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アメリカの黒人の選挙制度に、何が起きているのか? 『投票権をわれらに』

記事:白水社

『投票権をわれらに 選挙制度をめぐるアメリカの新たな闘い』(白水社)
『投票権をわれらに 選挙制度をめぐるアメリカの新たな闘い』(白水社)

『投票権をわれらに 選挙制度をめぐるアメリカの新たな闘い』(白水社)目次より
『投票権をわれらに 選挙制度をめぐるアメリカの新たな闘い』(白水社)目次より

油断したら投票権すら奪われる

 約五〇年ぶりに投票権法の保護機能が不完全ななかで行なわれた二〇一四年の選挙では、一四の州の有権者がそれまでになかった投票制限に直面した。

 テキサスでは、有権者ID法のせいでエリザベス・ゴーラーは六〇年ぶりに投票できなかった。同じような経験をした人はほかにもいた。

 オースティンの介護付き住宅に暮らす八十四歳のベティー・ソーンはそれまで主要な選挙では必ず投票していた。ソーンの運転免許証は失効していたので、選挙の前に孫のエイミー・ゴートローがソーンを公安局に連れていき、新しい身分証明証を取ろうとした。しかしソーンは有効な住所証明書を持っていなかったために運転免許証を新たに作ることができず、投票専用の身分証明証を取るのに必要な出生証明書も持っていなかった。

 「有権者ID法ができたと発表されたときは、何がそんなに問題なのかわからなかった」とゴートローは言った。「ほとんどの人が身分証明証を持っていると思っていたから。それが自分の身に起きてみると打ちのめされてしまった。助けてくれる家族がいる高齢者でさえこうなるのに、誰も助けてくれない人はどんなにたくさんいるのだろうと思う」

 テキサスでは共和党のグレッグ・アボットと民主党のウェンディ・デイヴィスが争った知事選がかなり注目を集めていたにもかかわらず、二〇一〇年と比べて投票数は二七万票も減った。投票所に行ったのは有権者の二八パーセントだけで、米国で下から二番目に低い投票率となった。

 全国的な投票率も一九四二年以来もっと低いものとなった。投票した人たちはテキサスをはじめとして米国全域で二〇〇八年と二〇一二年の選挙に比べて年齢がより高く、白人の割合も高く、保守的である割合も高かった。共和党の望んだとおりになったのである。投票に行かなかった人の数は行った人の二倍近かった。投票率が下がった一方で、投票しようとして問題が起きた人の数は増えた。投票権擁護団体が運営する無料のホットラインには二〇一〇年に比べて四〇パーセントも多い一万八〇〇〇件もの相談があった。

『投票権をわれらに 選挙制度をめぐるアメリカの新たな闘い』(白水社)P.6−7より
『投票権をわれらに 選挙制度をめぐるアメリカの新たな闘い』(白水社)P.6−7より

 もっとも深刻な事例のいくつかがノースカロライナ州で起きた。

 ブライアン・マクゴワンは海兵隊に二二年間いて、アフガニスタンとイラクでの勤務も四回経験した。ノースカロライナ州のキャンプ・ルジューンにいた二〇〇五年から二〇一〇年までのあいだ、マクゴワンは同日登録制度を使って登録し、期日前投票期間中に投票していた。

 マクゴワンは二〇一〇年に海兵隊の勤務のためジョージアに引っ越し、二〇一四年にノースカロライナに戻った。期日前投票期間の初日だった十月二十三日、マクゴワンは州西部にある投票所に初めて行き、有権者登録を更新して投票しようとした。二〇〇八年の選挙のときはそれができたのである。ところが今回はできなかった。ノースカロライナ州が同日登録制度を廃止し、登録の期限も過ぎていたため、マクゴワンは登録情報を更新して投票することができなかった。「投票したいだけなのに」とマクゴワンは言った。

 二〇一四年の選挙では、マクゴワンと同じような目に遭った人がほかにもたくさんいた。州が投票制限法を新たに定めた結果、マクゴワンのような有権者は期日前投票期間に有権者登録をすることができなかった。間違った投票所に行った人も多かったが、そこでは以前のように正規の投票をすることができなかった。期日前投票期間が一週間短縮されたため期日前投票にも長い列ができ、選挙当日にも以前より長い列ができた。待ち時間がとくに長かったのはダーラムやラリーやシャーロットなど民主党支持者が多い都市部で、投票するまでに三時間もかかった投票所もあった。

 シャーロットのレズリー・カルバートソンはさっと投票するつもりでイーストーヴァー小学校の投票所に行った。「前回ここで投票したときは列はほとんどなかった」とカルバートソンは言った。しかし今回は待ち時間が一時間で、カルバートソンは子供を学校に迎えに行くため投票せずに投票所を出なければならなかった。

『投票権をわれらに 選挙制度をめぐるアメリカの新たな闘い』(白水社)P.212−213より
『投票権をわれらに 選挙制度をめぐるアメリカの新たな闘い』(白水社)P.212−213より

