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チベット族はなぜ鳥に死体を食べさせるのか? 上田信『死体は誰のものか』より

記事:筑摩書房

original image: Fabio Nodari / stock.adobe.com
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チベット族の重層的な信仰

私が天葬について、チベット族から直接に話を伺った場所は、中国の青海省黄南チベット族自治州同仁県に属するランジャと呼ばれる村であった。州名に「黄南」とあるように、この地域は黄河の上流部の南に位置する。またこの地域はチベット語で、レプゴンと呼ばれる。天葬についてフィールドワークを行ったガザンジェも、この地域で調査を行った。

ランジャ村には、黄河支流の隆務河のほとりの高台の上に、7つの集落が点在している。2003年夏から2007年夏までの期間、演劇研究者の細井尚子、民族音楽研究者の山本宏子と3名で、短期間の調査を繰り返した。

この村の興味深い点は、信仰が重層的なところである。古層から順番に挙げると、まず山の神が、ハワ(あるいはラッワ)と現地で呼ばれるシャーマンに憑依して、村人の多産と大地の豊作を祈念する儀式を司るという、土俗的、アニミズム的な信仰が最底辺にある。

そのうえに、チベットに仏教が伝来する前から信仰されていたポン教が位置づけられる。7つの集落のうちの一つ、サソマの住民がポン教徒であり、集落の中心にその寺院がある。ポン教については、少し後で詳しく述べることにしよう。

ランジャの村人の多くが信仰している宗教が、8世紀半ばに成立した、チベット仏教のなかで最も古いニンマ派である。11世紀にインドから新しいタイプの密教が導入され、サキャ派、カギュ派などが成立すると、それよりも古い仏教は「ンガギュル・ニンマパ」(旧訳の仏典に拠る古い宗派)と呼ばれるようになった。ランジャでは在家のニンマ派の宗教者が、様々な呪術的な作法で、作物に大被害を与える雹を防ぐなどの役割を果たしていた。

そして信仰の最も新しい層が、14世紀にツォンカパが開いたゲルク派である。この宗派は寺院に属する僧侶によって実践され、他の宗派よりも学識・戒律を重視する。ランジャ出身者で、ゲルク派寺院で修行するものも少なくない。

チベットの宗教に疎い私は、フィールドワークではもっぱら、見た目でそれぞれの宗教の差異を観察するしか方法はない。シンボルカラーでは、ゲルク派が黄色の帽子で際立ち、ニンマ派は臙脂色の僧衣を身にまとう。ポン教の色は黒。ポン教寺院の緞帳は黒地に「卍」が描かれていた。仏教の儀式は常に時計回りに巡って行くのに対して、ポン教では反時計回り、つまり左回りとなっている。仏教とポン教は対立しているように見えて、村人の人生、特に死にまつわる儀式において、密接に結びついていた。

ポン教を奉じるサソマの住民と、ランジャの他の集落の仏教徒との関係は、かつては非常に深かったという。ランジャの村人は各戸が特定のサソマの住民とのあいだに、後こう見人と被後見人に喩えられるような関係を持っていた。

こうした後見人はホンと呼ばれ、サソマの男性は、外から入り婿で来た人を含めて、すべてホンとなる。そして、結婚が決まりそうになったときには、この縁談がめでたいか否かを相談に来る。1958年以前には、第一子が生まれたときには、名前を付けてもらったりもした。この関係はジュホンと呼ばれる。「家のポン教の師」という意味である。

天葬とは布施である

ランジャの村民の葬式のときには、その家と関係があるホンが招かれて経文を読んだ。こうした慣習が途絶えた後でも、ランジャの村人が同仁県城の回族に殺害されたときに、その葬式でサソマの人が経を読むなど、非業の死を遂げたような場合には、ポン教のホンが特別な役割を果たしたという。

サノマの住民から、ホンとランジャの村民との関係について聞いた。

「昔はランジャの村人が信頼するサソマの人を自分のホンとした。これが子々孫々と引き継がれて関係が続く。私にもこうした関係のある家があったが、自分は経を読めないので、他の人に譲った。その前には、父親がホンとしての活動を手広くやっていて、私の兄は父親の関係を引き継ぎ、いまも多くの関係を持っている。」

ランジャでは天葬が一般的で、人々は不要になった自分の身体が鳥に食べられることを願い、そのため鳥の食べ物が少なくなる秋に死去することを願う。火葬は以前、活仏だけが行う方法であった。

水葬は主に村の外で不慮の事故などで亡くなった場合に行い、黄河にその死体を流す。長患いをして亡くなったような場合、遺体を鳥も喜ばないと考えられ、水葬にしたり火葬にしたりする。そうした特別の葬儀のときにはホンが呼ばれ、火葬するときにその場を浄めるときにも参与する。

ランジャで人の一生について聞き取り調査を行うなかで、最も強く印象づけられた言葉がある。

「死体は古着と同じ。」

古着が他の人の手に渡って役立てられるように、死体が鳥のエサとなり、その血肉となってくれれば、それが嬉しいのだというのである。

ガザンジェは、その著作のなかで、チベット族の天葬に対する認識を私たちに伝えてくれる。そのなかでは、天葬とは布施だと語る人が多い。

「天葬とは布施だ。私たちは日常の生活のなかでは、寺や貧しい人にお金や食べ物を布施することはできないけれど、自分が亡くなったら、この身体で鳥などの動物に布施したい。

私たちは生きるため、羊や牛などたくさんの家畜を殺して肉を食べている。それで、自分が死んだら、その身体で布施することはあたりまえのことだ。」

また、学識のある僧侶は以下のように言う。

「天葬は仏教と関連しているが、仏教の経典には記録がない。チベットのもともとの葬式であり、ポン教と関連があると考えられる。歴史文献によれば、ポン教ではたくさんの家畜を殺して、天神に献げる習慣があるので、そこから天葬が派生したと考えられる。

その後、仏教がチベットに伝えられ、仏教の「捨身飼虎」などの影響を受けて、仏教と深く関連するようになったのだ。」

ちなみに、「捨身飼虎」とは、釈迦の前世にまつわる説話『ジャータカ』の一つで、釈迦の前世である王子が、飢えた虎とその仔のために、身を崖の上から投げて虎の命を救ったという物語である。この物語が描かれた法隆寺の玉虫厨子の図像は、読者のみなさんもどこかで目にしたことがあるかもしれない。

(『死体は誰のものか』より抜粋)

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