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ジャニーズや2.5次元の若手俳優に夢中になるかのよう! 北村紗衣『シェイクスピア劇を楽しんだ女性たち』

記事:白水社

 今も昔も、舞台芸術の大きな売りはスターを生で見られることだ。劇作家や演目よりも役者のほうがお客を呼び込むポイントになる。近世イングランドの舞台と女性を考える上でまず押さえておくべきなのは、当時ロンドンの商業演劇にはプロの女優がいなかったことだ。よく勘違いされるが、近世のイングランドには女性のパフォーマーが舞台に上がることじたいを直接禁じる法律はなく、ダンスや演芸、アマチュア演劇などには女性も出演しており、フランスやイタリアの一座に所属するプロの女優がロンドンに巡業してくることもあった。

 ロンドンの商業演劇にプロの女優がいなかったのは、さまざまな風紀関連法規や商業上の慣習のためだったと言われている。役者は貴族を名目上のパトロンとして庇護下に入るなど、法律面での対策をとらなければ浮浪行為で取り締まりを受けるおそれもあった。ロンドンの商業劇場では少年が女役を演じており、女形は近世イングランド演劇に欠かせないものだった。日本では歌舞伎で観客が女形に慣れていることもあり、美しいヒロインを演じる女形は女性にも人気が高いが、近世ロンドンの女性たちは女形をどう見ていたのだろうか。これについてはいくつか興味深い文献が残っている。

 十七世紀の女性作家メアリ・シドニー・ロウスは、ロマンス『ユーレイニア』第一部および第二部で、女役を演じる少年俳優をやんわりと批判している。第一部では、ある女性に求愛されている男性が「まるで、優美な少年俳優が恋する女の役を演じるのを見て、少年だと知りつつそのアクションだけを気に入る程度にしか、心を動かされなかった」と言われている箇所がある。この記述によればロウスは、少年俳優の演技を「美的には心地よいが感情的には納得できない」ものと考えていた。ロウスは戯曲も執筆しており、当時の女性のなかではおそらく最も文芸に通じていた知識人のひとりだが、舞台と現実を厳密に分け、少年俳優を女性として見ることができるイリュージョンの力は舞台上でのみ働くと考えていたようだ。

 『ユーレイニア』第二部には、ある女性登場人物の「演技過剰な様子」を、「立派な女性というより、恋に溺れきった女の役を演じるためけばけばしく着飾った少年俳優に似ていた」と評している箇所がある。女装した少年俳優とわざとらしくふるまう女性が似ているという描写からは、いわゆる「女らしさ」はある程度習って身につけられる演技であり、演技過剰だとかえって男性のように見えてくるという思考が見てとれる。一見、不思議な思考のようだが、現代でも世間で「女らしい」とされている見かけやふるまいが極端になると、まるで女装した男性のような女性だと評されることはよくある。

 たとえば二〇〇七年に亡くなったアメリカのテレビ伝導師、タミー・フェイ・メスナーは、派手な服装や化粧が特徴でゲイにとても人気があり、女性だが女装した男性パフォーマーのようだとして「究極のドラァグクイーン」などと呼ばれていた。ロウスによる少年俳優の描写には、ジェンダーを微妙なバランスで演じられるものと考えている点で、現代に通じるところがある。

 ロウスのこのコメントは有名でしばしば引用されるが、女性が皆、少年俳優についてこのように哲学的で手厳しかったわけではない。現代日本でもジャニーズや二・五次元の若手俳優などは女性に絶大な人気があるが、近世ロンドンの女性たちも、若くてハンサムで美女の役柄も演じられる芸達者な役者に夢中になることがあった。当時のロンドンには少年俳優のみからなる劇団もあり、一六〇〇年代の終わり頃までは、こうした少年劇団は宮廷やブラックフライアーズ座のような屋内劇場で公演することが多かった。

 富裕層向けのブラックフライアーズ座と少年俳優たちは、ふだんは緊縮財政を心がけていて好みもうるさかった女王エリザベス一世や、その宮廷の貴婦人方からもお覚えがめでたかったと考えられている。一六〇五年に、芝居好きだったダドリー・カールトンは、少年俳優による上演に熱心に通っていた女性たちを、からかいをこめて「ブラックフライアーズ姉妹団」と呼んでいる。女性たちが若いスターに夢中になるのも、それを見た男性がバカにするのも、現代とそれほど変わりはなかったようだ。

(『シェイクスピア劇を楽しんだ女性たち 近世の観劇と読書』より抜粋)

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