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荒井弘和編『アスリートのメンタルは強いのか?』 スポーツ心理学から学ぶメンタルケアのあり方

記事:晶文社

『アスリートのメンタルは強いのか?──スポーツ心理学の最先端から考える』(晶文社)
『アスリートのメンタルは強いのか?──スポーツ心理学の最先端から考える』(晶文社)

 アスリートのメンタルは強いのか?

 「アスリートのメンタルは強いのか?」という本書のタイトル、皆さんはどのように考えますか?

 私は、「必ずしも強いとはいえない」と考えています。

 私は、スポーツ心理学という領域で仕事をしています。この領域で活動を始めて、20数年になり、現在では、大学でスポーツ心理学の教育や研究を行ったり、多くのアスリートやコーチのメンタルサポートを行ったりしています。

 そんな私も、駆け出しの頃は、アスリートのメンタル(心理面)は強いに違いないと考えていました。アスリートは多くの苦境に打ち克ち、試合という大舞台を経験するからです。そして、私だけでなく多くの方々も、アスリートのメンタルは強いと考えていると思います。しかし、それは本当なのでしょうか。これから本書では、アスリートのメンタルに様々な角度から切り込み、「アスリートのメンタルは強いのか?」というテーマを、柔らかく揉みほぐしながら考えてゆきたいと思います。

 私は、アスリートやコーチのメンタルサポートを行っていると書きました。一般的にはあまり知られていないメンタルサポートとは、どのような仕事なのでしょうか。メンタルサポートを実践する専門家が有する代表的な資格として、日本スポーツ心理学会が認定する「スポーツメンタルトレーニング指導士」(SMT指導士)があります。SMT指導士の活動内容は、「スポーツ心理学の立場から、スポーツ選手や指導者を対象に、競技力向上のための心理的スキルを中心にした指導や相談を行う。狭い意味でのメンタルトレーニングの指導助言に限定しない。ただし、精神障害に対する治療行為は含めない。」とされています。SMT指導士がサポートを行う対象者は、ほとんどの場合アスリートですが、コーチをはじめとしたアスリートの関係者(後述しますが、アスリート・アントラージュと呼びます)のサポートを行うこともあります。2020年4月現在、およそ200名弱のSMT指導士が、日本各地で、トップからすそ野までのアスリートやコーチのメンタルサポートを行っています。

ポジティブシンキングは絶対か?

 アスリートのメンタルについて考える手始めに、メンタルサポートにおいて、アスリートからよく質問される「心構え」について考えてみましょう。

 スポーツの現場では、コーチによって、ポジティブシンキング(積極的思考法)が推奨されることがあります。ポジティブシンキングを一言でいえば、前向きな思考ということになるでしょうか。たしかに、ポジティブシンキングがフィットするアスリートも多いと思います。しかし、「誰もがポジティブシンキングでなければならない」「とにかくポジティブに考えさえすればよい」「絶対にネガティブに考えてはいけない」というのは誤りといわれています。とくに、わが国のアスリートを対象とした研究では(有冨・外山、2017)、あらゆるアスリートにおいてポジティブシンキングが万能ということはないと示されています。不安な気持ちになっているのに、それを押し殺そうとして、無理矢理ポジティブになろうとすることは、機能的とはいえません。

 それでは、ポジティブシンキングではない思考法には、どのようなものがあるのでしょうか。その代表例として、最悪の結果を予想して課題に対して不安な気持ちになるものの、その不安をモチベーションに変えて目標達成につなげるという「防衛的悲観主義」(Norem & Cantor,1986)という思考法があります。外山(2019)の解説を参照すると、「あんなことが起きるかもしれない、こんなことも起きるかもしれない」と、予想される最悪の事態を鮮明に想い浮かべることによって、対策を練り、用意周到に準備することで、「何が起きても大丈夫」と思え、積極的な態度で本番を迎えることができるのです。ポジティブシンキングと対比させて表現するならば、物事を悪い方に考えることで成功する思考法、もしくは、ネガティブシンキングの価値を活かす方法といえます。ノレム(2002)の言葉を援用すれば、防衛的悲観主義のアスリートは、「ネガティブでありながらうまくやっている」というよりも、「ネガティブだからこそうまくやっている」のです。もちろん、「失敗が怖いからやらないでおこう」と挑戦を恐れたり(回避タイプ)、「全力でやって失敗するのが怖いから、全力でやらずに手を抜こう」と自己防衛したり(言い訳タイプ)といった対処をすることは勧められません(ノレム、2002)。

 防衛的悲観主義のほかには、PTG(Post Traumatic Growth: 心的外傷後成長)という考え方もあります。PTGとは、大変つらい出来事や危機的な状況に直面した人が、様々なストレスを経験しつつ、それと向き合い、心のもがきを経験し、人間として成長する現象です(Tedeschi et al., 2017; 訳は宅、2019)。PTGのきっかけとなるのは、自分がこれまで信じてきた価値観や信念を大きく揺さぶり、打ち砕くような出来事といわれます(宅、2016)。敗戦、ケガ、メンバー落ちなどのネガティブ体験がきっかけとなり、大きく飛躍したアスリートを私たちは知っています。宅(2019)の言葉を借りれば、ネガティブ体験をあとで振り返ったとき、「あれをきっかけに自分は成長した」という変化が自覚されることがあるのです。逆境に直面しているアスリートにとって、PTGという考え方は大きな支えになることでしょう。

 防衛的悲観主義やPTGは、アスリートのメンタルの強さとは何なのか、私たちに教えてくれます。強さ=強気やポジティブではないのです。本当の意味での強さとは、鋼のような強さではなく、何があっても決してあきらめない、しなやかで柔軟な強さなのだと、トップのアスリートたちが教えてくれているように感じています。アスリートの中には、メンタルサポートを積極的に活用する人たちがいる一方で、メンタルサポートを活用しようと考えながら二の足を踏む人たちがいます。私はあるアスリートから「メンタルサポートを受けると、自分のメンタルが弱いことを認めたことになるような気がして、受けるのを躊躇した」という話を聞いたことがあります。メンタルが強い・弱いだなんて、単純化して語れるものではありません。もちろん、サポートを受けるのはメンタルが弱い人ということもありません。実際、私がメンタルサポートを行う中で、よりトップのアスリートの方が、メンタルサポートを積極的に活用しているように感じています。弱さも含めて、等身大の自分を認められる人が、本当に強い人なのではないでしょうか。

[引用文献]
有冨公教・外山美樹(2017) スポーツ競技自動思考尺度の作成および妥当性の検討―競技中に生じる思考の個人差の理解に向けて、スポーツ心理学研究、44, 105-116
外山美樹(2019) 悲観主義の機能―物事を悲観的にとらえることによって成功している防衛的悲観主義者、体育の科学、69, 561-564
ノレム・J・K(2002) ネガティブだからうまくいく、末宗みどり(訳)、西村浩(監修)、ダイヤモンド社
Tedeschi, R.G., Cann, A., Taku, K., Senol-Durak, E., & Calhoun, L.G. (2017) The Posttraumatic Growth Inventory: A revision integrating existential and spiritual change. Journal of Traumatic Stress, 30, 11-18.
宅香菜子(2019) ネガティブな体験が導く心の成長―アスリートになぜ逆境がふりかかるのか、体育の科学、69, 585-589.

(荒井弘和編『アスリートのメンタルは強いのか?──スポーツ心理学の最先端から考える』より抜粋)

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