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なぜいま台湾を知らなければならないのか?──康凱爾『日本人のための台湾学入門』より

記事:平凡社

台湾の夜市の風景。一見「台湾らしい」景色のように見えるが、「台湾らしさ」とはこの写真だけでは表せない複雑さを持っている。(写真はすべて著者撮影)
台湾の夜市の風景。一見「台湾らしい」景色のように見えるが、「台湾らしさ」とはこの写真だけでは表せない複雑さを持っている。(写真はすべて著者撮影)

平凡社新書『日本人のための台湾学入門』(康凱爾著)
平凡社新書『日本人のための台湾学入門』(康凱爾著)

「台湾らしさ」って、なんだろう?

 みなさんは、台湾と聞いてどのようなイメージを持つでしょうか。鼎泰豐の小籠包、夜市の大きなチキンカツ、あるいは最近は日本にも台湾風の朝食店ができていますから、それを思い浮かべる方もいるかもしれません。

 私は台湾に住んで14年になります。私の妻は台湾人で、二人の娘がいます。かつてはこちらの企業で台湾人と一緒に働いていました。そして現在は台湾研究をしていますから、外国人としてはそれなりに台湾に向き合ってきたと言ってよいと思います。

 しかしそれでも、台湾をよく知らない人々に台湾はどういう場所かと問われると、いつもうまく答えることができません。じつはそれは台湾人にとっても同じで、長く住んでいるといろいろな人に出会うものですが、「台湾らしさ」とはなんなのかと聞くと、みな違う答え方をするのです。

 たとえば私たち日本人が、外国人に日本を紹介する動画を作ろうとしたらどのように作るでしょう。多くの人が「日本らしさ」を演出するために桜や着物や富士山などのイメージを用い、BGMには琴や三味線などの音楽を選択するのではないでしょうか。

 このように私たちには「日本らしさ」がどういうものか、ということについてある程度の共通の認識がありますが、台湾にはそれがまだありません。ですから、台湾人が同じことをしようとすると、じつにさまざまな表現が出てくるのです。ある人は道ゆく人の親切さに、ある人は夜市の活気に、ある人は虹色に塗られたコンクリートの壁に、ある人は空から見た海岸線や農村の美しさに、またある人は原住民の感性に台湾らしさを見出します。

 それらのどれがより「台湾らしく」て、どれがそうでないのかということではありません。そのどれもが、紛れもなく台湾の一部です。台湾人にとって「台湾らしさ」とは人それぞれで、かといってそれぞれがぶつかり合うわけではなく、さまざまな背景を持った人々のさまざまなイメージが共存しているのです。

 ですから、台湾とはなんなのか、という問いの答えは、これらのイメージをひとつひとつ丁寧に集め、束ね合わせたときに、かろうじてぼんやり見えてくるものだということになります。桜や着物や富士山といったイメージが日本に固有のものであることを、ごく自然なこととして広く共有できている社会に生きる私たち日本人には、このことはなかなか想像するのが難しいかもしれません。

民間信仰の神、蘇府大王爺が祀られている廟
民間信仰の神、蘇府大王爺が祀られている廟

歴史が「台湾らしさ」を複雑にする

 「台湾らしさ」が捉えづらいのは、台湾が経験してきた複雑な歴史と深い関係があります。詳しくは本編で掘り下げていきますが、もともとは原住民の土地だった台湾に、早くは明代に移住した漢民族が自らの文化を持ち込みました。近代には日本の植民地となり、日本の文化が持ち込まれました。戦後にやってきた蔣介石率いる国民党政府は、台湾に残る日本らしさを徹底的に排除し、台湾を正統な中国に作り変えようとしました。

 現代の日本人が一般的にイメージする「台湾らしさ」とは、概ねこの戦後になってから作られた「正統な中国としての台湾」を指していますが、上述の通り台湾では支配的な文化が次から次へと変化してきたことを考えれば、私たちが想像する「台湾らしさ」が、じつはその表層でしかないということがなんとなくわかってもらえるのではないかと思います。

 さて、そんな台湾は、近年さまざまな観点から国際社会の注目を集めています。そのうち、もっとも大きな関心事が中国との関係でしょう。台湾は日本にとっても地政学的に重要ですから、当然他人ごとではありません。

「優等生」のジレンマ

 メディアなどで台湾が話題になる際も、おのずと中国の存在を意識したような文脈で報道されることが多くなります。2025年の現在、中国は習近平が慣例を無視して三期目となる長期政権に突入しており、ロシアと並び権威主義的な国家の代名詞のように捉えられています。ロシアによるウクライナ侵攻以後、世界は民主主義陣営と権威主義陣営に二分され、台湾はまさにその争いの最前線にある民主主義陣営の砦として位置付けられました。

 また、蔡英文率いる民主進歩党(略称、民進党)が政権を握ってからは、脱原発や同性婚の法制化などの政策を実現させ、続くコロナ禍では「優等生」と呼ばれるほどの存在感を見せていたことは記憶に新しいところです。当時の日本のメディアでも、台湾を賛美することばが目立つようになり、たんなる民主主義陣営の要諦としてだけではなく、民主主義そのもののお手本としても語られるようになりました。日本において台湾は、日本にとっての「正しさ」や「好ましさ」とともに語られることが多くなった、とも言えるでしょう。

