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島田潤一郎さん×松永良平さん対談(後編) 「好きなことを仕事にできていいですね」とみんないうけれど

記事:晶文社

左から松永良平さん、島田潤一郎さん
左から松永良平さん、島田潤一郎さん

仕事は楽しくはない、でも幸せではある(島田)

松永 島田さんは本にも書いてるけど、ぼくも会社勤めの人に今でも憧れはある。偉いというか素晴らしいなと思う。

島田 本当にすごいなと思います。でもたとえば出版社に勤める編集者に年に14冊作らなければいけないという話を聞くと、本質とは全然違うような気がするし、それでいい本を作るのは難しい……。14本あったら2本はいいものを作ってあと12本は流さないとできないんじゃないかと思う。

松永 それに関連しているかどうかわからないけど、文章書いてたり本を作ってたりしてるとよく「楽しそうですね」って言われる。でも楽しくはないんです。

島田 ぼくもそうです。

松永 みんなニコニコ笑いながら作ってるわけじゃないんです、真剣だし頭は使うし、報われない時間のほうが多いですよね、圧倒的に。

島田 ぼくもあんまり作りたくない。打席に立ちたくない。年に1冊くらいでできたら一番いい。でもそれじゃまわらないから、妥協ということではないけど「これでやろう」と。これは永遠のジレンマです。たとえば松永さんが『ふたりっ子バンザイ』や『小さなユリと』をすごく褒めてくださって。

松永 大好きですよ。

島田 ぼくも大好きなんです。でも、たくさんは売れないんです。だからもう自分の趣味では作らない。自分が100点と思うものとは距離を置いて仕事をしなきゃなって。今まで話したこととは少し違うけど、期待に応えたいんですね。松永さんも「こういうものを書いてもらいたい」「こういう仕事をしてもらいたい」という期待があって、それに応えられているように、ぼくは夏葉社に「こういう仕事をしてほしい」というものがあったらそれに対してなるべく誠実にやりたい。それが仕事で、自分が好きなものは別にあるような気がする。だから楽しいか楽しくないかと言ったら楽しくない。でも幸せか幸せじゃないかと言ったら幸せだと思う。

松永 それはそうですよね。結局好きなことはやっているから、そういう意味では「幸せ」なのかも。暮らしっていうことまでフォーカスして考えれば、自分が「これを好きだな」と思うレベルを上げすぎると、考え方が窮屈もしくは卑屈にならざるを得ない。これも無職時代の経験が効いているかもしれないけど、ぼくはそこのハードルが低いんですよ。「家で四六時中音楽聞いているんですか?」「レコード流しっぱなしですか?」とか聞かれるけど、飯食ってるときはテレビ見てる。今でも知らない音楽を知るきっかけはラジオが一番多いかもしれない。もしくは友達が教えてくれる。

島田 ぼくも友達に教えてもらうことが多いです。

松永 自分で見つけるものなんてたいしたことないというか、「自分で見つけた」ということにバイアスがかかっちゃうから、逆にやべえぞって思っちゃう。しかも商品として世に出てるんだからそれはすでに自分で見つけてねえよ、と。誰かが見つけて出してお店に並べてんだよ、と思うから。ライヴを初めて観て「いいな、好きだな」と思うバンドのことをツイートしたりはするけど。

島田 そういうものをいちはやく紹介することを仕事の意義みたいには感じないんですか?

松永 まったく思わないですね。 

島田 そうなんだろうなと思いました(笑)。でもそれはすごいことですね。

松永 陣地取りじゃないじゃないですか。

島田 そうですね、本当にそう。

「名盤しか出さない」スタイルに疲れてしまった(島田)

島田 若い人で自分の好きなことを仕事にしたいという人がたくさんいると思うけど、そういう人と話をすることはありますか?

