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『街場の日韓論』 不安の時代にヘイトが増殖する理由

記事:晶文社

『街場の日韓論』(晶文社)
『街場の日韓論』(晶文社)

内面化された己の差別感情と向き合う

 日韓関係について論じようとするとき、わたしの頭にまず思い浮かぶのは、1932年生まれの詩人岩田宏が、植民地時代の個人的な記憶をもとに書いた「住所とギョウザ」という詩作品です。

(中略)

「住所とギョウザ」

大森区馬込町東四ノ三〇
大森区馬込町東四ノ三〇
二度でも三度でも
腕章はめたおとなに答えた
迷子のおれ
ちっちゃなつぶ
夕日が消える少し前に
坂の下からななめに
リイ君がのぼってきた
おれは上から降りていった
ほそい目で
はずかしそうに笑うから
おれはリイ君が好きだった
リイ君おれが好きだったか
夕日が消えたたそがれのなかで
おれたちは風や帆前船や
雪のふらない南洋のはなしした
そしたらみんなが走ってきて
綿あめのように集まって
飛行機みたいにみんなが叫んだ くさい
くさい 朝鮮 くさい
おれすぐリイ君から離れて
口ぱくぱくさせて叫ぶふりした くさい
くさい 朝鮮 くさい
今それを思い出すたびに
おれは一皿五十円の
よなかのギョウザ屋に駆けこんで
なるたけいっぱいニンニク詰めてもらって
たべちまうんだ
二皿でも三皿でも
二皿でも三皿でも!
(「岩田宏詩集」から)

 この作品は、岩田宏が自身の少年時代のエピソードをもとに書いたものです。岩田宏は1932年生まれですので、6〜7歳ぐらいの頃のエピソードだとすれば、1930年代の後半、つまりは日中戦争がすでに始まっており、朝鮮は日本の植民地であった時代ということになります。1910年の大日本帝国による韓国併合から終戦までの35年間にわたる朝鮮総督府による植民地支配の間の出来事であり、日本国内では大政翼賛会が発足して全体主義的な無言の圧力が市井の空気にも及んでいるわけですね。

(中略)

 冒頭、道に迷った主人公は、警官に自分の住所を繰り返します。大森区馬込町東四ノ三〇。この住所、実はわたしが育った大田区千鳥町というところからそれほど遠くないところです。

 この辺りに多くの在日朝鮮人が暮らしていたことや朝鮮学校があることは、周辺住民には広く知られていました。わたしが生まれ育った大田区千鳥町には、東京朝鮮第六初級学校がありました。ちなみに大森区は、のちに蒲田区と合併されて、大田区になります。1947年のことです。

 合併後は、同じ大田区になるわけですので、土地の空気感というか、生活感は共有されていたと思います。

 戦後、この詩が書かれたよりもずっと後に、わたしが小学校に入学した時も、何人かの在日朝鮮人が在校していましたし、中学校時代も、交流があった友人の一人に金本くんという人がいました。中学2年生の頃だと思うのですが、金本くんは退校してわたしたちの前から姿を消しました。北朝鮮への帰国事業は1984年まで行われていましたので、わたしが中学生だった60年代半ばに北朝鮮へ渡った可能性もあります。あるいは、近隣の朝鮮学校へ転校したのかもしれませんが、いずれにせよ、ある日、ふと金本くんの消息が不明になり、そのことに、わたしたちもとりわけ驚くこともなく、詮索するということもなかったように思います。父母や教師に聞けばある程度は、その答えがわかったかもしれませんが、なんとなく聞くのがはばかられる空気があったのかもしれません。

デマの裏にある二重の恐怖

 中学校の卒業式のとき、学校の周辺に何台かのパトカーが待機したことがありました。1966年のことですが、当時は卒業式になると、不良学生が先生に対する鬱憤を暴力で解消するとか、日頃より対立していたグループが暴力で決着をつけるといった風潮がまだ残っていたのですね。千鳥町の朝鮮学校の生徒が、わたしが通っていた公立中学校の不良グループを襲撃するという噂が立って、不良グループの方も棍棒やチェーンで武装してこれを迎え撃つそうだという噂が広がったのです。実際には、何も起きなかったのですが、いったい誰がこの噂を流したのでしょうか。実際には、根も葉もない噂だったのですが、こうした噂がさも本当のことであるかのように、広まってしまう空気があったということです。わたしは、不良グループと親交があったので、その時のことを今でも鮮やかに覚えています。

 「空気」とは、日本人と朝鮮人との間に横たわる、見えない敵対関係のことです。もちろん、この敵対関係は現実的なものではなく、先に説明した日韓、日朝の普通の人々の心理機制が作り出した幻想としての敵対関係です。

 後年、関東大震災の時の朝鮮人暴動の噂と、それに続く虐殺事件のことを知った時、噂というのは怖いもので、根も葉もないデマであっても、いったん動き出すと、誰にもそれを制止することはできなくなってしまうものだと思ったのは、中学校時代の記憶があったからかもしれません。

 こうした出来事の背景には、自分たちが過去に行なった集団的な暴行や弾圧に対して、ゴタゴタに紛れて復讐されるかもしれないという恐怖心があったのではないかと思います。わたしには、あらゆる暴力や弾圧は、過去に自分たちが行なった行為への復讐に対する防御的な意味を持っているように思えます。

 しかし、もっと厄介なのは、自分たちの行動に疑いを持ったとしても、集団がヒステリー的な行動をとっているときに、それに異を唱えれば自分が仲間の標的になりかねないという恐怖が伏流していたことです。そうした二重の恐怖から、ちょうど、岩田宏の詩のように、仲間の背後から口をパクパクさせて犯罪的行為に加担してしまうということが日常的に繰り返されたのです。

(『街場の日韓論』平川克美「見えない関係が見え始めたとき」より抜粋)

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