井上雅人『ファッションの哲学』 着ている服があなたの「世界のとらえ方」を表明する
記事:ミネルヴァ書房
記事:ミネルヴァ書房
日々、服を着て生きている私たちにとって、「ファッション」という言葉はなじみ深いものです。一方、「哲学」というとやたらと難しそうで、堅苦しく、近寄りがたい印象を受けます。
ところが、実は私たちは服を着る行為によって「哲学」をしているのだという驚くべき事態が、この『ファッションの哲学』のなかで語られているのです。
「要するに、『ファッションの哲学』とは、人間がどのように身体と付き合い、自分を取り巻く世界を把握し、自分自身を形成し、世界と関係しているかについての理解の仕方なのだ」(「はじめに ファッションという哲学」より)
ただ今日着る服を選ぶだけで、「世界を把握し、自分自身を形成し、世界と関係している」とはあまりにも大げさなように聞こえますが、実際にはそんなに大げさなことでもありません。
あなたがZARAで買ったその良質なセーターは、なぜ5000円で買えてしまうのでしょうか。あなたのお気に入りのブランドが、どんな歴史と思想のもとに服作りをしてきたのか、ご存知でしょうか。なぜ、誰もが疑いもなくスーツを着て革靴を履いてフォーマルな場へと向かうのでしょうか。
服は「第二の皮膚」とも言われるように、社会で他者と関わるとき、一番はじめに相手にアプローチする要素です。ある意味、自己紹介の役割をもっともよく担っているのが衣服であり、「私はこのように世界をとらえています」という表明となるのが服装の選択なのです。
本書には私たちが「着る服を選ぶ」ことができるようになった経緯が丁寧に記されています。1793年、革命で王侯貴族が追放され、民主政治が始まったフランスではじめて「階級によって服装を規定しない」と宣言されます。それを機に、私たちの服装は階級や性差の抑圧から解放されて自由になった、はずでした。
ところが、昨今話題となった女性従業員のハイヒール強要やメガネ禁止、それからクールビズ政策を「わざわざ」実施しなければならない社会状況に鑑みると、どうも「服装の自由」が担保されているわけではないように思われます。
「ファッションは、『社会的な地位、階級、所得、ジェンダー、エスニシティ、地域、職業』などの『衣服を枠づけている社会的諸力』、つまり権力体系によって変化する」(P.108より)
著者がジェンダー論やファッション論で活躍しているジョアン・エントウィルスの言から引いているように、私たちが服を着ることには、まだまだ目に見えない大きな制約が科せられているのが現状です。
私たちが本当の意味での「ファッションの自由」を獲得するためには、これから先、各々がファッションを「哲学している」自覚とともにあることが不可欠なのかもしれません。
それでは、ファッションを理解し、自分の意思できちんと選択するためには、具体的には何を知ればいいのでしょうか。
「ファッション」という言葉が実際には何を指しているのか、わかりきっているようで、実のところ、語義は曖昧なままで使われていることが多いのではないでしょうか。その曖昧さに挑み、輪郭を少しでも明らかにしようとするべく、本書の考察対象は多岐にわたっています。
第1章「着ているもので、その人がわかる」では、コミュニケーションツールとしてのファッションを概観し、「服を着るとはどういうことか」に向き合うことから始まります。
第2章「ファッションは身体を解放した」では、スーツやミニスカートを例に、私たちの身体をファッションがどのように規定しているかについて語られます。
第3章「ファッションは美を作る」では、アートやデザインとの関連から、「美」とファッションとの関わり、そして「権力」とファッションの関わりについて考察されています。オートクチュール制度に対するシャネルの闘いに心を揺さぶられる章です。
第4章「欲望と誘惑と搾取のビジネス」では、私たちが着る服を「買う」ことに密接にかかわる、ファッションビジネスの仕組みと問題点について、流行の発生の仕組みを精査しながら追求します。
そして第5章は、ファッションがただの機能としての「衣」を超えて「ファッション」として成立するまでの歴史を辿り、ファッションを「スタイル」へ、スタイルを「アソシエーション」へと到達させる未来図が描かれています。
「ファッションとは、衣服のことではない。それは、ひとつの考え方のことだ。あるいは、私たちの時代特有の、ユニークな世界観と言い換えてもいい。ファッションとは、ものの見方、あるいは、世界の捉え方なのだ。」(「はじめに ファッションという哲学」P.1 より)
本書のステートメントともいうべきこの一節を念頭に置いて『ファッションの哲学』を読み通したとき、あなたとファッションとの関係は、これまでとはがらりと変わっているはずです。
「自分」のあり方が問われる2020年代、どのような「自分」であるかを問い直すための必読書として、まずは本書を手にとってみてください。