「猫町倶楽部」山本多津也さんが語る「カントもマルクスも女性が読む時代」
記事:じんぶん堂企画室
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――「猫町倶楽部」は日本最大規模の読書会といわれています。
読書会を始めて14年になりますが、こんなに大きくなるとは思いませんでした。そもそも、参加者を増やしたいとか会を大きくしたいと思ってやっているわけではありません。要は参加者が楽しんでくれたらいいのです。課題図書は必ず読んでくるといった最低限のルールはありますが、あえてルールを明文化はしないし、会則も作っていません。IT企業の方から「がっちり参加者を囲い込んだらビジネスとして展開できる」と言われたことがありますが、囲い込むのは趣味じゃありません。むしろ、この読書会がきっかけになって新しいことに興味を持った人がいたら、そっちに移って新たな行動を始めるのも大いにありだと思っています。
――読書会では人文書も取り上げています。
うちの読書会は参加者がひとつの課題図書を読んでくるという方法で運営しています。課題図書は私が選んでいます。人文書が増えてきたのは東日本大震災が起きた2011年以降です。それまで課題図書は文学とビジネス書が中心でしたが、震災が起きてからビジネス書の会に人が集まらなくなりました。みんなの思考のベクトルが変わったんです。自分が得をするとか役に立つといった即物的なことよりも、もっと根本的なこと、大切なことを考えたいと思うようになっていました。私もそう思っていたので、人文書を取りあげる機会が増えました。
――人文書というと、難しい、よくわからないというイメージがあります。
本を選ぶとき、頭が汗をかくかどうかを基準に選んでいます。ちょっと難しいな、読んだけどモヤモヤが残るなといった本の読書会の方が面白い。みんなと話をし、「そうか、そういう見方や考え方もあるのか」と気づくことが多いからです。また、意外かもしれませんが、人は自分の言葉にも影響されます。自分が思ったこと、考えたことを言葉にして伝えようとするとき、そこでまた考えを深めたり、新たな発見があったりするのです。そして、難しい本でも、何か一つわかると、そこから山を分け入るようにして、いろいろなことがわかってくることもあります。読書会の終わりに、参加者から「もう一回、読み直してみます」という声はよく聞きます。
――面白さと難しさは表裏一体ですね。
いまの時代は、わからないことがあるとネットで検索して、すぐに「正解」を求める傾向がありますが、読書会ではみんなの意見や感想をまとめたり、正解や結論を出したりはしません。感想はその人だけのもの、いいとか悪いとかではないからです。参加者にも「何を言ってもいいけど、人の発言を否定することだけは言わないように」と言っています。うちの読書会では古典もよくとりあげますが、良い本というのは必ずしも答えが載っている本ではありませんし、そもそも読書に「正解」があるわけではないと思います。良いことが書いている本もあれば、良くないことが書いてある本だってあるわけですし。
――人文書を取り上げるときの会に特有の傾向はありますか?
どうでしょう? うちの読書会は女性の参加者が比較的多いのですが、哲学者カントの「純粋理性批判」を取り上げたときは参加者の8割が女性でした。マルクスの疎外論について話し合ったときの会も、参加者の半分以上が女性でした。全体的に見て、女性の方が好奇心旺盛で「勉強したい」「学びたい」という意欲が強い印象を受けます。なぜなのか? 考えられるのは、今もまだ日本の社会が男性に最適化された社会から脱皮できてないからでしょう。女性はその男社会の中で生きづらさや困難を抱えて生きている。男性よりも疑問を持ったり、考えたりすることが多いのだろうと思います。逆にいうと、男性はまだ社会の上にあぐらをかいてるのかもしれません。
――女性の参加者が多いのは、参加しやすいということでしょうか。読書会ではどんな話をしているのですか?
参加者は、職業、年齢、性別といった属性は問われません。本を読んで思ったこと、考えたことを自由に話します。共通しているのは同じ本を読んだだけという弱い関係です。職場やふだんの人間関係の中で自分の考えや感想を率直に話す機会はそんなにあるわけではないでしょうし、自分の役割を逸脱しないようにすることで抑え込まれていた発想や言葉が、ふだんの人間関係から自由になった場(読書会)では出てくるので、面白いし刺激的だと思います。
また参加条件には課題図書を読んでくることをあげていますが、同時に「きちんと理解して来なくちゃ」とか完璧に読み込もうとか無理に思わないでいいと言っています。読書会では意見を発表するときに知識を見せびらかすように話したりする人の話はウケません。それよりも自分の経験や生活、人生に引き寄せて自然体で話している人の話の方がウケます。本に書いてあることで、自分の体験とつながることはいくらでもある。哲学も思想も、読書会ではふつうの人がふつうの人生やふだんの生活の中で語るからこそ興味深い。専門家や研究者のように話すことだけが立派で面白いわけではありません。
――読書会にはいろいろな可能性がありそうですね。学校教育に導入したら面白そうです。
いいと思います。厚い本でなくても、短編小説の一つでもいいし、やさしい本でもいいのです。いま、日本の社会ではダイバーシティーとか多様性とかいわれていますが、それが実現できているとはまだ言えないと思います。読書会では、お互いの違いを楽しむことをよしとしています。同じ本を読んでも、それぞれ考えることも思ったりすることも違います。読書会は子どもたちに「違うことは面白い」と思える感性を養うことができると思います。そのためにも「この本はこう読むのが正しい」とか「そういう感想は間違っている」などとは言ってはいけないし、そういうことを言ったら途端に面白くなくなります。
読書会にはいろいろな可能性があります。人生100年といわれる時代になりました。固定化された生活や人間関係に閉じこもってしまうのはもったいない。何歳になってもいろいろな本や人と出会うこと、新しいことを知ったり、考えたりすることは有意義なことだと思います。
――話を変えます。「読書離れ」についてはどう思いますか?
読書会を見ている限りでは、そんなふうには思いませんね。猫町倶楽部は、30代から40代が中心ですが、みんな、よく読んでいます。
――読書会に出版社の編集者は来ますか? 「本好き」の感想や反応にダイレクトに接する良いチャンスのように思えます。
さっきもお話ししましたが、参加者に職業などの属性を聞くことはないのでわかりません。ひょっとしたら編集者の方も来ているかもしれませんが、感覚的にはそんなに来ているようには思えません。うちの読書会は業界の人から見ればいわゆる素人の集まりなので、「なんでわざわざ素人の感想を聞かなきゃいけないんだ」と思っているかもしれませんね(笑)。ただ、参加者の感想を聞いていると、読者は著者や編集者が思っているように読んでいるわけでもないことがわかると思います。
会に本の著者を招くこともありますが、著者が思ってもいなかった感想を聞かされ驚かれることもよくあります。編集者の方も自分が編集した本がどのように読まれているのかを直接聞く機会をあまりもっていないと思います。編集者の方からは本が売れないというぼやきが聞こえてきますが、読書会に来たら、「本はこんなに熱心に読まれているんだ」と驚くかもしれません。
――ところで、読書会では大勢のカップルも誕生しているそうですね。「出会いの場」として報道されることもあります。
20~30代の未婚者が参加者に多いので、自然とそうなる面もあると思います。さらに言うと、読書会ではみんながストレートに自分の考えていることや思っていることを話すので、発言者の人間性がよくわかります。しかも、同じ本を読んでいるので、「この人はこういうふうに考える人なんだ」と自分との共通点も違いもわかります。相手を知るという点で「話が早い」ということもあるでしょう(笑)。(文 大嶋辰男、写真 伊ケ崎忍)