『ワンピースで世界を変える!』 自分を知り、自分のロックを鳴らそう
記事:創元社
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2017年11月、なぜか私は猛烈に『ヘドウィグ・アンド・ザ・アングリーインチ』に傾倒していた。俳優ジョン・キャメロン・ミッチェルと作曲家スティーヴン・トラスクのコンビが生んだ、オフ・ブロードウェイ発のロック・ミュージカル。性転換手術を受けて“ベルリンの壁”を越え、アメリカに渡った東独生まれの青年が、プラトンの「愛の起源」に描かれるような運命の片割れを求めて彷徨するという筋立てで、主人公のヘドウィグの鮮烈な人物像とキメキメの楽曲、哲学的なテーマが相俟った名作だ。
私が初めて観たのは大幅な翻案が加えられた森山未來主演版(2012年)で、これも非常に良かったのだが、それゆえに満足して当時は本家を見直していなかった。にもかからず、5年も経ったある日突然「ヘドウィグ見たい!」と思い立ったのである。すぐさま映画版のDVDを買い、あまりに良くてCDを買い、毎日夢中で聞きまくり観まくった(その直前の10月にJ・C・ミッチェル本人の来日公演があったことは全く知らなかった、惜しい!)。
『ヘドウィグ』の良さを語り始めたら数万字は費やしてしまうので割愛するが、私はもともと子どもの頃から「壁を越える」とか「境界線の上をいく」ようなテーマにものすごく惹かれるたちだったのだ。
だから、ちょうど同時期に、上司に教えられて「メンズサイズのかわいい洋服を作っているファッションブランド」のインタビュー記事を読み、しかもそのデザイナーが私と同い年で、同じ大阪で活動していると知ったとき、ビビッと運命的なものを感じた。これはおもしろいことになりそうだと、さっそくアポを取って会いに行った。前置きがずいぶん長くなったが、こうして本書の著者・ブローレンヂ智世さんとの出版企画はスタートした。
智世さんと話していて一番気に入ったのは、彼女が「性別の垣根を越えてファッションを楽しめる世の中をつくる」という壮大な目標のために、“服作り”というすこぶる単純で実用的な方法を取っていることだ。それは、彼女がもともと服作りをしたいという純粋な気持ちから活動を始めたためでもあるのだが、SNSなどで議論を巻き起こしていきなり大きな動きを作ろうとするよりも、生活に密着した部分で小さな変化を起こしてその状態を「当たり前」にしていくやり方のほうが、私には好感が持てた。
“ユニセックス”や“ジェンダーレス”ではなく、メンズ服はメンズ服の、レディース服はレディース服の良さを認めた上で、でもそれを着る人の性別は関係ないでしょ、という考え方も好きだった。そもそも男女で骨格や体型が大幅に違うところがネックなのだから、その物理的な問題をデザインで解決しようという、ブローレンヂの方法論は至極シンプルだ(ただし、それがいかに言うは易し産むは難しのことであったかは、本書を読んでほしい)。
「衣食住」というように、服を着ることは人間らしい生活の最も基礎にある行為だ。そこで自由を制限される苦痛はなみならぬものがある。それを変えようとしているブローレンヂの活動を綴って世に出すことは、単に本を出版すること以上の何かを意味すると感じた。まだほとんど無名といってもいい、将来性も未知数のブランドの本を企画するのは大きな賭けだったが、表向きは(?)「専業主婦による起業エッセイ」という形で執筆をお願いした。
ところが、間もなく智世さんから、「実は東大の安田講堂でファッションショーすることになりそうなんです」なんて夢みたいな話をされた。まあ早くて一年後くらいかなと思って時期を尋ねたら、もう半年を切っている。アマチュア演劇の公演でも一年前から会場を抑えるもんだけど……と、内心心配し、その準備のために原稿が全く進まないことにも不安を感じながら日々が過ぎた。
そして迎えた6月3日、東京大学安田講堂。恐る恐る踏み入れた会場のエントランスには、おしゃれなデザインの大きな看板パネルが立っており、ゲストとして分野を横断した錚々たる顔ぶれが名を連ねている。ロビーには大きめサイズのパンプスや、シリコン製の人工ボディパーツ、洋服のセレクトショップなどのブースが並び、講堂内も立派に装飾と照明が施され、即興音楽の生演奏が響くなか、大勢の観客と取材陣がひしめいていた。ちょっと失礼な感想だが、私の想像をはるかに超えて立派な大イベントが実現していたのである。
イベントは学術的なシンポジウムも兼ねており、「ファッションポジウム」と名付けられていた。冒頭の安冨歩教授(東京大学)の基調講演も、9名の登壇者によるクロストークも良かったが、最も心を動かされたのは、何と言ってもブローレンヂのファッションショーである。
それまでに私が何度か見かけた女性装の人は、きれいにメイクをしかわいい服を着ているのに、自信なさげに背をまるめ、前髪で顔を隠し、なるべく人と目を合わさないようにしている印象があった。しかも総勢16名のモデルのうち、半分以上はモデルやタレント活動の経験はない人だ。1000人近くもの観客の前に立つこと自体、おそらく初めてだろう。
しかしどのモデルも、自分でデザインを選び、自分の体型に合った衣装を身につけた今、自信に満ちて力強く舞台に登っていった。ためらうことなく歩を進め、堂々とポーズを取り、ぐっと顔をあげて微笑みながら一身にライトを浴びる。彼女たちの姿は、美醜を超えた、存在そのものの美しさがあった。
『ヘドウィグ』のラストを飾るバラード「Midnight Radio」に、こんな歌詞がある。
息をして
感じて
愛して
自由を与えろ
魂で知れ
あんたの血が心臓から脳みそまで
流れるべき道を知っているように
あんたは完全だと知れ
舞台上のモデルたちはまさに、魂の片割れなどいなくても完全な自分を発見した(と私は解釈している)ヘドウィグのように、自分自身を知り、愛し、肯定するきらきらしたエネルギーに溢れていた。智世さんだけでなく私も、この光景を当たり前のものにしたい、と強く思った。
東大安田講堂での歴史的なファッションショーのあと、私たちは作家の太田明日香さんに編集チームに加わってもらい、インタビューと執筆、構成や文体の検討と書き直しの試行錯誤を繰り返しながら、1年以上かけて原稿を作り上げた。その結果、経験や資金がなくても起業したい人のために役に立つ情報が盛り込まれた“起業エッセイ”でありながらも、自由なファッションや多様な価値観の在り方について考えずにはおれない一冊になったと自負している。
「Midnight Radio」は
社会に馴染めない者たち、敗者たちよ
あんたたちは知ってるでしょう
自分は自分のロックン・ロールを鳴らしてるって
手を掲げろ
という歌詞で締めくくられる。
この本を読んで、他人の価値観に縛られて苦しんでいる人に自分には自分のロックがあると思ってもらえたら、起業を考えている人に困難であっても手を掲げようと思ってもらえたら、これほど嬉しいことはない。
※歌詞は拙(少々、超)訳です。(創元社 編集局 小野紗也香)