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文化財保護の観点から物申す硬派の古墳案内 『百舌鳥古墳群をあるく』

いたすけ古墳に棲み着いたタヌキの一家
いたすけ古墳に棲み着いたタヌキの一家

世界遺産登録後の環境変化もフォロー

 大阪府堺市にある「百舌鳥(もず)古墳群」は、藤井寺市と羽曳野市にまたがる「古市(ふるいち)古墳群」とともに世界文化遺産に登録されました。最近では遠くから訪れる人も多いようです。

 大山(だいせん)古墳(仁徳天皇陵)は日本史の教科書には必ず登場し、誰でも知っていますが、それ以外の古墳については地元でもあまり知られていません。

 行政機関や観光団体からは、訪れる人のために案内図やパンフレットが数多く出されているものの、もう少し詳しく知りたい人には物足りなさを感じるのではないでしょうか。かといって発掘調査報告書は専門家向けで、一般の人にはなじみにくく、古墳めぐりをするための手軽な解説書が望まれています。

 古墳の歴史的変遷や背景も含めて、さらに知識を深めたい人のために執筆した本書ですが、このたびの増補改訂第2版では、最新の発掘調査結果などを反映させて、掲載データを全面的に見直し、景観に大きな変化の生じている古墳は写真も撮り直しました。世界遺産登録後の周辺環境の変化なども極力記載するようにしました。

美しいプロポーションのニサンザイ古墳
美しいプロポーションのニサンザイ古墳

古墳には誰が葬られているか

 これは最も興味深いテーマのひとつですが、日本の古墳からは墓誌など被葬者を特定するものは副葬されておらず、誰が葬られているかは定かではありません。

 わずかに奈良県明日香村の野口王墓古墳は鎌倉時代の盗掘記録から天武天皇・持統天皇合葬陵であることがほぼ間違いないと考えられています。そのほか京都市山科区の御廟野古墳は天智天皇の、大阪府高槻市の今城塚古墳は継体大王の墓であることが有力視されています。

 現在、宮内庁では「○○天皇陵」などとしていますが、これは幕末から明治にかけて、平安時代に編纂された『延喜式』などに基づいて指定(宮内庁用語では「治定〈じじょう〉」)されたもので、科学的な根拠に乏しいものが少なくありません。

 大山古墳は仁徳天皇の墓とされていますが、息子である履中天皇の墓(石津ケ丘古墳)のほうが先につくられていることが定説になっています。そればかりか仁徳天皇は140歳まで生きたことになっており、実在性そのものが疑われます。

 万世一系を正当化するため、系譜のちがう大王同士を親戚のようにつなぐための架空の人物ではないか、とも考えられています。

宮内庁が陵墓関係学会に公開した発掘現場(ニサンザイ古墳)
宮内庁が陵墓関係学会に公開した発掘現場(ニサンザイ古墳)

「天皇陵古墳」という呼称の問題点

 最近の研究の進展により、各古墳のつくられた年代がほぼ推定できるようになってきました。同じ年代につくられた最も大きい前方後円墳が、大王の墓であると考えることもできます。

 しかし、同時代に大王墓と匹敵する規模を持つ古墳がいくつもあり、各地に有力者がたくさんいたことがわかります。また、ひとつの古墳に複数の人が葬られている例もあり、大王一人のための墓であったかどうか疑問です。最近では同時代に大王が複数いたという説も出されています。

 ちなみに、天皇(すめらみこと)という名称が使われるのは、律令制が創始された天武天皇または持統天皇の頃(七世紀後半)から後の時代のことです。したがって、5世紀代の古墳に「○○天皇陵」とするのは誤解を招くことになります。

 このような理由で、研究者によっては「伝○○天皇陵」とか「○○天皇陵古墳」といった呼称を使っていますが、これでも○○天皇の陵というイメージは払拭されません。

 このような理由で、古墳の名称に○○天皇陵とか○○皇子の墓などといった人名、固有名詞を使うのは、適切ではないのです。

古墳名は地名主体で

 通常、遺跡の名前は平城宮跡とか大坂城跡など、その実態が確実にわかっているもの以外は、小字(こあざ)などの地名をつけるのが慣例となっています。

 大山古墳には「仁徳陵古墳」「伝仁徳陵」「大仙陵(だいせんりょう)」「百舌鳥耳原中陵(もずみみはらのなかのみささぎ)」「大仙古墳」とさまざまな呼び方があります。

 本書では、固有名詞や天皇、皇后の墓を表す「陵(みささぎ)」という言葉は使わずに、地元の人々が古くから呼び習わしてきた大山古墳の名称を使うことにします。

 一方、履中天皇陵は、最近では「上石津ミサンザイ古墳」という呼称も使われています。上石津にあるミサンザイ(陵=ミササギがなまったもの)古墳ということですが、これでは範囲が広く固有名詞としては一般的すぎてふさわしくありません。履中天皇陵の敷地のみが石津ケ丘町という地名であり、石津ケ丘古墳と呼ぶのが妥当でしょう。

 また反正天皇陵は同じような理由から田出井山古墳と呼びます。

田出井山古墳(堺市役所21階展望ロビーから)
田出井山古墳(堺市役所21階展望ロビーから)

消滅した古墳もすべて紹介

 百舌鳥に100基以上あった古墳も、現在では44基になってしまいました。

 本書ではすでに消滅している古墳も併せて紹介していますが、古墳があった場所を訪れても、今は住宅などが建て込んで、その痕跡すら残っていません。

 また、現存する古墳でも、宮内庁の管理で一般には公開されていないものも数多くあります。国の史跡に指定された古墳も、多くはフェンスで囲われ、立ち入ることができません。

 見えない部分は、掲載した紹介文や図版をもとに、その姿を想像してみてください。

 本書を片手に、はるか1600年前に思いをはせて、タイムトラベルに出かけてみてはいかがでしょうか。

 ただし、観光スポットというよりも閑静な住宅街にある古墳が多く、一般市民の生活エリアの中ですので、私有地に立ち入るなどの行為は避けていただきますようお願いします。

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