島田潤一郎さん×松永良平さん対談(前編) 「生産性」を上げなくても、幸せに生きる方法
記事:晶文社
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松永 島田さんはぼくの8歳年下ですが、お互いに20代は、仕事をしてはいるんだけど自分の理想に応じたことをやっているわけではない、やれないでいるという状況で過ごしていました。
島田 そうですね、うまくいかなかったですね。
松永 ぼくの場合はそれがバブルがちょうどはじけて、でもはじけたっていうことも知らなかったくらいの感じだった(笑)。
島田 ぼくも似たような感じですね。1999年が就職活動の年でしたが、松永さんはその頃は?
松永 ちょうど99年に友人たちと『リズム&ペンシル』という本(ミニコミ)を出しました。そのままライターでやっていけるかと思ったけど、そうでもなさそうで、とりあえず派遣に登録して、くいつなごうという時代ですね。
島田 松永さんの『ぼくの平成パンツ・ソックス・シューズ・ソングブック』(以下、『平成パンツ』)を読んでぐっとくるのは、その派遣のお仕事で椅子工場に勤めていた頃、同僚の人たちのエピソード。ああいうものを読みたいわけですよ。この時代はああだった、こうだった、というよりは、もっと「細かい」ものを読みたいというか。
松永 ぼくはその頃レコード屋で働いていたり、ライターになりたいと思っていたりする。どこか“文化気取り”のような部分があって、派遣で働くような人たちのことをちゃんとイメージしていなかったんですよ。でも触れ合うようになると、彼らが思っていることとか暮らしぶりとかがあって、豊かだなって感じたんです。もちろん金銭的には豊かじゃないけど。ぼくが借金してアメリカに行くって言ったら、「探しているジーンズがあるから買ってきてほしい」って言われたこともあった。
島田 同じ頃だと思いますけど、エレカシが好きだという人の話もありましたね。
松永 ユニットバスの設営の仕事ね。
島田 ああいうものがとてもいい気がします。同じ時代を生きて、地に足がついている人たちの話というか。こういうふうな生活と音楽との接点、本との接点というものが読みたい。ぼくは27までろくなことをしてこなくて。
松永 作家を目指されていたんですよね。文芸誌に投稿もしていたんですか?
島田 はい、『文學界』とか『群像』とかに。自分は才能があるんだろうかないだろうかって結構行き詰まって。強烈に覚えているのが、23歳のときにコンビニの夜勤で働いていて、なぜかその店にAさんがよく来ていたんです。
松永 へえ、音楽評論家の。
島田 ちょうどAさんが執筆されていた『MUSIC MAGAZINE』を読んでいたし、ぼくにとって初めて会う著名な文化人。なんとかしてAさんに自分が書いた文章を読んでもらおうと思って、本の話をして、「小説書いてるんです」って言ったら「読むよ」って言ってくれたから、読んでもらって。
松永 おお。
島田 そこから急によそよそしくなった。
松永 あはは(笑)。
島田 そういうことが、すごくつらいわけです。そういう中で本を読んだり音楽を聴いたりすることだけが人生の楽しみ、救いみたいなものだった。それがどう役に立つのかはわからないんです。今もわからない。でも43歳になって思うのは、20代とか10代のときに聴いていたものがすごい人生を助けてくれる感じがあるんです。
松永 いま考えれば、「ライターになりたい」と言ってもライティングっていう仕事は多種多様だから、90年代だったらもっとテクニカルなライターの仕事とかもあっただろうと思うんだけど、「そうじゃないんじゃないか」と思ってやってたところもあって、それはなんだったんだろうって、今でも考えたりしますけど。だけどなにか書きたいことはあって。
島田 書きたくて、かつ形にしたい。
松永 そうですね。それと、それを書いてお金を得るっていうことがまだ連結していない時代だったんだな、とは思いますけど。連結もしていないし、同じ線路だと思っていなかった。
島田 連結しなくてもいい気もするんですけどね、未だに。連結しようとするとうまくいかないことが多い。
松永 でも島田さんの『古くてあたらしい仕事』のなかに書いてある言葉ですけど、「美しい本を作りたい」っていう気持ちがあるとして、ぼくも読みながら自分にこれを置き換えるとどういうことかなと考えたんですよ。ぼくも編集者として本を作ることがあって、かっこいい、キャッチーな本を作りたいと思うけど、結局それよりも、その「過程」が好きなんじゃないかと思って。美しいもの、楽しいものを作る過程に対して対価を払いたいっていう気持ちがある。今に限った話じゃないですけど、作品という「結果」を対象に評しているような文章がぼくはあんまり好きじゃない。それに対して自分はその渦中、過程を書きたいんだなっていうことは、あるときから思うようになりましたね。
島田 おっしゃることはよくわかります。まさにこの『平成パンツ』が過程を、渦中を書いているという本ですよね。
松永 夏葉社の本を手にとると、やっぱりそこにも過程への愛っていうのはあると思いますよ。
島田 ぼくの本と松永さんの本で共通するところは、自分の仕事が出来上がるまでを書いているということと、人が、生き物が亡くなるっていうことがありますね。
松永 そうですね。
島田 喪失を書いておきたいっていう気持ちもあるんですか?
