なぜ中国人観光客にドラッグストアは人気なのか? 川端基夫『消費大陸アジア』より
記事:筑摩書房
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近年、中国人観光客が日本のドラッグストアで買い物をしている姿をよく見かけるようになった。ドラッグストア側も、中国人の店員を雇ってそれに対応している。一時期のような爆買いは減ったものの、それでもカゴ一杯に医薬品を詰め込んだ中国人観光客を見かけることは珍しくない。
この光景は、要するに中国人観光客の目に、日本の家庭薬や日用品が価値あるものとして映っていることを意味する。果たして、そこにはどのような「意味づけ」が存在するのであろうか。
まず、彼らに人気がある商品が何かと見てみると、興味深い事実が浮かびあがる。下に示した医薬品リストは、2014年に中国の大手ポータルサイト「捜狐」(SOHU)が掲載した「日本に行ったら買わねばならない12の神薬」という記事の中で紹介された医薬品である。このリストはSNS上で拡散し、多くの訪日観光客がそれらの医薬品を買うようになったとされる。実際、このリストに掲載されている薬の売れ行きは、2014年秋以降に急増する事態となり、2017年現在も各メーカーの業績を大きく押し上げている。
「日本に行ったら買わねばならない12 の神薬」
商品名/種別・効能
出所:中国のポータルサイト「捜狐(SOHU)」(2014 年10 月17 日掲載)
このリストには目薬、熱さまし用シート、傷薬、肩こりほぐし薬、鎮痛剤など、多くの日本人になじみのある日常薬が並んでいる。人気の理由には、容器の形の使いやすさ(アンメルツ)や薬品形状(液体絆創膏、シート、パッチ)の使いやすさがあるとされる。確かに、これらは日本にしかない便利商品であり、中国人訪日客の人気を呼ぶのは何となくわかる気もする。しかし、本当にそれだけの理由で売れているのであろうか。また、それならば鎮痛剤やビタミン類、あるいは「命の母」といった女性薬はなぜ売れているのであろうか。
このような家庭薬が売れる理由を理解するためには、中国での医療事情を知る必要がある。中国は、社会主義国なので何となく医療制度も整っていると思っている日本人も多かろう。確かに、以前の人民公社や単位(国営工場を中心とする都市部の共同体)においては、専用の医療施設があり無料で診てもらえた。しかし、近年の中国における医療の実態は、多くの日本人が想像するものとは大きく違っている。
中国では、日本のように個人医院の開設が認められていない。近所には簡便な診療所もあるが、まともな診察や治療を受けようとすると総合病院に行く必要がある。
しかし、総合病院は大都市に偏在しており、そもそも地方や農村部では医者にかかる機会に恵まれない。さらに、大都市の病院は総じて大変混雑している。まず、病院に入るのに入場料を支払う必要があるが、入口の順番を待つだけで3、4時間並ぶこともある。病院に入ると、いよいよ医師の診察を受けるのであるが、そこでも順番を待たねばならず、人気のある医師の場合は、コネクションがないと数日前から診察の順番を待つ必要があるともされる(番号札をとって高値で転売する「黄牛党」と呼ばれるダフ屋も居るほどである)。地方に住む人々が大都市の病院で診療を受けようとすると、ホテルに何日も滞在し、順番が巡ってくるのを待たねばならない。
問題は、このような医療へのアクセスの悪さだけではない。社会主義国であるにもかかわらず、中国では医療保険制度の確立が遅れており、農村部と都市部とで保険制度が異なり保障内容に差が生じている(現在は統合が計画中)。とくに農村住民向けの保険制度では保険給付額の上限があり、医療費も一旦は全額を支払う必要があり、後日に保険分が戻るシステムになっているので、とりあえず全額分の治療費がないと受診できない。
また診察料や治療費は決まっておらず、大学を出たての医師は安いが、信頼の高いベテランの医師に診てもらうと高額なものになる。人気のあるベテラン医師の場合は、診察の予約をとったり手術を受けたりする段階で、正式な治療費とは別に医師にお金を支払う必要があるとされる(手術時は1万元程度ともされる)。さらに、病院が出す薬の代金には病院のコミッションが含まれていて非常に高いこともある。この結果、病院で信頼のおける医療を受けることは、庶民にはかなりの負担となっているのである。
