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恐慌のあとの経済のゆくえは? ――サマーズ、バーナンキ、クルーグマンの論争

記事:世界思想社

『景気の回復が感じられないのはなぜか』(世界思想社)
『景気の回復が感じられないのはなぜか』(世界思想社)

長期停滞論争

 2013年から2015年にかけて、アメリカでは非常におもしろい経済学上の論争が展開されていた。それがここで紹介する長期停滞論争だ。

 本書は、その論争の様子をたどると共に、そこから得られる知見を整理することで日本経済の現状(と対応)についての示唆を得ようとするものだ。

 この長期停滞論争は、単なるアカデミックな論争や、アメリカローカルな議論にとどまるものではなかった。当時/いまの日本を含め、世界が直面していた(そしていまだにある程度は残っている)問題を正面から考えたもので、政策的な含意も大きい。結果として、この議論は狭い意味での論争当事者(ローレンス・サマーズとベン・バーナンキ)を超えて、きわめて大きな広がりを見せた。

 そしてもう一つおもしろい点として、その議論は専門的な論文にとどまらず、ブログなどで一般の人にも十分に理解できる形で展開された。これはいつもうらやましく思うことだけれど、経済学のトップクラスの学者であり、そして経済政策実務においても要職を占めてきた人びとが、こうしたブログなどの公開の場で、経済情勢や現象についての見方を非常にストレートな形で述べてくれている。それも、まだ理論化されていない漠然とした着想の段階から、それがだんだんまとまった理論になるまでのプロセスまで公開してくれることも多い。ポール・クルーグマンは自分の学者としてのキャリア形成において、ウィリアム・ノードハウスがエネルギー価格についての漠然とした着想をモデル化し、理論として完成させるプロセスを見たことがとても重要だったと述べている。英語の経済学ブログ読者は、まさにそうしたプロセスに触れられるのだ。

 この長期停滞論争でも、そうした議論が深まるプロセスがとても明瞭に出ている。多くの人は(ぼくも含め)すぐに結論を求めたがる。「長期停滞論って、結局どうだったのよ。正しいの、まちがってんの?」という具合。でも重要なのは、そこで人びとが何を重視し、議論の中で何を取捨選択していったかというプロセスのほうだ。本書はそれをざっとなぞることで、まずそのプロセスの片鱗にでも触れてほしいと思う。

 もちろん、結論だって大事だ。この長期停滞論争の結論は、日本経済の現状についても大きな意味を持っている。議論の中でも明示されているとおり、日本こそは文句なしの長期停滞の見本だ。本書では、アメリカは長期停滞かどうかで論争が展開されるけれど、日本については長期停滞の深刻さが疑問視されることはほぼない。だからこの本で、アメリカを念頭に展開される長期停滞への処方箋は、日本についてはなおさら重要なものとなる。アメリカFRB元議長のベン・バーナンキが日本で行った講演は、まさに長期停滞の処方箋の日本への適用をめぐるものなのだ。

長期停滞論とは何か?

 長期停滞論は、まさにその名のとおり、景気の停滞が長いこと続く、という話だ。そして現在のアメリカ(さらには日本を含む世界)がそういう状態に陥っている、というのが問題提起となる。なぜそうなっているんだろうか、そしてそこからの脱出方法は?

 もともとこの議論は、大恐慌後に回復が遅れた1930年代のアメリカ経済についての仮説として言われたものだ。本書では後で当時の議論も検付するけれど、現在の状況はその頃と結構似ている。2008年の世界金融危機にともなう不景気後に、世界経済がなかなか回復しないのだ。

 いまの世界経済は、どこをとってもあまり元気とは言えない状況だ。世界経済を牽引するような堅調な成長を遂げているところはない。2018年の実質経済成長率は、世界全体で3.7%、先進国では2.4%だ。この水準は、世界金融危機/リーマンショック前より少し低めだ。

実質GDP成長率(年次変化、%) 出所:IMF, World Economic Outlook(2020年4月)
実質GDP成長率(年次変化、%) 出所:IMF, World Economic Outlook(2020年4月)

 さてこれはちょっと不思議なことだ。一般に、景気が一時的に落ち込むと、その後の回復はその分だけ急激になる。つまり、トレンドより高い成長率がしばらく続いてほしいところだ。ところが、世界金融危機/リーマンショック以後の回復はそうなっていない。2009年の落ち込みから、2010年にはちょっと高めになったものの、その後さらにジリ貧で低位安定という具合だ。世界金融危機が作ったギャップを埋めるような高めの経済回復はほぼない。

 そして多くの人はこの状態になれすぎてしまったので、以前ならカスのような水準でも、安定成長だの力強い回復だのと喜ばれてしまう志の低さだ。それどころか金融危機のトラウマが強すぎて、以前ならぼちぼち程度の状態――経済成長でも雇用でも株価でも――ですら「バブル再燃がー」とおろおろしはじめる始末。2018年に入って、世界的に経済成長回復が鮮明になりつつあるが、これですら歴史的にはそこそこでしかない。

 なぜだろうか。なぜもっとしっかり回復しないんだろうか。在庫の調整が終わればとか、資産価格が適正になればとか、不良債権が、とか雇用調整が進めばとか、よく言われる景気回復の条件はおおむねクリアされているようなのに?

