19世紀フランス文学に描かれた未来とは――『ユートピア文学選集』(小倉孝誠監訳)
記事:平凡社
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ユートピア文学とは、今、ここに存在する社会とは異なる社会(理想郷)を構想する、あるいは空想する文学だ。ヨーロッパの17―18世紀は「大航海の時代」であり、さまざまな地理上の発見がなされたことにより、ユートピアは、遠くの場所、しばしば海の彼方の島に設定されることが多く、これを空間型ユートピアと言うことができる。他方、ユートピアを現在ではなく、未来の時代に設定するのが時間型ユートピア文学で、19世紀以降はこちらの方が主流になっていく。
本書は、19世紀フランスで書かれたユートピア文学作品を収めたアンソロジーであり、歴史哲学、社会思想、詩、小説、ジャーナリズム的著作、そしてSF短編小説といった多様なジャンルの作品が収録されているが、どれも未来が描かれている点で共通している。そして、啓蒙思想家コンドルセの作品を本書の冒頭に置いたように、人類の改善可能性や未来の「進歩」への信仰が、ユートピアの前提となっていたことをまずは強調しておきたい。
マルクスによって空想的社会主義者と命名された者たちや、彼らの弟子たちが真っ先に想起されるように、19世紀フランスは、第一に経済学的な考察が無視しがたい重要性を帯びている。イギリスには少し遅れたものの、フランスも19世紀半ば頃から産業革命と技術革新が急速に進展して、産業構造と経済システムを根底から変えていった。当時は初期資本主義の時代であり、それは同時に資本主義がはらむいくつかの弊害(資本による労働者の搾取、貧困、階級間の格差、都市の危険など)に人々が気づく契機にもなった。いかにして生産、流通、消費をひとつの全体的な経済システムとして機能させようとするかを、文学作品のなかで試みた作品が本書にも収録されている。
第二に、その結果として科学やテクノロジーが強く介在してくる。これはSF文学や未来小説との共通点でもあるが、19世紀のユートピア文学にも顕著な特徴である。18世紀までの文学では、制度や法や習俗が改良されることはあっても、そこにテクノロジーの作用は介在しない。19世紀には鉄道、気球、蒸気船などの実用化にともなって交通と輸送構造が大きく変わり、蒸気機関や電気の発明によって鉱工業が飛躍的に発展し、印刷術やジャーナリズムの発達と教育の普及によって、情報と知識が流通する速度が劇的に高まった。
まとめるならば、19世紀フランスのユートピア文学は、産業構造と科学技術の「進歩」に期待が込められていたことは間違いない。もちろん、本書第Ⅳ部に収録された作品が証言しているように、たんに理想郷を描く物語に惑溺していたわけではなく、その先に困難な時代や状況が到来しうることも予期していたことは、指摘しておいてもよいだろう。
現代では進歩思想は評判が悪い。実際、20世紀から現代に及ぶ世界史の流れを一瞥すれば、進歩思想に懐疑的になるのはあまりに当然だろう。科学やテクノロジーの加速度的な発達が、しばしば人類の叡智を蔑ろにして暴走し、人間社会と歴史に途方もない災厄をもたらしてきたことを、われわれはよく知っているからだ。
戦争、政治的な緊張、社会的分断の先鋭化、気候変動がもたらす惨事、AIなど先端テクノロジーが惹起する懸念などが世論を賑わせる現在、われわれが世界と人類の未来にたいして楽観的になるのはむずかしい。進歩的なヴィジョンをいくらか侮蔑的に冷笑し、諦観と悲観主義を標榜するほうが聡明に見えてしまうのが現代だろう。
しかし広義のユートピアに希望を託した人々、矯激な夢想に身を委ねた者たちが世界と社会を変えてきたのも事実である。楽観主義はけっして愚鈍さのしるしではなく、悲観主義はかならずしも賢明さの証ではない。現在をより良い状態に改善し、未来への希望を育むことができるのだという期待があってこそ、人生は生きるに値するだろう。現時点では存在しないが、近い未来において望ましいものや制度を想像/創造するのも、文学の役割のひとつに違いない。