『修養の思想』 それは「柔らかな生きる英知」
記事:春秋社
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「修養」ということばを聞いて、私たちは何を思い浮かべるだろうか。忘れ去られた旧い過去のことば。戦前の軍国主義ともつらなったようなことば。そういえば、修養に関連して、修身というのもあったな、そんなところだろうか。
それでも、「修養」ということばを聞いて、昭和に活躍した思想家、唐木順三の名前を思い出す人もいるにちがいない。意外にも唐木は、大正期の「教養」主義に対して、それ以前の明治の「修養」を持ち上げて見せたのである。そこに失われた日本人の本当の姿があったと。もちろん唐木の主眼は、教養主義への批判であって、修養の中味に分け入ることはなかったのであるが。
では、唐木が言う、失われた日本人の姿とは、なんだろうか。「修養」にその鍵が潜んでいるとでもいうのだろうか。まずもって、著者のことばに耳を傾けてみよう。
「修養は、身を修め、心を養う。自分を高めようとする。今日の言葉で言えば「自己成長」や「自己実現」に近い。あるいは「向上心」にも近い。
修養は「自ら修養する」のであって、「他人から修養される」とは使わない。「他人を修養する」とも使わない。その点で「教育」とは対照的である。教育は「親から教育され・子どもを教育する」。それに対して「修養」は自ら修養する。「修養する」は自動詞なのである。」
「身を修め、心を養う」――それが「修養」である。もちろん努力はするが、「自動詞」である。人にやらせるのではない、人からさせられるのでもない。そうではなく、自分を大切にして、自分を高めようとする、みずからが理想に向かう。しかも、「稽古」や「修行」とちがって誰にでも開かれていて、日々の暮らしがそのまま修養ともなる、というのだ。これはずいぶんと、「修養」のイメージが違ってくる話ではないだろうか。
ここで「修養」の来歴をたどってみよう。修養はひとまず近世から始まる。江戸期は、修養思想、修養的生き方の百花繚乱である。
ただしそこでは、「修養」ということばは使われない。そんな大掴みなことばではなく、それぞれの思想家は、それぞれのことばと語りで、世間や人に「修養」を説いたのである。なんと魅力的な世界が広がっていることか。
やがて激動の明治になって、修養は「修養論」ということばとともに、大きな流行となる。圧倒的な西洋の文物の奔流にどう身を処すかが問われたのである。だがその修養論は、あっという間に消え去り忘れ去られる。表層的な語りでは追いつかなかったのだろう。
そして大正になって、「修養」は西洋的「教養」にその座をゆずり、表舞台から姿を消す。以後は細々と、復古主義者でもないかぎり「修養」が語られることはなかった。
だから現代において「修養」は途絶えてしまったかのようだ。だが、著者は興味深く面白い例を挙げる。近年の「ニューエイジ文化」について、また「精神世界・セラピー文化」について、「修養」との親縁性を説得力豊かに語るのだ。
さらに哲学的に、晩年のフーコーが説いた「自己への配慮 souci de soi」と「修養」との、なんとも興味深い重なりが示唆豊かに示されるのである。
どうやら大方の意に反して、「修養」は一筋縄ですむ話ではなさそうだ。これからの将来に向けて、「修養」をどう思想するか。著者はこう語る。
「(修養の)そうした問いを、問いとして設定するところから、あらためて始めてみたい。日本のself-cultivationはselfの確立を最終目的としない。それを越えた営みとワンセットである。あるいは、日本の伝統が理想としたselfはnon-selfと一体である(互いに反転し続ける)。そう一般化してよいか。」
そう切り結ぶのである。ここで、self-cultivationとは、ひとまず「修養」を指すことばである。そうであれば、修養はどのような可能性の地平に出ていこうとするのだろうか。著者は、それをself-cultivation toward ‘non-selfとも言う。
ふたたび「修養」とはなにか。日本の伝統が理想としたすがたとは、なんであったのか、そして未来に向けて、どう展望されるのか。ブーメランのように、われわれに始まりの問いが投げ返される。