 この問題に対する答は、大きく2つある。これを循環派と構造派とでも名づけようか。

◆循環派  これは一時的な現象であり、長期的には解消されて景気は戻る(経済は完全雇用になる)

◆構造派  これは経済の構造が変わった(戻った)のであり、いままでの時期とはちがう

 これは、必ずしも右とか左とかに分かれるものじゃない。いまの日本に即して言うと、日本の不景気は循環的な要因によるものだから何もしないほうがいい、金融政策や財政出動はかえって状況を歪めるだけ、という主張をする人も多い。一方で、いまの日本は高齢化で経済成長が下がった、インターネットで経済の仕組みが変わった、いまの低成長は構造的な要因によるものだから、金融財政政策なんかしても無駄、という主張をする人もいる。どちらの議論からも、現状の容認・黙認は導ける。

 一方で、循環派ではケインズが「長期的にはよくなる、ですませるなら経済学なんかいらない、長期的にはわれわれみんな死んでいる」(『お金の改革論/貨幣改革論』)と述べて積極的な対応を求めたのは有名な話。そして経済の構造が変わっているから、それに対応するために財政出動や金融対応をしろ、というような議論もありえる。たとえばピケティは『21世紀の資本』で、人口成長は衰えているしイノベーションは下がっていて、これからは低成長が常態だ、だからこそ所得再分配策をがんばれ、という主張を行った。どちらの議論からも、積極的な政策介入は言える。

 なお長期停滞論は幅の広い議論なので、人によって微妙に定義がちがうこともある。潜在GDPと実際のGDPとのギャップに注目し、それを埋める完全雇用の実現を重視したい人もいれば、それよりはむしろ金利が上がらないことに注目しようという人もいる。もう少しマニアックな世界に入ると、こうしたちがいがもっと意味を持つ場合もあるので、文脈次第で注意は必要だ。でも本書での議論の水準だと、これはそんなに問題にはならない。

長期停滞論争の展開

 2013―2015年の長期停滞論争は、ローレンス・サマーズが口火を切ってから、経済学の全体に大きく広がった。その議論の広がりすべてを紹介し尽くすのはもちろん不可能だ。本書ではその中でも、この課題をめぐる認識についてかなりのまとまったやりとりが行われた、ローレンス・サマーズとベン・バーナンキの論争を中心に紹介する。これにより、長期停滞論争で何が問題になっていたのかと、それに対する反論、そしてこの議論が主に世界先進国の経済状況とその政策にとって持っていた意義が明らかになると考えるからだ。

 少し話を先取りしておこう。さっきの枠組みを使うなら、ローレンス・サマーズは循環派と構造派の折衷じみた枠組みをもとに、景気回復と完全雇用の実現に向けた積極的な政策介入、特に大規模な財政出動を訴えた。これに対し、ベン・バーナンキは、かなり強い循環派的な認識をもとに、あまりに直接的な介入に対しては消極的な姿勢をみせていた。

 以下では、この両者の主張について、それが主に展開された各種の講演やブログ記事をもとにたどる。この議論にともない、特にローレンス・サマーズは各種の実証研究論文も発表しているし、またこの議論にコメントを入れているポール・クルーグマンも、多くの関連コラムや研究を行っているけれど、でも論争そのものを理解するのに、必ずしもそうした本格的な論文を読む必要はない。それは本書に出てくる主要な論点を精緻化し検証するものでしかないからだ(それが重要じゃないというのではないよ!!)。この論争をほぼリアルタイムで読めたのは、この訳者・編者にとってきわめて刺激的な体験だった。読者のみなさんにも、それを多少なりとも追体験してほしい。

 そしてもう1つ、この長期停滞論は、いま初めて登場したものではない。バブルごとに「今度こそはバブルに非ず」と言われたのは有名だが、大小の不景気が起きるたびにやはり、「今度こそ単なる不景気に非ず」という声は起こる。なかでも「長期停滞」という名前がついた代表的なものは、1930年代の大恐慌後のアメリカで提起されていた。本書では、それについてもざっと見よう。それを通じて現代の長期停滞論(サマーズ的に言うなら「新長期停滞論」)の特徴も見やすくなるからだ。

 それでは、これから実際の論争を、その発端からどうぞ。

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