――現在のホラーブームをどう見ていますか。2024年がピークなのか、それともさらに伸びていく可能性があるものなのでしょうか。
現在のホラーブームは映像作品やインターネットサイトのコンテンツなどをきっかけに、これまでホラー小説を読んだことがない人が入ってきて大きくなっている実感があります。その人たちが今後定着してくれれば、一過性のブームでは終わらないと思います。とくにここ数年だとモキュメンタリーホラーがさまざまに展開するなど、進化が加速しています。
――新しいタイプの怖さを競っているという状況ですか?
そうなっている面もありますが、恐怖というのは原初的な感情で、きのうきょう生まれてきたものではないですよね。モキュメンタリーで書かれている恐怖であっても、民話、あるいは神話で描かれている恐怖であっても根っこの部分の怖さっていうのは実はあまり進化とかとは関係ないんです。日本では1990年代にホラー小説が文芸ジャンルとして確立し、インターネットやSNSの発展を受けて、若い人にさらに受けいれられる形に変化しています。
――1990年代以降、日本でホラーが書かれ、読まれる社会的な背景は?
社会不安の時に求められるのはホラーだと言われますけども、やはりパブル経済崩壊以降のなんとも先の見えない感じや、大震災が続き、日常がどうなっちゃうかわからないっていう感覚を多くの人が共有していることではないでしょうか。作家の鋭敏な想像力がそういった社会的なムードを捉えて、不安とか恐怖を作品に生かしているかなという気がします。貧富の差が拡大していく状況の中でホラーブームが育ってきたということは注目に値しますが、それを緻密に分析していくのは社会学者の仕事かなと思っています。
――評価が高まる一方、ホラー作品が迷信や差別を流布する装置になっていたという批判もあります。
難しい問題ですね。ホラー作品は、人間の切実な思いを最も鮮明に表現できる場です。死んだ人にもう一度会いたいとか、死後も生きていたいとか、さまざまな思いがあって、それをホラーはすくい取っています。科学がいくら進んでも、死後がどうなっているかは、わからないんです。
日本の幽霊譚には女性が多く登場します。江戸時代の武家社会のもとで虐げられている人たちだからです。地位が低く、人権も与えられていない人たちがお化けとなって出てくる。現実社会ではいくら声を上げても武士に敵わない、力でも、地位でも敵われないけれども、お化けとなることで声をあげることができる。お化けとして出てくるしかないわけです。それを当時の人々は享受していました。
――震災後、怪談が大切な人を失った悲しみに寄り添い、喪失感を癒やすグリーフケアの役割を担っていたとも言われているのと似ていますね。
ホラー作品にもプラスの意味というのは必ずあると思っています。『怖い話 名著88』でも紹介していますが、シルヴィア・モレノ=ガルシア(1981~)の『メキシカン・ゴシック』(青木純子訳、早川書房)は、家父長制の残る昔ながらの貴族的な暮らしを守るために我慢を強いられる女性たちを描いています。その社会的な矛盾は、ホラーとして描かれることでいっそうおぞましいものに見えてきます。迷信を流布、拡散してしまう一面もあれば、因習を内側から破っていく視点を与えるものでもあります。英文学者の小川公代さんは『ゴシックと身体』(松柏社)で、ゴシックロマンスを家父長制に抗うための文学と位置づけています。
また、ホラーの歴史に大きな影響を与えたH・P・ラヴクラフト(1890~1937)は人種差別的な思想の持ち主だったことが明らかになっていますが、これに対してマット・ラフ(1965~)が書いた『ラヴクラフト・カントリー』(茂木健訳、創元推理文庫)は、差別対象になっている黒人を主人公にし、古典ホラーを現代に再生させるという試みでした。ホラー小説も時代の価値観の変化とともに変わってきています。
――『名著88』はホラー史を追って作品を紹介しているだけに、その変化もはっきりわかりますね。
題名でも示したように『現代ホラー小説を知るための100冊』はかなりがっちりとホラー小説を定義し、最先端の作品まで深掘りしています。一方、『名著88』は横に広げて恐怖を描いた文学作品を広く取り上げています。『100冊』には「併読のススメ」もあり、紹介している作品は300冊以上になります。もちろん、今回のために読みかえした作品はもっと多いですね。読みかえしていくうちに、怖いものを書いてきた方々に対する尊敬の念を強くしました。
「怪奇幻想ライター」になるには
――どういう幼少期を過ごすと「怪奇幻想ライター」になるのですか?