松永 もともとはもっと気軽に考えて始めたんです。備忘録みたいな気持ちでスタートしたから、自分自身もそういういろんなエピソードに書きながら巻き込まれていったっていうのはありましたね。この年に従姉が死んじゃったんだ、書かなきゃいけないなとか。
島田 あと細かい話ですけど、歌舞伎町の火災の話も強烈に印象に残っています。
松永 2001(平成13)年に火災のあった歌舞伎町の雑居ビルに入っている麻雀ゲームの店に通っていたという話ね。ああいうのは書き残しておかないと、誰も書く必要がないことだから。
島田 でも、本を作るってそういうことなのかなって。こういうことって大きな売上にはつながらない。でもそれを要約して書いてしまうのでは意味がない。「こういうことがありましたよ」って140字でも書けるけど、そうじゃない。解像度を下げずに書きたい、残したいというか、そういうことに最近は仕事の意味みたいなものを感じるようになっています。ぜんぜんお金儲けにはならないんだけど。
松永 死んだあとも残る……400年前のシェイクスピアを今も読んでる人がいるわけですよね。自分の本がそうなるなんておこがましいことも思わないんですけど、身近なことで、弟の子どもがまだ小さいんです。下の娘がまだ2歳で、ぼくの本を持った写真を彼が送ってきてくれて。そのときにちょっと実感しました。
島田 ああ、大きくなったら……。
松永 そう、大きくなったとき、もしかしたら彼女が20歳とか30歳くらいになったときにぼくらはいないかもしれない。だけどこの本があれば、自分の伯父さん、もしくは自分の父親がこうだったっていうのを知ることができるから、それはよかったなって。
島田 そうですね。本はそういうものですね。
松永 いろんな人と話していると、読んでここがおもしろかったとか言ってくれることもあるけど、「この年、私はこうでした」という話をしてくれる人が多くて。
島田 そういう本だと思います。ぼくもそういうふうに読んでいました。
松永 自分が個人的に書いたことがそういうトリガーになるとは思ったことがなかったから、ちょっとびっくりしました。
島田 そういう意味でディテールが効いている本です。この本によって「平成はこういう時代でした」ということはわからないんだけど(笑)、個人的にはそういうものを読みたいとは思わないし、松永さんがどういうふうに音楽を聴いてきたのかっていうことを知ることもできます。そうすると単純に買いたいCDも増えるし、そういうことが悦びです。友達とかを見ていると、みんなあるときモノを買わなくなる。「ああもうこの人たち買わないんだ」って思うけど、自分は今もまだほしいものがたくさんあるんですよ。そのときはまだ大丈夫な気がする。
松永 そうですね、ぼくもそう思いますよ。
島田 ぼくはある時期からそんなに熱心にCDを買わなくなったんです。最初に入った会社がブラック企業で、一日12時間ぐらい働かされる。そうすると気力がなくなるんですよ。買ってきたCDのビニールを剥がす気力すらなくなる。今、やっと少し時間ができて、2000年ぐらいの音楽からちょこちょこ聴くようになりました。松永さんは上京してから30年、ずっと音楽を聴いてこられたんですか。
松永 うん、結果としてそうでしたね。聴いている音楽とか聴き方とかは生活の状況に応じて変わるんですけど、本が出てみて、「よく考えたら嫌いになったことなかったな」って思ったから。
島田 嫌いになるどころかどんどん現場に近づいていきますね。今のほうが昔より音楽がおもしろい感じなんですか? それともずっと面白い?
