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日本初の色見本帳は、どうして生まれたか? 勝井三雄『曜変天目あるいは心』

記事:白水社

勝井三雄著『曜変天目あるいは心』(白水社刊)は、時代や社会の流れと世界の動きのなかでデザインの役割に熱い視線を注ぎ、ひたすら未来を見つめ探求を続けてきた稀代のグラフィックデザイナーの生き方と思想、デザインと美意識、教育論、次世代へ贈る熱いメッセージが詰まった一冊。代表作30点をカラーで収録。
勝井三雄著『曜変天目あるいは心』(白水社刊)は、時代や社会の流れと世界の動きのなかでデザインの役割に熱い視線を注ぎ、ひたすら未来を見つめ探求を続けてきた稀代のグラフィックデザイナーの生き方と思想、デザインと美意識、教育論、次世代へ贈る熱いメッセージが詰まった一冊。代表作30点をカラーで収録。

『現代世界百科大事典』全3巻 色彩計画のための「カラーチャート」 1971-1972[勝井三雄『曜変天目あるいは心』(白水社)P.308─309より]
『現代世界百科大事典』全3巻 色彩計画のための「カラーチャート」 1971-1972[勝井三雄『曜変天目あるいは心』(白水社)P.308─309より]

色を共有するための辞書

 『現代世界百科大事典』とは違った意味で非常にシステマティックな仕事で、結果的に私に大きな影響を及ぼしたものとして「DICカラーガイド」の制作があります。「大日本インキ」という会社に依頼されて、田中一光、イラストレーターの灘本唯人と私とで半年ほどかけて、印刷の色を指定する際の基準となるカラーガイドを創りました。

 最初に通常の印刷で出せるありとあらゆる色、トータルで1万色くらいの色を刷って、それを少しずつ汎用性の高い641色に絞り込み、それをカラーチップにしてどういう色をどういう順番に並べるかを決めて三巻に綴じた色見本帳です。

 参考にしたのは、その頃比較的知られていたマンセルのカラーシステムの表です。マンセルの表は三次元的に捉えると、卵のような形をした色の立体になります。卵の殻の部分にあたる表層には純色があり、中心部に向かって明度の諧調があり、さらに上下に黒から白に至るグレースケールになっています。

 もう一つオストワルトの表というのがあって、これは幾何学的に考えられていてわかりやすいところがあるのですが、再現してみると色の濃度表現がどうも画一的で実際には使いづらい、というかデザイナーにとってのリアリティから遠い。そこでマンセルの表を参考にしました。

 その頃日本には色見本というのはあるにはあったのですが、色をシステム的に捉えてそれを見本帳にしたものは皆無でした。つまりデザイナーが印刷所に色を指定するにしても、基準にするものがないのでコミュニケーションがうまくいかない。しかしバックデータのある色見本帳のチップを渡せば、その通りの色が印刷できます。

LITHRONE project: the appearance of light-c 2008[勝井三雄『曜変天目あるいは心』(白水社)P.340─341より]
LITHRONE project: the appearance of light-c 2008[勝井三雄『曜変天目あるいは心』(白水社)P.340─341より]

 これはグラフィックデザイナーばかりではなく、自動車やファッションや建築などあらゆるジャンルで使えます。つまり色見本帳がいわば色の辞書として確かなコミュニケーション言語の役割を果たして、色のイメージを共有することができやすくなります。

 色は無限にあって連続的に変化していますから、ある色とある色との間には無数の色が存在しています。そんな無数の色に無数の番号をつけることは不可能です。しかし641色の基準があれば大概の色は表現できますし、もしさらに微妙な表現をしたければ、この番号とこの番号の間というように具体的にイメージを伝えることができ、印刷する人とのコミュニケーションもより確かになります。

 これは色の世界におけるインフラを構築するようなもので、その基準をデザイナーが関わってつくったというところに意味があります。色は人の感覚と強く連動していますから単純に数学的に配分できるようなことではなく、しかも色に関する人の記憶は曖昧ですから、共通の基準がなければトラブルの元です。それに加えて色には色彩の相互作用があって、同じ色でも異なる色のそばに置けば違って感じるのでなおさらです。

 つまり色見本は大変便利な基準になり得ますし、それを創ったことには大きな意味があると思います。ただデザイナーとして何かを表現する上では、それで満足するわけにはいきません。1万色の色を刷って、そこから641色を抽出したということは、逆に言えば9359色の色を外したということです。それ以外にも色は無限に存在します。ですから私は、この色見本を使う時にも、その隣にあるかもしれないもっといい色、表現したいイメージにより近い色の存在を常に意識しています。しかも同じ色を刷ったにしても、当然のことながら印刷する紙によって色は微妙に変わります。明るいところで見るか暗いところで見るか、どんな光源によって見るかでも大きく違います。

 さらに複雑なことがあります。人は多くの情報を視覚で判断しますけれども具体的には何かを見た場合、眼は光に瞬時に反応して水晶体というレンズを介して網膜に像を結び、視細胞がそれを知覚し脳に伝達します。そのスピードは極めて速く、10ミリ秒から80ミリ秒のあいだには、ほとんどの信号が大脳皮質に達します。ところがどうやら、色、形、動きを知覚する時間には違いがあり、視覚神経はまず色に、そして形、動きという順に認識していくようです。つまり色は最初に認識されて強い印象や感情を喚起するにもかかわらず、その色のことを人はなかなか正確には記憶できない。むしろ形の方が記憶に残りやすい。これはグラフィックデザイナーである私にとって極めて興味深いことに思えます。

勝井三雄展 兆しのデザイン 2014[勝井三雄『曜変天目あるいは心』(白水社)P.355─356より]
勝井三雄展 兆しのデザイン 2014[勝井三雄『曜変天目あるいは心』(白水社)P.355─356より]

 いろいろな情報を得た後で、人はそれに対してさまざまな判断をしますけれども、その時、必ずしも論理や意味で判断を下すわけではありません。私たちはすべてのことを、五感が感じた感覚や、それによって自分のなかに湧き上がった感情などをもとに、無意識のうちにも総合的に判断して何かをしますし、むしろ感情がしばしば判断を大きく左右します。

 その時、色彩というのは非常に複雑な要素を持っていて、色の具体的な記憶はどんどん移ろいます。ところがそこで感じた感情のようなものは比較的強く記憶に残ります。記憶されにくいけれども感情と強く連動している色、そしてその後に知覚される形や動きやそれらの関係はデザインにとって興味深いテーマだと思います。それというのも私たちデザイナーにとっては、その兼ね合いが、あるいはそれによって呼び起こされる感覚や感情が、作品を創るときのモチベーションや目指す作品と直結しているからです。そしてそのような感覚や感情と密接に関わり合っているところが色彩の面白さです。

 ともあれ、色見本帳は一つの基準を創ることで色を共有し正確に色を再現するための道具です。ですから「DICカラーガイド」は、日本で初めてのスタンダードな色の辞書の役割を担いましたし、それをつくる仕事を通して私は色のグラデーションということを強く意識するようになりました。

勝井三雄『曜変天目あるいは心』(白水社)目次より
勝井三雄『曜変天目あるいは心』(白水社)目次より

【勝井三雄『曜変天目あるいは心』(白水社)「第Ⅰ部 曜変天目あるいは心/2 方法と個性の構築」より】

【勝井三雄展「兆しのデザイン」インスタレーション】

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