傷つきやすく繊細なあなたに サガンの「孤独の名言集」を送りたい
記事:大和書房
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ひとりでいるときよりも、喧騒のなかに身を置いているときのほうが孤独を感じることが多い。そういう人は少なくないでしょう。サガンは少女時代、両親、姉と兄に可愛がられて育ちますが、それでもこんな雨の日の記憶があります。
「とても幸せでとても甘やかされていながらも、とても孤独だった記憶があります・・・窓ガラスに鼻をくっつけていたとき、もちろん何時間ものあいだ」
もうこのころから、生涯のテーマとなる「孤独」が、サガンの真ん中にありました。
サガンにとっての孤独は、彼女の人生そのもの、生きるとは何か、人間とは何か、 そういったことを考えるときの基本にあるものでした。
もちろん、ひとりきりで過ごす時間もたいせつにしています。
けれど、「紅茶を飲みながらレコードを聴いたりして、ある日の午後をひとりで過ごすことと、本当の孤独とを、私はちゃんと区別しています」。
「あなたへ。疲れました。疲労困憊。もう人に会うのが嫌になったので、ひとりで、2、3日出かけてきます。どこへ行くかは決めていません。パリを離れることはないと思います。とくに深刻な事情があるわけではないけれど、私にはどうしても精神的な休養が必要なの。レジーヌの店はキャンセルしておいて。さもなければ、別の人と行ってもかまわない。できるだけ早く帰ってくるつもりです。あなたにキスを。心配しないでね。飲みすぎに気をつけて。では」
ある日のサガンの書き置きメモです。相手は当時のパートナー、ボブ・ウエストホフ。
このメモをよく読むと、いろいろなことが見えてきます。
サガンが自分自身の状態を、そのまま伝えていること。精神的休養を求めることに罪悪感をいだいていないこと。パートナーに自由を与えていること。パートナーを案じていること。
なにより「ごめんなさい」という謝罪がないところが美しい。
自分のしていることを恥じていないからです。
サガンの作品について、そのペシミズム(悲観主義、厭世主義)を嫌う人もいます。
「私の作品を暗いと非難する人もいますが、どうしようもないことです。人間関係というものは難しいものですから。私は私が知っていることを書いているだけです」
実生活においてサガンは「陽気でいることは、一種の礼儀」と考えていました。
たしかに、たとえその日の気分が陰気で鬱々としていて暗黒であったとしても、それを隠すことは可能なわけだから、外見にそれを表すことは怠慢であり、相手に失礼にあたります。
いつも陽気でいるのは難しいけれど、陽気であろうとする行為は、周囲の人に対する愛情表現のひとつ。それができないときには、なるべく人に会わないでいればいいだけの話です。
ところで、サガンの言う礼儀とは。
「結局、礼儀正しさとは他人を思い浮かべることです。互いに尊敬しあおう、という漠とした配慮をいだいて」
恋愛における「義務」についてサガンは次のように語ります。
「自分のことを愛してくれている人を自分も愛している場合は、愛してくれる人が、自分と同様に幸せになるようにしなければならないのです」
この考えは若いころから変わらず、そして相手の幸せを阻むものは「所有欲」です。
「人は恋愛においてもふつうの人生においても所有したがりますが、これは恐ろしいことです。他人の幸福を忘れてしまうのですから」
所有欲、独占欲は恋愛にもれなくついてくるものですが、やはり相手の幸せを願うならコントロールすべく努力しなければならない感情でしょう。
互いの幸せを願い、愛し愛されている人の表情は美しいものです。
サガンはそれをこんなふうに表現します。
「遠い何かがあるんです、瞳が――よくわかりませんが――郷愁的でありながら、たしかなのです」