百貨店はなぜ展覧会を行うのか 志賀健二郎『百貨店の展覧会』
記事:筑摩書房
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百貨店で開催される展覧会において、百貨店自らが主催者として名を連ねることは西武美術館の登場まではほとんどなかった。そのためか、百貨店の展覧会は、企画は新聞社で百貨店は会場を提供するだけの立場という受身的な図式で理解されることも多いようである。確かに新聞社が文字通り主催者として企画をたて展覧会を形にしていくことは数多かったが、一方で百貨店側からの企画やアイディアで始まって百貨店自らが実務まで取り仕切る場合もあり、また新聞社の主催が名義的な場合もありで、個々の展覧会に対する新聞社の関わり方、百貨店の関わり方は千差万別であった。ただ、いずれにしても展覧会を実施すること自体は百貨店の意志においてなされていて、新聞社主催の場合であっても百貨店の主体性は様々な場面で発揮されていた。では、百貨店はなぜこの利益を生まない事業に主体的に取り組んできたのであろうか。
78年、雑誌『宣伝会議』は〈百貨店復権の販促戦略〉という特集を組み、銀座松屋の小林敦美の〈文化催事の意味と在り方〉、ケーススタディとして新宿小田急の文化催事課長である小林久夫の〈企業イメージ形成に寄与した文化催事〉という一文を掲載している。それぞれ百貨店における文化催事の意義を述べていて、それを簡略に紹介する。
松屋の小林は、文化催事の存在価値、使命として、①イメージ形成、②顧客動員、③社会への利益還元の3つの要素をあげ、この要素をゆるぎないものとさせているのが直接・間接の販売促進性であるとしている。その例として、戦後、百貨店で数多くの美術展が開催されて人々の心の餓えを充たしてきたが、それがあったからこそ、高度経済成長とそれに伴う文化的成長のもとで人々と美術の関係を観客から購買客にかえ、“家庭に美術”の時代を迎えるようになったことをあげ、文化催事は永い眼の販促活動でもあると主張している。
小田急の小林は、文化催事の目的として、①顧客動員、②店格の向上、③新規顧客の開拓、④地域社会への奉仕、⑤国際親善、⑥その他 をあげ、それぞれ目的は単独ではなく、2つ以上が複合されているとし、企画のポイントは①オリジナリティ、②パブリシティ効果、③百貨店らしく(テーマは「明るく楽しい」、内容は「やさしく、わかりやすい」)を重視していると述べている。
両者ともに使命・目的として、“顧客動員”と、表現はそれぞれ異なるが、“店のイメージ向上”、“社会への還元”をあげている。このうち、成果がはっきりと視覚化される“顧客動員”について、松屋の小林は「興行としてはめったにひきあうことのないこの文化的投資が単に一時的な動員策にとどまるならば、文化催70年の歴史を綴ることはなかったであろう」と、小田急の小林は「文化催事は、顧客動員数によってその成否を評価してはならない。質的レベルの高いものが吸引力をもっているとは限らない。むしろ逆の場合の方が多いだろう」と、いずれも集客数のみに拘泥することに釘を刺している。そして松屋の小林は「永い眼の販促活動」、小田急の小林は「継続と繰り返しによる累積効果によって真の目的が達成される」という言い回しで、使命・目標のあとふたつである“イメージの向上”や“社会への還元”は、長い期間にわたる積み重ねがあってこそ成果がもたらされるとしている。
オイルショック後の70年代後半の個人消費の落ち込みの中で、百貨店はスーパーと専門店の挟撃を受けての苦戦というのが大方のとらえ方であった。だからこそこうした“復権”という特集も組まれたのだろうが、この70年代後半は百貨店の展覧会をとりまく状況も変化し、改めてその意義を考えさせられる時期でもあった。大きな変化の最たるものは集客数の減少であった。
50〜60年代の百貨店の展覧会はコンスタントに集客をし店への動員策としては確実なものであったが、70年代になるとそれにも陰りがでてきた。常に集客をしている状態であれば改めて問われることでもないが、成果としては非常にわかりやすい“顧客動員”が目に見えて減少してくれば、直接的に稼ぐわけでもなく逆に多額の費用を投じる事業であるだけに、集客以外の意義を問われるようにもなってきたことは容易に推察できる。それに輪をかけたのが、75年に誕生した西武美術館がもたらした“文化戦略”の圧力である。
池袋西武の営業的な成功には、西武美術館を核とする文化戦略が大きく寄与しているとマスコミや同業他店にも捉えられたことは先に述べた通りである。文化催事はどの百貨店も行っていることで、西武は成功しているという評価を前に改めて自店が文化催事を行うことの意味づけを、直接の担当者は自問もし社内外からも問われるようになる。〈百貨店復権の販促戦略〉にある二人の文章は、長年の現場経験からその答えを導き出そうとしているように思われる。とは言え、ここで披瀝された百貨店の文化催事の意義は、現場はどのような考えで取り組んでいるのかという、いわば現場レベルの答えである。では経営のレベルではどの様に考えていたのであろうか。
百貨店が文化的な催しに取組む理由についてよく紹介されるのが、髙島屋の総支配人であった川勝堅一の談である。関係する部分を整理し、箇条書きで引用する。
と述べ、①お客様に先づ一度店に来て頂くため、②来店なさった方には、来店された丈の価値と利益とを分配するために③そして、再度重ねて来て頂くために……髙島屋では社会的にもためになり、営業の上にも役立つ催物を行うということになるとしている。
最後の①〜③は、現在で言えばまさに企業のブランディングそのものであり、この営利度外視の「特別大催し」が髙島屋の経営理念、および営業戦略の中にしっかりと位置づけられていたことが理解できる。「特別大催し」は、髙島屋への好感度を高めるものであり、また新規のお客様を獲得しそのお客様をリピーター化するものであり、それらが一体のものとしてとらえられていて、髙島屋ファンを拡大していくための施策であった。先々の固定客を見据えているからこそ、今のこの催しは営利を度外視しても構わないことになるのだが、集客だけが目的ではないと言っても、今のお客様とともに新しいお客様にも来店していただくのがお客様の拡大、固定化の前提なのだから、集客を度外視するということでは決してなかった。
川勝のこうした考え方の元をたどっていくと、日本で最初の百貨店である三越の経営責任者であった日比翁助のもとで手腕を発揮した濱田四郎による“年中休みなし店内の博覧会化”と“売る事が目的でなく只顧客に観せる為の展覧会”に行きつく。これもまた、どのように新たなお客様を呼び寄せ、お客様に満足していただき、固定客となっていただくかの知恵であった。戦後の百貨店も、展覧会についてのこうした考え方を継承していた。
商品力とともに集客力をいかに高めて行くかは、百貨店に限らずあらゆる小売業態に共通する、しかも永遠の課題である。地域振興や街づくり、文化発信基地や都市生活者のニーズの多様化に応えるなど企業のブランド価値を高めながらの新規顧客の吸引、顧客の固定化という命題に対し、美術館を置いた店も置かない店も、展覧会にそれを果す役割を託した。戦後の百貨店の展覧会への取組みは川勝の後継者と言ってもまちがいなく、営業戦略としてこれを推進していた。
(『百貨店の展覧会』より抜粋)