関西人はほんとうに納豆が嫌いなのか 野瀬泰申『決定版 天ぷらにソースをかけますか?』より
記事:筑摩書房
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秋田についてはミルフォードさんからいただいた次のメールで「納豆に砂糖」地帯であることが裏付けられる。
「以前、某テレビ局の番組で納豆をとりあげていたときに、女性アナウンサーと女性雑誌編集者(どちらも秋田県横手市出身)が「子どものころ、納豆に砂糖をかけていたよね……」という話題を提供していました。横手市内の近くには「納豆発祥の地」といわれる石碑もあり、この辺りは納豆フリークにとっては「聖地」です。秋田- 山形- 福島辺りを個人的に「納豆銀座」と呼んでおり、昨年、車で縦断しながらスーパーの納豆売り場をひたすらチェックしていったのですが、町ごとに独自の納豆(赤いパッケージに白抜きの字が代表的)が根付いており、感銘を受けました」。
このメールがとどめを刺すか。
「秋田県の南部出身です。大学に入るまで地元を離れたことがなかったので、世の中の納豆は全部ひき割りだと思っていました。地元を離れて初めて世の中の主流が粒納豆であることを知り、一種のカルチャーショックを受けました。祖母が砂糖を入れる習慣だったので、そういうものだと思っていましたが、兄が就職して帰省したとき、東京では納豆に砂糖を入れないと聞き、ヘエーと驚いたことを覚えています」(48歳男 広東省深圳市在住 スガさん)。
横手市を中心とする秋田県南部の「食の方言」であることは間違いないであろう。それほど甘いものが好きな地域なのか?
いやいやそんな単純なことではないと「頑固堂」さんは書く。
「納豆の本場、秋田の出身です。東北地方で納豆に砂糖を入れるのは、基本的に甘くするためではありません。多く、自家製の納豆を食べていた時代、ややネバリが足りない納豆ができたりして物足りないときに、ほんの少量、ちょびっと砂糖を入れてかき回すと、とてもよく糸を引くんです。そのための砂糖で、甘じょっぱくして食べるための砂糖ではありません」。
なるほど、かつて日本の家庭では味噌も豆腐も納豆も自家製であった。「手前味噌」という言葉に名残をみることができる。
その自作の納豆をいざ食べようとしたら発酵が未熟で糸を引かない。さてこれをどうしたら美味しく食べられるだろうか。砂糖でも入れてみるか。入れた。混ぜた。おおー、なんだ、この糸の引き具合は。箸で引き上げるとまるで荒縄、いや注連飾りのように強靭な糸の束。そうだ、これからは納豆に砂糖を入れて搔き混ぜることとしよう。
ということが「納豆に砂糖」の始まりであるならば、一種の民俗学ではないだろうか。
その背後にあるのは雪の情景であり、冬の寒さである。納豆に発酵が不可欠なのに、雪に覆われた寒いところでは発酵が進みにくい。室内もいまほど暖房が行き届いているわけではない。すると「頑固堂」さんが書いてきたような「ネバリが足りない納豆」もしばしばできたであろう。それを少しでも美味しく口にするために、たくまずして生まれたのが「納豆に砂糖」。私はこうした食べ方を「不思議」と書いたが、少しも不思議ではなかった。風土がなせる技であった。
「生まれ・育ちは栃木県です。「納豆に砂糖」についてですが、栃木の農村部ではかけていたみたいです。私の家庭では決してかけませんでしたが、小学校の先生やまわりの農家の子の家では砂糖をかけると言ったのを聞いて驚いた記憶があります。でも、どうもそのころの様子からするに、農村でも比較的裕福な家庭に限られていました」(ミシガン州在住の宮島さん)。
秋田県南部に限らない可能性が出てきた。今後のVOTE結果を待とう。どんな「納豆に砂糖」地図ができるのか、楽しみである。
と書いたところで「神奈川育ち愛知西三河在住40歳男性」さんから、重要な指摘をいただいた。市販のパック入り納豆には様々な「たれ」が付いているが、あれには砂糖が入っている。従って「かなりの確率でみんな納豆に砂糖を入れている」わけだから、そのへんをちゃんと考えないといけないという指摘である。今回の「納豆に砂糖を入れるか」という設問は「添付のたれなどを使用するため結果として砂糖が入る」というのは除外する。あくまで砂糖と認識したうえで、自らの意思をもって自宅にある砂糖を加えるケースのみを問うのである。
思えば、九州のスーパーで見た納豆のパッケージには「甘だれ付き」と表示したものがいくつもあった。「たれ」には醬油を使っている。九州の醬油は甘い。砂糖・液糖・ブドウ糖では飽き足らず、甘草(ステビア)、水飴まで加えたものもある。そのような醬油が入った「たれ」を納豆に垂らすということは、九州も意識せざる「納豆に砂糖」地帯ではないか。