松永 たとえば音楽ライターになりたいって若い子は今もいて、みんながんばってるけど、すでにそれだけで食べていけると思ってる人は若い世代にはいないと思う。だとしたら自分の暮らしというか、自分というものと紐付けてやっていったほうが楽だろうし、ぼくはそういう人の本が読みたいですね。情報をジャッジして、急所を突くみたいな鋭い文章もあるんですけど、これからライターにとっての時代がよくなる要素がないから。そういうときに鋭い観点の中で情報をジャッジすると、摂取できる栄養が少なくなっちゃうんじゃないかと思います。もっと雑にいろんなものを食べたほうがいい。

島田 本当にそう思いますね。

松永 改めて夏葉社さんの仕事を見た時に、復刊とかも含めて、島田さんの審美眼によって「これじゃなきゃだめだ」って選ばれたものもあると思うんですけど、いい意味で出会い頭の「今はこれだ」っていうのがすごいあると思うんですよ。

島田 そうそうそう(笑)。マイブームじゃないけど、何かあるんですよね。

松永 だから続けられるし、みんなが好きなんだと思うんですよね。

島田 昔はもっと、「名盤しか出しません」みたいな感じがありましたが、そういうものに早々に疲れてしまって。もっとそういうことに長けた人が世の中にはたくさんいる。自分の中で、自分の暮らしの中でマイブームみたいなものがあって、それと、時代の波長みたいなものも考えますよ。時代と全然違うなと思ったら引っ込めます。松永さんがおっしゃったように過去は変わるから、昔のものの価値観が刻々と変動していて、昔は全然読まれなかったものが新しく見えることはあって、すごく意識するんですよ。そういうものと自分がいいなと思うものがうまく合うことがあれば、それだったらなんとかやっていけるのかな。繰り返しになりますけど、「自分が好きなものを出版する」っていう仕事とは相当、違う気がする。

松永 一人出版社って言われているけど、いろんな誰かの助けを借りていると思います。たぶん島田さんの仕事もぼくの仕事も「誰かが助けてくれる」ということは共通している。一人で状況を打開しているように見えるかもしれないけど、全然そんなことないですよね。

島田 一人でできることなんか何もないですよ。

松永 それはみんな考えてもいいかもしれないことだと思うけど。

島田 若いときは自分一人で何かできるような気がしてたんですよね。でも今は全くそう思わない。

松永 おれも本当そうですよ。手書きでZINEとか作ってた頃は、自分以外の要素が入ったらダメだと思ってたくらいだけど(笑)今はそんなことなくて、借りられるものがあったら借りたい。逆におれの力を貸してくれって言われたら貸したいし。

島田 そうですね、年をとってから、若い人の力になりたいってすごく思う。本当に上の人たちに育てられてきたし、上の人たちが作ってきたものに励まされてきたっていうのは、本もそうだし音楽もそう。それを若い人に渡したい。

松永 原稿を書くときに、「自分だけが知っている」「自分だけが突き止めた」っていうものよりは、みんながモヤモヤと考えているところに入っていって、このモヤモヤの元はなんなんだ、って一緒に考えるほうが、ぼくは好き。……ということに尽きるんじゃないでしょうか。

島田 みんなで考えるということ?

松永 というより、誰も、ぼくの書いたものを読んでぼくの意見に従う必要はない。ぼくがこの音楽はいいと言ったって、その人は違うと思うかもしれないし、さっきの理論でいえば10年後にはやっぱりよかったと思うかもしれないし。ぼくとその人と作品との間にあるモヤッとしたものを一緒に考えることが尊いというか、大事な気がするんですね。

島田 よくわかります。

松永 「こういうことが書きたかったんですか」と聞かれることもあるけど、それはわからないんですよ、自分では。この『平成パンツ』なんて自分のことを書いてるから余計わからない。読んでくれる人がそう思ったことをぼくは信じるし、「じゃあ、お互いの間に浮かんでるこのへんの話をしましょう」、って考えることが多いですね。

島田 ぼくもそうです。自社の本であり、自著であれ、だいたい出したときは自信がないので、褒めてくれたら「ああそうなのかな」くらい。やっぱり手を離れたらぼくのものじゃない、読者のものなんですよね。

(構成・撮影:林さやか)

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