政府はこのような病院での混雑や負担の大きさを改善し、同時に医療保険の政府負担分を削減するために、国民に対して病気はできるだけ市販の医薬品で治すことを勧めている。そのため、民間の医薬品店の増加を政策的に支援しており、大手薬局チェーンも続々と出現して店舗網を拡大してきている。それでも、国土の広い中国大陸では家庭薬にも気軽にアクセスできない人々がまだ多くいるのである。また、薬局で買う薬代も決して安くはなく、選択肢も限られる。
要するに、中国では病気になること自体が日本と比べるとはるかに面倒な事態であり、心理的・費用的な負担が非常に大きいのである。したがって、人々はよほどのことがない限り病院には行かず、家庭薬で治そうと考える。その結果、日本と比べると家庭薬への依存度がかなり高くなっている。とはいえ、中国国内で製造販売されている医薬品には不信感を抱く人も多く、たとえば中国製の目薬などを直接目にさすことに不安を覚える人も少なくない。
このような医療環境の中で暮らす中国人消費者からすると、日本のドラッグストアはまさにパラダイスに映るようである。まず、日本の医薬品は品質的に信頼できるので(日本産品へのイメージの良さ)、目薬も傷薬も安心できる。中国の薬と比較して、価格も決して高くはない。たとえ高く感じても、中国で医者にかかる時間とコストを考えるなら、安い買い物といえる。したがって、熱を出しやすい子供(しかも一人っ子)のために、便利な「熱さまシート」を大量に買い込むことは、親としては無理からぬことなのである。
また、多くの中国人にとっては、そもそも病気にならないことが最善の策である。そのためには、傷口からの菌の侵入を防ぐ保護剤「サカムケア」や、中国の汚れた空気から目を守ってくれる目薬や目の洗浄剤は高い価値を持つ。もちろん、日ごろの体調を整えるビタミン剤も効用が大きいし、女性の更年期障害に効くとされる命の母にはまさに神薬の意味が付与される。
このように、同じ医薬品でも、国の医療システムが異なると価値が上昇するのである。リストに載った12の医薬品を、中国人がなぜ「買わねばならない」と意味づけるのか、そこには社会のしくみの違いの影響があることを見逃してはならない。
さて、ここまでの話を踏まえるなら、「ならば日本から中国大陸にドラッグストアが進出すればよいのではないか」と思う人も多かろう。しかし、中国では医薬品に関する規制が非常に厳しく、日本の家庭薬を販売することは現実には難しいのが現状である。実際、いくつかの日系ドラッグストアチェーンがすでに中国大陸に出店しているものの、そこに肝心の日本製の医薬品はおいておらず、日本製の健康食品やサプリメント類、雑貨、化粧品などが主に売られているにとどまる。中国国内で日本製の家庭薬を入手するには、インターネット上の個人転売サイトから高値で買うしかない。
ところで、ドラッグストアに押し寄せるのは中国大陸からの訪日客ばかりではない。台湾からの訪日客も多く来店するが、その要因は日本の家庭薬への絶大な信頼度である。日本びいきで知られる台湾の消費者から見ると、日本の医薬品には「安全でよく効く」という強い意味づけがなされているのである。一方、タイなどの東南アジアからの訪日客の来店も多いが、彼らの目当ては菓子とスキンケア用品(洗顔料・乳液類など)である。彼らからすると、日本のコンビニやスーパーに並ぶチョコレートや袋菓子は、母国のそれと比べると種類も豊富で品質も高く非常に美味しく感じるらしい。スキンケア用品類も安くて品質がよいとされる。したがって、土産に最適だと映るようであるが、それらが一度に大量に安く買える店がドラッグストアなのだ。つまり、「土産用の菓子とスキンケア用品が安く買える店」という意味づけがなされているのである。もちろん、医薬品を買おうにも非漢字圏の観光客にはパッケージの文字が読めないので手が出せないということもあるのだが。
このように、同じドラッグストアを利用する訪日客でも、その出身地域によってドラッグストアに対する意味づけや価値づけが異なっていることを見落としてはならないのである。
(『消費大陸アジア』より抜粋)