シリーズ終盤になって名古屋の「日野みどり」さんから、次のような報告が届いた。我がサイトはこれで一時騒然となる。
「情報誌にKという新しいサンドイッチ店のことが出ており「こ、これはぜひ試してみなければ」という使命感に駆られ、電車に乗って栄のデパートMの地下まで買いに行った次第です。問題のソレは、ホイップクリームがびっしりと詰まったサンドイッチで、二切れがパックになって三百円。真ん中に具(ほとんどクリーム)がてんこ盛りになって、切り口はV字に広がっています。で、包みを開けると、思いっきり糸を引きます。納豆とクリームがないまぜになった糸で、すき間からみじん切りのコーヒーゼリーがほろりとこぼれます。
意を決して食べてみると……納豆にはなんの味もついていません。納豆のくさいのと、コーヒーゼリーの苦いのを、ホイップクリームの甘いのにまぶして食べてる感じです。まずいか……と問われると、まずくありません。これが。不思議と」。
「納豆コーヒーゼリーサンド」である。内容物および味わいについては日野リポート通りである。
と断言できるのは、その後周囲の強制に近い勧めによって名古屋に行き、デパートMの地下一階食品売り場でこの物件と姉妹商品を買って食べたからである。暫してこの店が東京・新宿に支店を出したという話を聞いて某ホテルのテナントとなった店に出向き、再び納豆がコーヒーゼリーとホイップクリームとコラボしたサンドイッチをほお張る栄誉に浴したからである。
そして私は「このような商品を思いついたのみならず、果敢に世に問うた人はエライ」という深い感動に包まれたのであった。
そんなことをしているうちにVOTE結果が出た。
データを眺めていると、日本人の納豆好きがよくわかる。すべての都道府県で「大好き」と「まあ好き」を合わせた「好き」派が半数を超えているのである。中でも秋田県と大分県は「大好き」と「まあ好き」の合計が100%。つまりVOTEをした人の全員が「好き」派だった。秋田県はわかる気がするが九州の大分が名前を連ねているのは意外だった。
では「大好き」の比率が高かった上位10県を紹介しよう(数字は%)。宮城77、宮崎75、山形67、新潟67、鳥取67、大分67、埼玉64、福島64、長野63、青森61。
逆に「大嫌い」が多かった県は福井35、徳島25、滋賀21、佐賀17、愛媛・石川15、高知14、鹿児島13、京都11、和歌山・兵庫10。
想像した通り関西勢が顔をそろえている。大阪から届いたメールの中に「納豆は食べ物と思っていない」というものがあった。その大阪の数字を全部紹介する。
大好き37、まあ好き34、どちらでもない9、嫌いな方7、大嫌い7、食べたことがない6であった。
「納豆を食べるくらいなら死んだ方がまし」というメールを送ってくださった方がお住まいの奈良県も全データ開示。大好き48、まあ好き30、どちらでもない4、嫌いな方4、大嫌い13、食べたことがない0。
大阪府、奈良県とも「大好き」が意外に多いのはどうしたことだ。時代は変わったのか。
「大嫌い」が「大好き」を上回ったか同数になった県が三つある。徳島大好き8対大嫌い25。福井大好き12対大嫌い35。高知大好き14対大嫌い14。この西日本の三県こそが納豆嫌い県のトップ3である。
「大好き」が50%以下だった府県は二十八あるが、そのうち東日本に属するのは岩手、群馬、山梨、静岡の四県だけで、あとはすべて西日本。ということは「大好き」50%超の道県は東日本勢中心ということになる。
今回のVOTEでは、ほぼ「東日本には納豆好きの人が多く、納豆嫌いな人は西日本に多い」という傾向が示されたようだ。しかしかつてはもっと鮮明な地域差があったはず。それが薄れた理由について考察したメールが「いちぜん会」さんから届いている。
「地域偏差の問題が話題になっているようですね。納豆がもともと「季節商品」だったことと関係していないでしょうか。納豆が季節商品だったのは二次発酵の問題とも関係しています。暖かい地方では納豆を作っても二次発酵でアンモニアが濃くなります。この問題を解決してくれたのが冷蔵庫の普及。これで納豆の地域偏差は急速に解消していったように思います」。
どこかの工場でつくられた納豆はコールド・チェーンを通じて、各地のスーパーなどの棚に並ぶ。低温に保たれているから輸送途中で発酵が進むということがない。温暖な地域か寒冷地かを問わない。夏場でも冬場でも関係がない。こうして給食や大学食堂でも年間を通じて供給され、冷蔵庫に安定した状態で保管された後に消費されるのである。
その結果、地域偏差が薄れていることは認めるが、私としては日本地図にまだら模様ながらも、好き嫌いの差が残っていることにこそ注目したいのである。
(『決定版 天ぷらにソースをかけますか?』より抜粋)