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混迷する呼称問題に一石を投じる骨太の古墳案内 『古市古墳群をあるく』

岡ミサンザイ古墳(仲哀天皇陵)。古墳のまわりを一周して見学できる
岡ミサンザイ古墳(仲哀天皇陵)。古墳のまわりを一周して見学できる

発掘調査の進展は市街地開発の裏返し

 百舌鳥(もず)古墳群と古市(ふるいち)古墳群は5世紀を中心に築かれた巨大古墳群です。現在までに確認されている古墳は、両方合わせて230基以上にのぼります。

 現在残されているのは約90基ですが、そのうち49基が世界文化遺産に登録されました。

 百舌鳥と古市は距離的には10キロメートルほど離れていますが、当時の大王墓と見られる古墳が交互に築かれるなど、切っても切れない関係にあります。

 本書の執筆にとりかかった際、古市古墳群は百舌鳥古墳群に比べて調査件数やデータ量が膨大であることに驚いています。

 発掘調査の多くは開発のための事前調査であり、裏を返せばそれだけ開発が激しく進行したことの表れです。開発に伴う発掘調査で新しく見つかった古墳は数多くありますが、それらの古墳のほとんどは調査終了と同時に消滅の運命にあります。

東山古墳の埴輪出土状況(2014年)
東山古墳の埴輪出土状況(2014年)

世界遺産登録後に残された課題

 宮内庁は静謐と尊厳を保持していくとの理由から、陵墓古墳を一般には公開していません。

 きれいに整備された陵墓を見ると、一見厳重に保存されていると思われますが、そうではありません。宮内庁が陵墓として管理しているのは、古墳全域ではないのです。

 宮内庁の管理地はフェンスで囲まれていますが、この範囲には科学的な根拠がなく、大部分は墳丘部とせいぜい一重目の周堀だけが指定範囲です。

 宮内庁が陵墓の指定範囲を画するためにフェンスを設けると、フェンスぎりぎりまで開発が進み、境界の外側はかえって開発の餌食となっています。

 誉田山(こんだやま)古墳(応神天皇陵)は陵墓に指定されていますが、宮内庁が管理している区域は墳丘本体と内堀、内堤までです。宅地化が迫ってきたため、1988年に西側の二重目の堀と外堤部分が国史跡に指定されました。

 しかし北側、東側の外堀、外堤部分は単なる周知の埋蔵文化財包蔵地である土師(はじ)の里遺跡と茶山遺跡で、開発を止める手立てはありません。

 市野山古墳(允恭天皇陵)の西側はマンションが林立しています。

 仲津山古墳(仲姫命陵)やその他の陵墓古墳周辺も、古墳の範囲内にもかかわらず、宮内庁管理部分の外側は住宅が建て込んできています。

 世界遺産条約ではバッファゾーン(緩衝地帯)を設けることが必要とされていますが、古墳本体部分まで開発が進行しているのが現状です。

 宮内庁が行う陵墓古墳の改修工事などに伴う発掘調査では、波浪による浸食で墳丘裾が崩落していることに加え、農業用水の確保などのために本来の墳丘が削られ、築造当時の姿からはひとまわり小さくなっていることがわかってきました。

 学会の再三の要望にもかかわらず、宮内庁は「陵墓の現状維持が目的で復元的整備をしない」との立場をとり続けています。

住宅に囲まれた前の山古墳(日本武尊白鳥陵)の拝所
住宅に囲まれた前の山古墳(日本武尊白鳥陵)の拝所

学校教科書と現地での呼称に大きなギャップ

 今、私たちが見ている古墳の多くは、近世から明治期にかけて改変された姿です。

 世界文化遺産登録推薦にあたっての提案のコンセプトでは、「5世紀前後の倭国王を中心とした支配者層の権力の強大さを示すものとして、古墳文化を代表する資産である」としていますが、「現状では19~20世紀の近代化遺産ではないか」との指摘もあります。

 本来の形がわからないまま、現在の護岸のラインで墳丘裾が固定されてしまうと、一般の見学者に誤解を与えるだけでなく、将来墳丘に立ち入ることができても、古墳の外形研究に大きな支障を来すことになります。

 陵墓関係学会では、世界文化遺産に登録された直後の2019年7月23日、構成資産の十分な保存・管理を図り、地域や社会への公開を原則とした活用と、少なくとも学術的な観点にもとづく名称の併記を求めて「百舌鳥・古市古墳群の世界遺産登録決定に関する見解」を発表しました。

 近年、学校教科書でも、大山(だいせん)古墳(仁徳陵)などと遺跡名称と陵墓名が併記されることが定着してきています。

 しかし、世界遺産登録の前後から「仁徳天皇陵古墳」などとする呼称が、行政文書をはじめ道路標識や解説板などすべて登録名称に統一されました。間違った呼称がすでに一人歩きしていることに大きな危機感を覚えます。

墳丘に登れるなど親しみやすい古墳がいくつも

 現地では開発が進むにつれて古墳も消滅の一途をたどってきました。

 しかし、幸いなことに古市古墳群では、堺市の大塚山古墳のような大型前方後円墳の破壊はなく、開発の餌食になりそうな小規模古墳を、先まわりして一括史跡指定するなど行政主導で保存された古墳もあります。

 津堂城山(つどうしろやま)古墳や野中宮山(のなかみややま)古墳など花見の名所になっているところもあり、市民と古墳との距離が近いことが感じられます。

 古市古墳群は市街地の中に密集しており、大型バスなどの入る余地はなく、乗用車でも駐車できるところは限られています。

 考古学は、英語のarch(a)eologyをもじって「あるけオロジー」ともいわれており、自分の足で歩いて古代の息吹を感じてください。本書が、古墳探訪の手助けになれば幸いです。

四季折々の花が楽しめる津堂城山古墳。墳丘にも登れる
四季折々の花が楽しめる津堂城山古墳。墳丘にも登れる

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