子どものころは寺村輝夫さんの絵本『おばけのはなし』(絵・ヒサクニヒコ、あかね書房)とかを親にねだって買ってもらっていました。怖いのだけを読んでたわけじゃないんですけれど、印象に残っているものはこういう不思議な話、お化け・妖怪の話が多かったですね。
また母方の祖母が妙に怪談話がうまかったんです。夏休みに遊びにいくと、怖い話をしてくれて、それが妙に楽しかったんですね。姉と弟は2人ともあまり興味がないので、僕だけが夢中になって楽しく聴いていたっていう感じですね。お菊さんの話(「皿屋敷」)とか「牡丹灯籠」とか、日本の怪談もよく話してくれました。一番覚えているのは、ポーの『黒猫』で、「こうやって人を壁に塗り込めるんだよ」なんて話してくれるんです。おばあちゃんの家の風呂場のタイルがなぜか真っ黒で、ポーの話とつながって怖かったのを覚えています。
ただこの頃まではふつうの本好きの子どもで、集中して読み出したのは大学からですね。地元の函館を離れて、京都の同志社大学に入学して良かったことが二つあって、一つは本屋さんが大きかったこと。函館だと見た事がないような本がたくさん並んでいて驚きました。もう一つは泉鏡花研究で知られる田中励儀先生がいらっしゃったことです。とても優しい先生なんですけれど、怖い話や不思議な話のことを嬉々として話すのです。こんな大人の人がいるんだってびっくりして、こういう仕事もあるのかと思ったんですね。それまで怖い話が好きということには少し後ろめたいような気持ちもあったので、救われたように感じました。
田中先生は鏡花のことなら何でも知っていて、鏡花が出てくれば「文豪ストレイドッグス」のようなアニメ作品まで見ている。理想的な仕事に思えたのですが、当時は就職氷河期で、先輩たちもほぼ就職できなくて、仕送りで食っているんです。それで研究者への道をあきらめて、京都でフリーターをしながら、文芸評論家の東雅夫さんが手がけた雑誌「幻想文学」に書評を投稿をしていました。「幻想文学」は2003年に終わってしまいましたが、その後、東さんがオンライン書店の先駆けのようなサイトで書評を募集されていたんです。そこにも引き続き書評を送っていたら、東さんが僕の名前を覚えてくださって、新たに怪談専門雑誌「幽」(KADOKAWA)を立ち上げるときに、お声がけしていただきました。それから商業誌で書評などを書くようになったという感じなんです。
――当時は兄弟誌の「怪」に水木しげるさんや京極夏彦さんが登場していて人気でしたね。
お化け好きでも妖怪好きな人と幽霊好きな人って微妙に分かれるんですよ。妖怪好きは明るい人が多くて、和気あいあいとしているんですが、幽霊の方はもうちょっと深刻な、というか、独りで研究してる感じでしたね。
――その頃からさらに読む量が増えたのですか?
やっぱり一番読めたのは大学の時ですね。今よりも時間がありますから、1日2冊、3冊とか読んでいました。そのころ読んだものが自分の下地になっています。そのなかでも、紀田順一郎さんと中島河太郎さんが編まれた『現代怪奇小説集』が今も自分の指針になっています。これ本当にすごいですよ。1925年から74年までの日本の怪奇小説が一望できます。日本のホラー小説にはこういう豊かな流れがあるんだということがわかる見事なアンソロジーです。今回の『100冊』、『名著88』も含め僕のやっている仕事は、これの延長線上にあると思っています。
――現在はどのくらい読まれていますか?
本を書いているときは読む量は減りますが、それでも週に4、5冊。月に20冊くらいは読みますね。起きている時間は書評のための本を読んだり、資料を読んだりしていて、好きな本をゆっくり読むのは、風呂に入りながらですね。
――読み方のコツはあるのですか?
学生の時は読書ノートをつくって、短編集などは全部あらすじをメモしていました。海外の怪奇小説を集中して読んでいた時は似ている作品も多かったので、かなりメモしていました。ただ、今はメモを取る時間もなくなってしまったので、読みかえすしか手がないですね。あとは本を手放さないこと。家にあれば、アンソロジーを編むときでも、この辺にあったなと思い出せます。読むのはそんなに速くありません。測ったことがあって、だいたい1ページ1分でした。360ページの本なら6時間。だからコツコツ読むしかないですね。
――そうした生活から『100冊』『名著88』が生まれたんですね。改めて選書の難しさはありましたか?
『100冊』は30年間のホラーの歩みを一望できる本っていうコンセプトがありましたので、ホラー小説史に対する貢献の大きさと作品のクオリティの高さを軸に決めていきました。ただそういう視点で選んでいけば、小野不由美さんとかはすごく貢献が大きいので、たくさん入っちゃいすぎる。そこは泣く泣く絞って『屍鬼』と『残穢』の2作にしています。
『名著88』は、自分の好きなもの入れたって感じなんです。怖い話っていうのは連綿と続いてるので、歴史が分かるような本にしたいと思ったんですが、それだと88作品ではとても語りつくせないですよね。それでむしろ私の自分の偏愛作品を入れて広げてみました。野坂昭如さんや源氏鶏太さん、宇野鴻一郎さんといった、普通ホラーと言われたら入ってこないような人の作品まで入れています。
――2冊を読むとホラー文化がいかに継承され、発展してきたかがわかりますね。
100年前に活躍した作家である江戸川乱歩から脈々と次の世代が生まれ、その次の世代がまた影響を受けて育っていくというようにパトンが渡されてるんだなっていうことを編み終えて思いました。日本だけでなく、スティーヴン・キングの作品は日本の作家には大きい影響を与えてますし、三津田信三さんの作品がアジア圏ですごく読まれているという現象があり、文化の交流も改めて感じています。
――2025年以降のホラーの展望は?
現在のホラーブームのなかかから魅力的な作品が次々に生まれてきています。それらを読んだ人たちが次の時代にまた新しい作品を生み出すと思うんですよ。その過程で今回の2冊の本がホラー小説の歴史を知る助けになればと思います。