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ダニエル・キーツ・シトロン『サイバーハラスメント』  ――いま、被害事実に向き合うとき

記事:明石書店

ダニエル・キーツ・シトロン著、明戸隆浩・唐澤貴洋・原田學植監訳、大川紀男訳 『サイバーハラスメント』(明石書店)
ダニエル・キーツ・シトロン著、明戸隆浩・唐澤貴洋・原田學植監訳、大川紀男訳 『サイバーハラスメント』(明石書店)

事実確認のもつ意味

 本書は法学者ダニエル・キーツ・シトロンによるものだが、法学者の手による本というイメージに反して、多くの事例がきわめてリアルに書き込まれている。後半で展開される法的な議論はもちろん重要だし、そこがこの本の核心であることは言うまでもないが、とはいえ事例中心に読んでいってもこの本の価値は十分に感じられるだろう。

 実際日本の文脈で考えても、今回の木村さんの事件以前にも同様の事件はこの間数限りなく繰り返されてきた。しかし、それぞれの事件についての詳細が広く共有されているわけでは必ずしもなく、とくに今回の木村さんの事件のように最悪の結果に至らない場合、多くの人の記憶に残るのは「ああなんかあの人ネットで叩かれてたよね」くらいのものであったりする。

 しかしその程度の認識では、残念ながら問題について切迫感をもって解決を考える方向にはつながらない。その点本書では、まず具体的な被害者が経験した具体的な被害事実を、繰り返し提起していく。これはあらゆる被害について同様にあてはまるものではあるだろうが、しかし時間的な意味での展開がきわめて速く、また同様の事件が次々に繰り返されるネットにおいて、こうした事実確認が持つ意味は通常以上に大きい。

被害の不平等性をどう考えるか

 そして本書においてもう一つ重要なことは、そこで描かれる事件の被害者の多くが、女性やマイノリティであるということだ。そしてこれはたまたまそうなっているわけではもちろんなく、著者であるシトロン自身の次のような明確な問題意識によるものだ。「一つだけはっきりしていることをいえば、女性の方がサイバーハラスメントを受けるリスクが高いこと、そしてレズビアン、トランスジェンダー、あるいはバイセクシュアル、非白人の女性においてはそうしたリスクがさらに高くなるということである」(本書25ページ)。

 言うまでもないことだが、これはマジョリティであればネット上で誹謗中傷を受けることはないとか、仮に受けたとしても大したダメージはないのだといったことを意味するものではない。実際この本で監訳者として一緒に仕事をした弁護士の唐澤貴洋さんは、10年近くにわたってきわめて悪質なネット上の攻撃にさらされている。また今回の木村さんの件でも精力的にコメントしているお笑いタレントのスマイリーキクチさんは、20年以上にわたって虚偽に基づく大量の攻撃を受けてきた。一般の被害同様、こうしたネット上の人権侵害もまた「誰にでも」起こりうるものであり、その意味で誰にとっても「他人ごと」ではまったくない。

 しかしその前提の上で、そうした被害が量的にも質的にも「不平等」に起こるということ、このこともまた、何度強調しても足りないものだ。実際日本においても、唐澤さんやスマイリーさんといった顕著な例を除けば、日々ネット上で繰り返される誹謗中傷の標的となっているのは、多くの場合女性やマイノリティである。

 本書でも「ネット上で初期設定のアイデンティティは白人男性」(本書171ページ)という表現が登場するが、そうした状況では、女性であること、あるいはマイノリティであることは、それだけでネット上の攻撃の標的になりやすいことを意味する。『テラスハウス』でも複数の出演者がバッシングを受けていたことが明らかになっているが、しかし最終的に追い詰められたのは、女性であり、複数のエスニックなルーツをもつ木村さんだった。こうした「不平等性」をどう考えるか、このこともまた、本書が提起する重要な問いである。

法的な議論を適切に行う必要性

 その上で最後にもう一度確認すれば、本書は「法学」の本である。そこで前提になっているのはきわめて表現の自由の理念が強いアメリカの法体系だが、そうした中でサイバーハラスメントに法的にいかに対処していくのか。ハラスメント法や公民権法などの人権法と通信品位法などのネットに関する法律を横断しつつ、一方で現実の被害に向き合い、もう一方で法的な厳密さを維持しながら、本書の議論は展開されていく。

 折しも、日本では木村さんの事件を受けて、にわかにネット上の誹謗中傷についての「規制」をめぐる議論が注目を集めている。そしてそれに対して、木村さんの事件を利用して政府が自分たちに不都合な言論を統制しようとしているという警戒感もまた、強くなってきた。しかしここでは少なくともこれだけは言っておきたい。

 今回のことを、表現の規制か表現の自由かという、日本でもアメリカでもこれまでずっと繰り返されてきた綱引きの中で消費して終えるのはやめるべきだ。重要なことは具体的な被害という事実にどう向き合うかということであり、それが出発点になるということは揺るがない。そして本書が示すのは、そこから出発した上で、適切に法的な議論を行うことは十分に可能だということだ。木村さんの事件を受けて今必要とされているのは、まさにこのことだと私は思う。

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