松永 ぼくの場合は「昔」も「今」っていう時代の中で動いてるって考えているから……。
島田 昔も今の中で?
松永 「今」もあっという間に「昔」になる。今は物事のスピードが速くてアーティストとかも覚えられない、とか言う人いるけど、それは今しか考えていないからで、2年後、3年後考えたら、また思い出したりしているかもしれない。そのために覚えておくだけじゃなくて「即決をしない」んです。保留にしておけば、あとでまた好きになる余地が残せる。「これはきらいだ」って思わなくていいんじゃない、って。
島田 それは音楽について?
松永 音楽も、本も、映画も。
島田 人も?
松永 人も。もっといえば日常の判断とかもですよ。うちの奥さんがぼくの記事をスクラップしてポートフォリオみたいにしてくれるんだけど、「この雑誌は切り刻まないほうがよかったんじゃないの?」というものまで切り取っていることがある。だけど、これも一時のこだわりで、また古本で見つけるかもしれないし、3年後くらいに古本で見つかるときは「これはもういっか」って思っているかもしれない。それを、「なんでこの雑誌切っちゃうんだよ」って怒ることよりも、この先また違うふうに思うかもしれないから、とりあえずいいか、って考える。
島田 すごい……。これは、人生のコツのような気がします。価値を保留にする。
松永 何年後か、そのスパンはわからないですけど。
島田 でもたとえば『MUSIC MAGAZINE』の記事で「9点」とか「7点」とかつけなきゃいけないときもあるわけですよね。
松永 あります。映画を観たとき、「Filmarks」っていうアプリを使ってるんですけど、これも星をつけるんですよ。1年経って今年どんな映画見たかな、自分で好きなのをピックアップしてみようって思って改めて見ると、5点中3点台の後半しかつけてなかった映画が「やっぱりこれ印象に残っているかも……」っていうことがあるんです。これはすごく単純なことだし、みんな感じていることでもあるとは思うんですよ。
島田 すごくよくわかります。ぼくはそういうことをうまく言葉にできなくて、どういうふうに考えていたかっていうと、Amazonのレビューで5点満点があるじゃないですか。「5点」の中に個人というものは見えないけど、「3点」ぐらいの中に、その人の趣味嗜好が見えるというか。3点だから平均点っていうんじゃなくて、そういうものが好きで忘れられないところになにかヒントがあるような気がしていたんです。
松永 そう思いますよ。レコード屋で働いているときによく言うんですけど、あらかじめ人気があるレコードは決まっていて、そういうのはお店に出せばすぐ売れる。でも本当にレコード屋にとって価値のあるレコード、価値を育てなきゃいけないレコードは、お店に出して3日、1週間経って売れるとか、あるいは1年ぐらい置いておいて、ある日めぐり合わせで来た人が買うレコード。そういうものが増えないとだめなんです。毎日の売上でヒーヒーやってるから、実際はそれだけじゃいけないんだけど。夏葉社の本にはそれがあると思う。
島田 だからどれだけこらえられるかが勝負で、本の中にも書きましたけど、短期で結果が出るとそれはうれしいんですよ。「2ヶ月で初版がなくなりました」とか。でもそういう仕事のやり方に慣れていると、だんだん自分の手癖が悪くなる感じがします。短期で結果を出すやり方っていうのはあるはずで、そういうものに長けてる人はいるけど、そこに自分の仕事をすり合わせていくと取り返しのつかないことになる気がするんですよ。松永さんがおっしゃるように、しばらく経って売れるようなものが好きなのに……「息子にもうちょっといいもの食わせたい」とか考えてしまうから、つい短期で結果を出す誘惑に負けそうになってしまって。
松永 ほんとそうなんですよ、ネット社会に打ち勝つ方法って、「こらえる」ですよね。それが別に打ち勝てる特効薬なわけじゃないんだけど。
島田 言い方を変えると、それが自分の態度を保留するということなのかもしれない。
(後編につづく)