ホラー小説の波瀾万丈の歴史をひもとく――朝宮運河『日本ホラー小説史』
記事:平凡社
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「令和のホラーブーム」という言葉をよく見聞きするようになった。
近年は若い世代を中心に、映像・小説・マンガ・ゲームなどさまざまな媒体で、恐怖を扱ったコンテンツが人気を博している。このブームを象徴するのが2025年7月から9月まで東京・渋谷のギャラリーで開催された体験型イベント『恐怖心展』だろう。尖端恐怖症、閉所恐怖症などさまざまな“恐怖心”を題材にした展示品を並べた会場には、13万人が詰めかけ、大きな話題を呼んだ。
ホラーを専門とする書評家・ライターである私のもとにもこの1、2年、ホラーブームについてのコメントを求める依頼が新聞・雑誌などから舞い込むようになった。その際に私が強調したのは、令和のホラーブームは何もないところから突然生まれたのではなく、そこにいたるまでの歴史的経緯がある、ということであった。令和のホラーブームは2010年代の、さらには00年代、1990年代の遺産を受け継いで、大きく花開いたものなのだ。
たとえば昨今のホラーブームにおいて注目を集めている、“モキュメンタリー”と呼ばれる作品群をご存じだろうか。本物そっくりに作られた疑似的ドキュメンタリーのことで、ネットの投稿や雑誌の記事などを作中に取り入れ、生々しい恐怖を演出した背筋のホラー小説『近畿地方のある場所について』がその代表的なものだ。
近年、ホラーファン以外にも広く知れ渡るようになったモキュメンタリー作品だが、そのルーツは意外にも古い。たとえば1897年に刊行され、後の大衆文化に絶大な影響を与えたブラム・ストーカーの『吸血鬼ドラキュラ』は、作中人物の日記や手紙、新聞記事などから構成された長編で、手法的には現代のモキュメンタリーと共通する部分が大きい。令和のホラーブームは、世界を流れるホラー史という大河の一部分とみなすことも可能だろう。
本書『日本ホラー小説史』は、令和のホラーブームがどのような状況から生まれ、日本のホラーがどのような発展を遂げてきたかを、戦後の文学作品を中心に記述するホラー入門書である。多くのホラー作家が活躍し、ホラーカルチャーに関する批評・研究も少しずつ増えてきている現状にあって、日本ホラー小説史を主題に書かれた本は、今のところまだ存在しない。今回のブームをきっかけにホラーに関心を持った読者が、日本ホラー小説の歩みを簡単に辿れるようなコンパクトな文学史が、そろそろ必要とされているのではないか。本書はそんな思いから執筆された。
本書の執筆にあたっては、ホラー小説の知識がまったくない人でも読み進められるよう、できるだけ分かりやすく、平易な記述を心がけた。言及した作品の主なものについては、簡単な内容も紹介しているので、ホラー名作ブックガイドとしても役立てていただけると思う。気になったものはぜひ、書店や図書館で探してみてほしい。
また大衆文化としてのホラー小説は、映画やドラマ、マンガ、ゲームなど隣接する表現ジャンルと相互に刺激を与え合いながら発展してきた。とりわけ戦後のホラー小説を語るうえで、映画との関係は無視できない。そこで本書では紙幅の許す限り、そうした周辺ジャンルについても言及している。1950年代の空飛ぶ円盤ブーム、70年代のオカルトブームなど、ホラー小説と関わりが深い流行についても取り上げた。風変わりな戦後文化史として、本書を楽しんでいただくことも可能かと思う。
ホラーとひと口に言っても、そこにはさまざまな作風・傾向があり、題材やテーマがある。恐怖に特化した作品もあれば、幻想性や不思議さを強調したものもあり、ノスタルジックで哀切なものもある。ユーモラスで笑いを誘うようなホラーも存在する。多くのホラー小説を取り上げた本書をきっかけに、このジャンルにあらためて関心を抱いたり、ホラーをこれまで以上に好きになってもらえたりすると、筆者としては本望だ。
では恐怖に彩られた、スリリングな戦後文学史の幕を開けるとしよう。
はじめに
序章 日本ホラー小説前史
第1章 ホラー小説の曙
第2章 高度成長期におけるホラーの展開
第3章 幻想と怪奇の時代に
第4章 ホラー黄金期の到来
第5章 停滞期から令和のホラーブームへ
おわりに
関連年表
主要参考文献