人文的テーマとしての「女性スポーツ」 『歴史を変えた50人の女性アスリートたち』
記事:創元社
記事:創元社
第1回の記事に引き続き、今回も他社本の紹介からはじめますが、岩波書店さんから2019年9月に刊行された『女性のいない民主主義』はとても興味深い1冊でした。
著者は、行政学と政治学をご専門にされている東京大学の前田健太郎氏。
テーマは「政治(学)と女性」。
本書では、政治から女性が締め出されている現状を、現実の日本政治だけでなく、そうした現実を捉えるための「政治学の枠組み」自体に問題が含まれていることからも問い直していきます。
曰く、民主主義にとって「代表」概念は重要な要素だが、女性の代表が少なすぎる現状はなぜ民主主義と呼ばれているのか。
また、民主主義の先発国といえばアメリカやフランスがイメージされるが、国政における女性の選挙権を世界で最初に認めたのは1893年のニュージーランドではないか、など。
サントリー学芸賞を受賞されたこともある著者の筆致は切れ味ばつぐんで、知的発見に興奮しつつ、自分自身どこかで暗黙の前提としていた思い込みを顧みる読書体験となりました。
こうしたジェンダー、あるいは多様性の視点が重要であることは、政治の領域だけに限りません。
サッカーにおける人種差別、あるいはラグビーW杯における外国籍の日本代表選手なども近年話題になりましたが、私たちの身近にある「スポーツ」という領域でも多様性や男女格差の問題はとても切実で、まさしく「人文知」が取り上げるべき課題といえます。
今回ご紹介する、レイチェル・イグノトフスキー著『歴史を変えた50人の女性アスリートたち』は、スポーツの世界にはびこる差別や偏見と闘った女性アスリートたちの姿を描いた伝記イラストブックです。
女性が体を使って競い合い、スポーツを楽しむ権利を制限してきた旧弊な価値観を、努力と実力で覆してきた彼女たちの挑戦を知ることは、困難な日々を生きる女性たちをエンパワーメントするだけなく、東京オリンピックを控える私たちすべてにとっても改めて「スポーツのあり方」を考えなす視点を提供してくれるでしょう。
それでは以下、本書の一部をイラストとともにご紹介します。
はじめに取り上げるのは、女性として初めてエベレストの頂上に立った女性・田部井淳子。
女性は結婚して家庭に入るのが当たり前とされていた時代、女性には不可能と言われていたエベレスト登頂を彼女たちのチームが成功させたというニュースは、多くの人々に女性の可能性と多様な生き方の選択肢を示しました。
ポロとは馬に乗って行う団体競技の一種です。
1972年まで全米ポロ協会は女性がプロ選手になるのを禁止していましたが、スー・サリーは男装し、偽名を名乗って、20年にもわたって男性としてポロの試合に出続けたのです。
その後彼女は、女性の試合出場を認めさせる運動をねばり強く続け、ついにはポロを男女のスポーツにすることを実現しました。
映画『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』でもその活躍が描かれたビリー・ジーン・キングは、プロテニス界における女性選手の地位を飛躍的に向上させた選手です。
エリート指向で人種差別、女性差別がはびこっていた当時のテニス界に不満を持ち、初の女子プロテニス大会を立ち上げたり、数々の試合に勝利し、女性の強さを証明しました。
さらに女性の社会進出に否定的だった男子テニスの元チャンピオンと「男女対抗試合」を行い、見事勝利することで、女子テニス協会の設立へとつなげました。
メリッサ・ストックウェルはイラク戦争に米国陸軍中尉として従軍し、沿道の爆弾に巻き込まれたことで片足を失いました。しかし彼女はそこで絶望することなく、軍に入る前はオリンピック選手になりたかったという夢を思い出しました。
軍をやめた彼女は懸命にリハビリを続け、走り、泳ぎ、自転車に乗る技術をみがいて、ついには国際トライアスロン連合世界選手権で3度の優勝を飾りました。
また、初めてトライアスロンがパラリンピックの正式種目となった2016年大会でも銅メダルを獲得し、オリンピックの表彰台に立つ夢を叶えました。
スポーツの歴史の作り手はプレイヤーだけなく、審判や指導者も含まれます。
ヴァイオレット・パーマーはNBA初の女性レフェリーで、NBAプレーオフおよびNBAファイナルという非常に厳密で高度なジャッジが求められる試合の審判も務めました。
試合解説者の中には彼女に批判的な言葉を投げかける人もいましたが、彼女は臆することなくコートに立ち、選手たちと共に走り、的確で公正なジャッジをし、やがて選手からの尊敬を集める存在になっていきました。
ヴァイオレットは一流の人気スポーツで女性が審判を務める道を切り拓いたのです。
本書には、スポーツにおける男女格差問題を知るための分かりやすい統計資料も掲載されています。
ここに挙げたのは、アメリカの男女間の賃金格差のデータですが、たとえば2014年のゴルフでは、男子のPGAツアーの賞金総額が3憶2000万ドルであるのに対し、女子のLPGAツアーの賞金総額はその5分の1以下の6160万ドルとなっています。
こうした賃金格差が、女性が長く安定的にスポーツに従事することの障害となっています。
以上、スポーツの舞台で活躍した女性たちの物語を紹介しました。
ともすれば読書好きにとって異分野とされがちなスポーツの世界ですが、『82年生まれ、キム・ジヨン』(筑摩書房)のスマッシュヒットや『文藝』2019年秋季号特集「韓国・フェミニズム・日本」の創刊以来86年ぶりの3刷のニュースなど、フェミニズムに関する書籍が注目を集めた近年、スポーツ分野で戦う女性たちの物語もまた同様に、単一的な価値観に抗するための重要なチャレンジであると思います。
東京オリンピックでは、選手たちの活躍のみならず、選手たちを取りまく環境や、これまでのスポーツの歴史をつくってきた人々に思いを馳せながら観戦してみてはいかがでしょうか。