 モラルマンデー運動が有権者を動かすために懸命に努力したにもかかわらず、新たに導入された投票制限は選挙結果にも影響した。激戦だった連邦議会上院議員選挙では、州議会下院議長として投票制限法を可決に導いた共和党のトム・ティリスが民主党のケイ・ヘイガンを四万八〇〇〇票の差で破った。二〇一〇年の選挙ではその五倍の数の有権者が、共和党議員たちによって廃止されることになる選挙制度改革を利用していた。短縮されてなくなった期日前投票期間の最初の一週間に投票した人が二〇万人、同日登録制度を利用した人が二万一〇〇〇人、指定投票区外で投票した人が六〇〇〇人いたのである。デモクラシー・ノースカロライナの推計によれば、州の投票制限法によって三万から五万の有権者が投票できなかった。ブレナンセンターによれば、各地で新たにできた投票制限措置によって投票できなかった可能性のある有権者の数は、接戦だったノースカロライナ、カンザス、ヴァージニア、フロリダの連邦議会上院議員選挙と知事選挙で勝敗を分けた票差よりも大きかった。

 投票権の支持者たちにとっては気の滅入る選挙だった。ノースカロライナのティリスやテキサスのアボットなど、投票をより困難にする努力を率いた共和党の政治家たちが当選してより有力な地位に就いた。共和党はますます多くの州政府を掌握し、一九二〇年代以来もっとも多くの州を支配下に置いた。つまりこれからの選挙で有権者はいっそう多くの投票制限に直面することになるのである。政治過程への参加に対する障害は大きくなる一方だった。

 

『投票権をわれらに 選挙制度をめぐるアメリカの新たな闘い』(白水社)P.380−381より
『投票権をわれらに 選挙制度をめぐるアメリカの新たな闘い』(白水社)P.380−381より

 選挙の四カ月前の二〇一四年七月、ノースカロライナ州の投票制限法に関する訴訟の審理が地方裁判所で始まった日に、ウィンストン・セーラムでは「投票への大行進」集会が開かれ八〇〇人が参加した。壇上ではタイラー・スワンソンとデリック・スミスがバーバー牧師の後ろに立ち、「組織しよう、登録しよう、投票しよう、投票権の制限をなくそう」と書かれたプラカードを掲げていた。

 「この法案が、第四条を廃止することで第五条の事前承認制度を破壊したシェルビー判決の後に――隣の人のほうを向いて一緒に言いましょう、『シェルビー判決の後に』――可決されたことを忘れてはいけません」とバーバーは集まった人たちに訴えた。「アメリカよ、ノースカロライナを見なさい。この法案は、過激な右派が、とくに南部で、事前承認を得なくてもよければ投票を抑制するためにどれだけのことをする用意があるかをアメリカに示しているのですから」

 シェルビー郡判決に対抗するため、ノースカロライナのNAACPは未登録有権者の登録を推進する五〇人の若い活動家を五〇の郡に置いた。この取り組みは「モラル・フリーダムサマー二〇一四」と呼ばれた。ルイスなど何千もの若い活動家がミシシッピに行き、グッドマン、チェイニー、シュワーナーの三人が命を落としたフリーダムサマーの五〇周年を記念してのことだった。

 「集会が終わってからも、犠牲になった人たちが流した血を忘れずにいようという人はいますか?」とバーバーは尋ねた。何百もの手が挙がった。

全米批評家協会賞最終候補作品! 『投票権をわれらに 選挙制度をめぐるアメリカの新たな闘い』(白水社)
全米批評家協会賞最終候補作品! 『投票権をわれらに 選挙制度をめぐるアメリカの新たな闘い』(白水社)

 スワンソンは二〇一四年の夏を州西部のカトーバ郡とアイアデル郡で有権者登録活動をして過ごした。二〇一二年の大統領選でオバマの得票率が三四パーセントにとどまった、共和党支持者の多い地域である。

 「アフリカ系アメリカ人の多くが投票をあきらめていた」とスワンソンは言った。スワンソンと同年代の仲間の多くは、トレイヴォン・マーティンやマイケル・ブラウンなど黒人のティーンエイジャーが射殺された事件があってから司法制度を信用できなくなっていた。

 しかしウィインストン・セーラムで生まれて初めて裁判を傍聴したスワンソンは、ロザネル・イートンのような投票権擁護活動家の証言に触発されていた。「あの人たちがくぐり抜けてきたことを聞いたら、今よりももっと一生懸命戦わなければという気になった」

 スワンソンは一カ月で一一五人の有権者を新たに登録した。華やかな活動ではなかったが、スワンソンは自分のしていることが効果を出しているように感じていた。その夏、ノースカロライナのNAACPは五〇〇〇人の有権者を新規に登録した。

 過去に活躍した活動家たちが未来の活動家たちを奮い立たせたのだった。スワンソンは、ジョージアに移り住み、いつか自分が英雄と考えるジョン・ルイスの議席を引き継いで下院議員になるのが目標だと言った。

(『投票権をわれらに──選挙制度をめぐるアメリカの新たな闘い』「第10章 シェルビー判決の後に」より)

 

著者アリ・バーマンによる講演動画(英語)。右下の歯車アイコンをクリックすると字幕翻訳できます。

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