 とはいえ、日本や他の国々からそのように見られるようにするということは、台湾政府の戦略でもありました。世界のほとんどから国家として承認されていない台湾は、そのようにして世界に向けて存在感を示す必要があったからです。実際、元行政院長の蘇貞昌は、コロナ禍において「台湾は優等生になる必要がある。でなければ世界に忘れられてしまう」という旨の発言をしています。ですから、結果的にその戦略は概ね成功したわけです。

 これですべてうまくいったのでしょうか。これからずっと、ほんとうにこのままでよいのでしょうか。小さな島国である台湾が、激動する世界のなかで生き残るには、たしかにそうするしかないのかもしれません。

 しかし、そのために台湾は「正しく」「好ましく」あり続けなければならず、ある時突然、そうではなくなった途端に私たちは興味を失ってしまう……そのような状態でよいのでしょうか。「優等生」でないと誰にも相手にされないからと必死で努力する隣人の姿には、敬意を感じながらも、一方でなにかやるせなさを感じるような気もします。むしろ、「優等生」でなくてもよい、「正しく」も「好ましく」もなくてもよいと、世界の評価とは関係なくその存在を認め、正しさや利害関係とは無縁の、ほんとうの関心を向ける人々がいてもよいのではないでしょうか。

「台湾らしさ」を考えると、日本を意識せざるを得ない

 台湾が今まで辿ってきた運命を振り返れば、今の世界でそれが最もうまくできるのは、ほかでもない私たち日本人です。なぜなら、日本と台湾はただの隣人ではなく、ましてや赤の他人などではないからです。

 台湾はかつて日本の一部でした。日本の統治以前の台湾では、現在のように台湾という「まとまり」が意識されていたわけではなく、住んでいる人々はみなバラバラでした。帝国主義の時代に近代的なまなざしを向けることによって、台湾にその「まとまり」を生み出したのは日本人です。ですから、台湾人が台湾という「まとまり」を考えるとき、すなわち「台湾らしさ」を考えようとするとき、どうしても日本を意識せざるを得ないのです。

 ところが、台湾人にとっては日本とはそのような(良くも悪くも)特別な記憶であるにもかかわらず、私たち日本人は、今日では多くの人々がそのことを忘れてしまっています。現代の台湾人が中国語を話すというだけで、あたかも台湾がはるか昔からずっと中国の一画だったかのようで、どこかまったく別の文化と価値観を持つ国のように感じている人もすくなくありません。台湾が中国語を話す国になったのは、太平洋戦争が終結してからだったのにもかかわらずです。

「家族」として台湾を知るということ

 冒頭の話に戻りましょう。「台湾らしさ」とはひとことでは言えない、さまざまなイメージの集まりなのでした。そこからもわかるように、いま台湾人は、その複雑な歴史の記憶を行き来しながら、それらを克服し乗り越えうる新しいアイデンティティの形を作り上げようとしています。そうして生まれつつあるアイデンティティのなかには、かつて私たち日本人が残したものも組み込まれています。

 その意味では、私たち日本人と台湾人は別の存在ではありますが、同じ過去を共有する「家族」のようなものだとも言えるかもしれません。であれば、家族が優等生であるかどうかを気にすることにいったい何の意味があるでしょうか。優等生だろうがそうでなかろうが、家族は家族のはずです。私たち日本人が、唯一その記憶を共有する他者として今一度そのことを思い出すことができれば、隣人が力を振り絞って立つその足元に寄り添い、またそれだけでなく、お互いに支え合うことすらできるはずです。台湾の過去に日本人が深く関わってきたことを考えれば、台湾を知るということは私たちにとっては自身の過去と向き合うことを意味します。「台湾学」という知のあり方は、まさしく、温故知新という言葉のとおり、巡り巡って私たち自身を知ることにもつながっていくでしょう。

 これから本書が伝えたいのはそのような台湾の複雑さと、その複雑さの背景にあるさまざまな事情です。そこで一貫して中心に据えたいのは、台湾についての「語り」です。それは、私たちのような他者による語りでもあり、台湾人自身による語りでもありえます。

 語りに注目する理由は、台湾ははるか昔、台湾がまだ私たちの想像するような台湾ではなかったころから、他者の目に晒され、他者のことばによって語られてきたからです。語りとは、自分ではないほかのだれかを代弁する行為で、そこには必然的に、語るものと語られるものという権力構造が立ち上がります。台湾は、台湾と呼ばれるようになってから現在に至るまで、そのような権力への抵抗と闘争を続けているのです。

 ですから、台湾を知るということは、かつて台湾が他者によってどう語られてきたのか、そしてそれを受けていま台湾人自身がどう語り継いでいこうとしているのかを知ることにほかなりません。

 他者を知るとは、他者がそれをどうしてもしなければならない理由を理解するということです。それでは、台湾という他者を知るための旅に出発しましょう。

『日本人のための台湾学入門』目次

はじめに
第一章 台湾へのまなざし
第二章 台湾のはじまり
第三章 その言葉はだれのものか──言語をめぐるカルチュラル・ポリティクス
第四章 「台湾らしさ」とはなにか──抵抗の諸相
第五章 「台湾らしさ」とはなにか──包摂の諸相
終章 「家族」としての台湾
あとがき

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