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新型コロナウイルスと医学という学問 (上) 専門家の意見が一致しないのは当然

記事:春秋社

新型コロナ・ウイルス(SARS-CoV-2)のウイルス粒子の電子顕微鏡画像、NIAID、出典:Wikimedia Commons (public domain)
新型コロナ・ウイルス(SARS-CoV-2)のウイルス粒子の電子顕微鏡画像、NIAID、出典:Wikimedia Commons (public domain)

1 生物医学と分子生物学

 医学が科学の一分野であることは多くの人が認めるだろう。そして科学としての医学の力が人々に広く認められる成果は感染症への取り組みである。これまでも人類は感染症との戦いを繰り返してきた。黒死病ともいわれるペストは14世紀にパンデミックを引き起こし、特にヨーロッパにおいて多くの死者を出した。その後、19世紀後半になりアジアで再びパンデミックを起こす。しかし現在、ペストはそれほど恐れる病気ではなくなっている。なぜか。それは医学(特に細菌学)によって、この病気がペスト菌という細菌によって引き起こされることが1894年、北里柴三郎により明らかにされたからである(*1)。さらに、①感染経路(ネズミなどのげっ歯類を宿主とし、これを吸血するノミの咬傷により人に感染)の解明、②ペスト菌が有する特異的なDNA配列を増殖させるPCR法やペスト菌を包む莢膜抗原に対する抗体反応が陽性であること等で示される診断法の確立、③抗生物質による治療法の確立等、が医学によって行われてきた(*2)。つまり近代医学によって、多くの死者を出し恐れられていたこの病気には「生物学的な原因」があることが明らかにされ(1894年)、J.ワトソンとF.クリックによるDNAの二重らせん構造の解明(1953年)により「分子生物学」が飛躍的に進歩することで信頼度の高い診断法が確立され、さらに抗生物質の発見・開発により治療法が確立してきたのである。科学としての医学は、生物という観点から病気を解明する「生物医学」が中心となっており、その強力な方法論の一つが分子生物学である。分子生物学は病気を含む生命現象を分子・遺伝子の観点から解明し、治療法や予防法を開発する。今回の新型コロナウイルス感染症に関しても、約3万の塩基配列をもつRNAウイルスの一種であることはすでに判明しており、PCR法による診断法も確立されている。科学的に残る課題は、ワクチンによる予防法と抗ウイルス薬による治療法の確立、そして感染力や死亡率などの疫学的解明等である。

2 科学的根拠に基づく医療

 ところで、科学としての医学の方法論は、分子生物学のみではない。現代医学の方法論を振り返るなら、1990年に一つのパラダイムシフトが起こる(*3)。それはカナダ人医師のG.ガイアットによる「科学的根拠に基づく医療」(Evidence-Based Medicine: EBM)の提唱である。ガイアットの中心的な意図は、細胞や動物実験などに基づいた、分子生物学を主要な方法論とする生物医学から、人を対象とした臨床研究を重視する医学へのパラダイムシフトにあった。つまり、いくら実験室で薬剤の効果が証明され、病気のメカニズム(病態生理)から考えて合理的な治療法が考えられたとしても、実際に人を対象とした研究によりその効果が明らかにされなければ、治療法の本当の有効性は不明なままなのである。

 また、EBMは科学的研究の階層性という概念を医学に導入した。具体的には、専門家の個人的な意見、あるいは細胞や動物実験などのいわゆる基礎研究の結果よりも、人を対象とした臨床研究がより信頼性が高いとされる(もちろん、科学的研究に優劣があるというのではなく、応用科学としての「医学においては」という条件がつく)。さらに、人を対象とした研究の中でも、ある治療法や介入法を行う群と行わない群を設定し、参加者を無作為(ランダム)に割り当てた無作為化比較試験(Randomized Controlled Trial: RCT)やRCTに基づく複数の研究結果をさらに統計学的手法によりまとめたメタアナリシスは、最も信頼度が高いとされる。

 さて、EBMを支える科学的方法論は臨床疫学であるが、そこでは研究結果が決定論的ではなく確率論的に示される。例えば、「薬剤Aを使用した場合に死亡率は30%であったが、薬剤Bを使用した場合には死亡率は15%であり、さらに統計学的にも薬剤Bが有意に死亡率を減少させることが示された」というように。新型コロナウイルス対策に関して、「専門家」といわれる医師の見解が必ずしも一致していないと指摘されることもあるが、そもそも医学は確率論的にしか述べることが出来ないし、また新たな感染症に関するエビデンスの構築は現在進行形であり、専門家の意見が一致しない場合があることも当然である。PCR検査に関しても検体の採取法などで、本来陽性であるはずの結果が陰性となる(偽陰性)こともある。

 医学は科学である。しかしそれは科学的研究の単なる応用ではない。

      ◇     ◇

参考文献

*1.「医療の挑戦者たち ペスト菌の発見①‐④」テルモ株式会社 ウエブサイト(アクセス日2020年4月26日)
*2.「ペストとは」国立感染症研究所ホームページ (アクセス日2020年4月26日)
*3.杉岡良彦『医学とはどのような学問か:医学概論・医学哲学講義』春秋社、2019年

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