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『スゴ母列伝』 「正しい母」でなく自分であり続けたスゴ母の生きざま!

記事:大和書房

『スゴ母列伝 ~いい母は天国に行ける ワルい母はどこへでも行ける~』(大和書房)
『スゴ母列伝 ~いい母は天国に行ける ワルい母はどこへでも行ける~』(大和書房)

岡本太郎の母かの子もスゴ母だった

(c)梶谷牧子
(c)梶谷牧子

 自我を捨てて子どもに尽くす聖母も、子どもの自我を自分の自我と同一視する毒母も、母子一体型という意味ではいずれも日本的な母親像である。翻ってスゴ母は強烈な自我を持つあまり、子どもの自我と真正面からぶつかり合う。岡本太郎は母について、こう語っている。

 母かの子は私にとって、まことに「母性」らしからぬ存在だった。(……)世の常の賢母とか慈母とか、そんな型にはまった母ではなく、まったくユニークな、なまなましい人間そのものとしてあった。いわゆる親子関係をはるかにふみ超えて、強烈な人間同士の、対等なぶつかりあい。あの非母性的なところが、何ともいえぬ嬉しさだ。
(岡本太郎『母の手紙 母かの子・父一平への追想』)

 世間に後ろ指さされても、子どもにこうまで言われたら母も本望だろう。

 ワイルドなスゴ母たちは、母親を監視する世間の目に追い立てられ、「少しでも育児を間違えたら取り返しのつかないことになる」という思い込みにとらわれがちな現代の母親に希望を与えてくれる、実にありがたい存在なのである。
(本書「はじめに」より)

 スゴ母として、まず最初に注目したのは、岡本かの子。幼い岡本太郎を柱にくくりつけて執筆に励んだエピソードは有名。しかし天性の無邪気さゆえに「世間智のようなもの、また意地悪さなどという女っ気や大人びたところはみじんもなかった」母親を、息子は愛した。

キュリーから山村美紗まで面白すぎるスゴ母人生

(c)梶谷牧子
(c)梶谷牧子

 マリー・キュリー
 ノーベル賞を2度取った天才科学者は、義父に育児を助けてもらいながら研究にいそしみ、夫の死、スキャンダルにも悩まされた苦労人ワーキングマザー。「あまりにやさしくあまりに繊細で、あまりに苦しみを感じやすい」母親を必死に支え続けたふたりの娘たちは、それぞれノーベル賞科学者、作家に育った。

(c)梶谷牧子
(c)梶谷牧子

 青山千世
 婦人運動家・山川菊栄の母である青山千世は、東京女子師範学校(現・お茶の水女子大学)開校当時の首席入学生。明治初年代の幻のような男女同権の空気を目いっぱい吸って最先端の学問に目を見開きながら、おてんばな女学生生活を満喫した。明治政府の女子教育の方針が変わってからは、千世も家庭に入って子育てと家計のやりくりに追われたが、その教養と社会への問題意識は、娘の山川菊栄に引き継がれた。

 鳩山春子
 政治家の鳩山由紀夫・邦夫兄弟の曾祖母に当たる元祖・教育ママ。子供のころから女子力よりも勉学一筋に生きたが、「女に学問はいらぬ」という明治の空気の中でたびたび妨害に悩まされる。結婚後は息子たちに、早期教育を施す「良妻賢母」ぶりを喧伝することで、女にも学問が必要であることを世間に訴えかけた。当時、執筆した育児書『我が子の教育』は女学校を出た新中間層の主婦たちの教育熱に火をつけてベストセラーとなった。

 リリアン・ギルブレス
 20世紀初頭に労働環境の合理化を求めたギルブレス夫妻は、「1ダースなら安くなる」という“箱買い”精神で子どもを12人育てた。リリアンは、科学的管理を家庭に適用して、つらい家事を時短化。こうして生まれたのが、現代では当たり前になった「フットペダル付きゴミ箱」や「冷蔵庫のドアの内側の棚」、「壁の電気スイッチ」などである。お母さんになったからって家事が好きになるわけじゃない。

 アストリッド・リンドグレーン
 「遊び死に」しそうなほど自由に遊んだ子供時代の気持ちを生涯忘れなかったリンドグレーン。女らしさ、母らしさの押し付けに抗い、我が子と一緒に遊んで道徳や教訓抜きの楽しい児童文学『長くつ下のピッピ』を書き上げた。

 いずれの母もとてつもない人物で、育児の参考にはまずならないだろう。が、いかんともしがたく自分であり続ける彼女たちの姿は、自分は自分にしかなれないということを私たちに教えてくれる。どこにもいない「正しいお母さん」像を内面化して、自分がかけ離れていることに落ち込んでいる場合じゃない。手持ちの「自分」で、泥臭く楽しくやっていこう。本書を読んで、そんなふうに感じていただければうれしく思う。

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