという印象です。

 そもそも人文書はそんなに読まれるジャンルではないでしょう。にもかかわらず、日本ではそこそこ読まれているわけで、この国では人文書が大衆性を獲得していると言えるのではないか。そこには見るべき可能性があると思います。

――國分さんはパリに留学されていました。フランスは「思想」や「哲学」を重んじる国というイメージがあります。フランスの人たちは思想や哲学の本をよく読んでいるのでしょうか。

 フランスでも、だれでも哲学書を読んでいるわけではありませんよ(笑)。ただ、高校では哲学の授業があるし、国や社会が哲学を尊重しているとは言えますね。あと、国が自国の哲学者や知識人を文化として、積極的に海外にも紹介しています。最近も僕のところにフランス大使館が作った「フランス大使館推薦作家:フランスが誇る新世代の人文社会学者」というカタログが送られてきました(PDFファイルはこちら)。これらの学者の本を翻訳するにあたっても助成金が受けられます。フランスという国はそういうことをやっているんですね。

 振り返って日本は、「クールジャパン」などと言っても、国がやっていることは全然うまくいっていない。自国の学者や思想や哲学を海外に紹介しようという努力も全くしていない。ただ、国の政策と無関係なところで、日本のカルチャーは海外に浸透しているとは思います。民間の出版社の方々が決死の努力で人文書の水準を高めようとされてきたし、いまもされている。その成果はある程度出ているけれども、国はそのことを何も分かっていない。そもそも期待していませんが、日本という国の文化と学問に対する無理解はもう手の着けようがない状態ですね。助成金や研究費で文化と学問に携わる人たちを締め付けていて、もう沈没寸前と言ってよいでしょうね。

大学生は本を読むお金がない

――若い世代の読書離れが指摘されています。國分さんは、以前は高崎経済大学で、現在は東京工業大学で教えています。学生たちは本を読んでいますか?

 読書離れが若い人だけの問題なのかは疑問ですね。大学生の読書時間が以前に比べると減っていることは事実ですが、40年前には37〜38%だった大学進学率が、いまでは50%を超えているわけですから、以前と単純な比較はできません。人口の中で熱心に読書する人の割合はそれほど多くはないわけですから。

 今の学生の読書を考える上ではお金の問題も非常に大きいと思います。今の学生たちは生活のためにものすごくアルバイトをしなくてはいけない状況にいます。本に回せるお金と時間はすごく減っていると思います。経済的にも時間的にも精いっぱいなわけです。そういう学生たちに国はきちんと手をさしのべようとしないわけですから、本当にどうしようもないです。大学生に投資しなくてどうするんでしょう。大学生に投資して、人材を作って、国力を高めるとか、どうしてそういう発想がでないのか。これは僕が言うべきことではありませんよ。

――卒業後も奨学金を返済できない人たちがたくさんいます。このような状況に若者を追いこみながら、この国では「少子化で大変だ」と騒いでいる。

 最近の学生は素直だから授業も出ます。昔の学生とはくらべものにならないくらいまじめなんです。こうした学生たちに、アルバイトをしなくて済むようにして、ガシガシ勉強させて、朝から晩まで本を読ませて、4年間鍛えたら、どれだけ優秀な人材になるだろうかと思います。そうした可能性をもった人たちから、私たちはどんどん可能性を奪っているんです。国や社会は恐ろしい損失を出していることに気づくべきです。自国の若者に投資をしない国はいったいどういうことになるのか、もう気づかないといけない。

読書から得るものは人による

――話を変えます。國分さんご自身はどのように本を読んでいますか?

 詳しくは『いつもそばには本があった』(互盛央さんとの共著、講談社選書メチエ)に書いているので、そちらを読んでいただきたいと思いますが(笑)、一つ言えるのは僕はそんなに読書家ではないということですね。世の中には読書そのものが好きな人がいて、僕なんかよりずっと本を読んでいる人がたくさんいる。そういう人たちには読書量でかなうはずがないないから、そもそも競わないことにしています(笑)。僕はどちらかというと、目的があるから本を読むタイプだと思います。自分が取り組んでいる問題がまずあって、それについて考えるために論文を探したり、本を読んだりするのが一番多いと思います。

――たくさん本を読んでいるのに、つまらない発想しかできなかったり、型にはまったことしか話せなかったりする人もいます。

 本を読んだら読んだなりに何か得るものはあるかと聞かれたら、それは人によるとしか言えません。問題というのは不思議なもので、ある人にはこの問題がひっかかるけど、ある人にはひっかからない。僕はうまく自分が気になる問題に出会えるような読書を学生には勧めています。読んだ量は少なくても、ある問題に関して一つの本を読み込んだら、すごい解釈が出てきたりするわけです。

――本を読めば自分の意見を持つことができるわけではないのですね。

 もちろん本を読むことは絶対に大切であり、必要です。意見を持つための基礎になることは間違いない。でも、大切なのは自分が気になる問題とつきあい続けることだと思います。学生たちには、「なんかおかしいな」「なんかヘンだな」と違和感を持ったら、それを忘れないようにしておきなさい、と言っています。ただ、それをするためには余裕や時間が必要です。同じ問題について、ずっと考え続けるのは、けっこう苦しいことです。また、この苦しいことを続けられる環境がないと、「やっぱり、わからない」で終わってしまいます。でも、考え続ける余裕や時間を持つことがいまの時代は難しくなっているわけで、ここが僕もどうしたらいいか分からないところですね。

いい本にはいい編集者が必要

――ネットやスマホの時代、國分さんの読書の時間も減っていますか?

 もちろん僕もメールのやりとりをしたり、ユーチューブを見たりしているので、そういう意味では読書の時間が減っているのかなとも思いますが、それほど変わらないかもしれません。僕は昔から電車の中で本を読むことが多いんです。学生時代は長距離通学、社会に出てからは長距離通勤をしているので、電車の中でないと本が読めないぐらい。だから電車通勤の時間がなくなったら困る(笑)。でも、少なからぬ人がネットやスマホに飽きてきているんじゃないですかね。スマホじゃなくて文庫本を手に取るようにすると、突然生活が変わると思うんですが。

――最後にお聞きします。國分さんは冒頭で、日本では人文書について可能性があると話されました。良い読者を増やすには良い書き手の発掘もポイントだろうと思いますが、書き手の側からどう思いますか?

 本を書きたい人はけっこういると思います。でも、編集者の方々ももっと貪欲(どんよく)に探さないと面白い書き手は見つからないと思います。僕はその点、幸運だったと思います。たとえば最初に一般書として出版した『暇と退屈の倫理学』という本は、無名の時期に出会った編集者の方の様々なアドバイスのもとで完成した本でした。何の業績もない僕の話を親身に聞いてくださった。「こういう専門家向けの書き方ではもったいない」というその方のアドバイスがなかったら、あの本は書かれていたにしても、全く別のものになっていたでしょう。そういう信頼関係が著者に次の本を書かせるのではないでしょうか。

――ネットで個人が発信できる時代ですが……。

 きちんとした本を書くためには、編集者との共同作業が必要です。このことは意外に世の中では理解されていません。本は執筆、調査、編集、組版、デザイン、印刷、流通、販売といった様々な人の仕事が関わっています。それは決して忘れてはいけないことです。

(文:海老原由紀 写真:家老芳美)

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