イヌを通して社会や進化を考える――「進化生物学者がイヌと暮らして学んだこと」
記事:世界思想社
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「生まれました」というメイルとともに写真が送られてきた。可愛い、白い子犬(雄)がうずくまっていた。それを見たとたん、私は一目惚れしてしまい、「もう、あかん」と夫にメイルした。すると、夫も「わいもや」という返事。こうしてあっという間に、スタンダード・プードルを飼うことになってしまったのである。(中略)
毎日のご飯もお散歩も夫がめんどうをみているので、キクマルにとって、夫は完全に「ご主人」である。一方、私はと言えば、ときどきしか富ケ谷のマンションに来ない。私も、ご飯をあげたり、お散歩に連れて行ったりもするのだが、その比重は夫とはずいぶん違う。あのころのキクマルは、まだ1歳前の子どもだったから、遊び盛りだった。どうも、私をただの「友達」だと思っているらしく、よく、両腕を前に放り出してからだを低くし、遊びに誘う動作をする。
ある日、夫がいなくて私とキクマルの2人だったとき、仕事をしている私に対して、キクマルがまた遊びをしかけてきた。私は、これはちょっと困ったものではないか、こんなに遊び仲間だと思われていてよいものか、と考えた。これから長いつきあいが始まるのだから、私は夫と同じく「ご主人」の立場であることを示しておかねばならないのではないか。
そこで思い出したのが、もう何十年も前に読んだ、コンラート・ローレンツの著作である。ローレンツは、動物の行動を研究する学問である動物行動学の元祖の一人であり、1973年に、カール・フォン・フリッシュ、ニコ・ティンバーゲンとともに、ノーベル生理学・医学賞を受賞した。動物行動学という新しい学問分野を設立した貢献での受賞である。(後略)
それにしても、キクはとても健康で元気に暮らした。大きな病気をすることもなく、怪我もなく、小さいときから代々木公園で走り回って、思う存分にからだを鍛えて楽しんだのだと思う。そしてだんだんに弱ってきたのだが、死ぬ1年前、2018年の5月に後ろ足が動かなくなった。お散歩には行きたいのに、後肢が動かない。前肢は動くのだが、後肢がヨロヨロでだめなのだ。初めは、獣医の先生からいただいた弾力のある紐をキクの腰に巻き付け、それを私たちが手で持って歩かせていたのだが、あまりにも重いのでこちらが疲れてしまう。
これはもう限界だと思っていたときに見つけたのが、ワンコ用の車椅子だった。厚木にある「ポチの車イス」という店で、ワンコを連れて行くと、その場で採寸し、2時間ほど待っている間に、その子専用のサイズのものを作ってくれる。待ち時間には、近くにあるワンコOKのカフェで休んでいればよい。そうしてできた車椅子は最高で、キクは、乗ったとたんにシャカシャカと嬉しそうに歩き出した。動かない後肢はベルトで吊って、よく動く前肢で縦横無尽に動くのである。
(第2回「キクマルが来る」 、第8回「犬の寿命についてと、キクの大往生」 から抜粋)
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