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AIはモーツァルトになれる? 岡田暁生さんが出した答えは

記事:世界思想社

『音楽と出会う――21世紀的つきあい方』(世界思想社)
『音楽と出会う――21世紀的つきあい方』(世界思想社)

自動作曲は人間がしてきたことの延長だ

 「自動化」があたかも無条件に人類の進歩であり、絶対善であるかのように歓迎する無邪気さにはたいがいげんなりするが、しかし自分が時代についていきかねることをただ嘆くだけでは埒があくまい。ここではまず、AIによる「コピペ自動作曲」という発想のルーツにつき、冷静に一つのことを確認しておこう。それはつまり、こうした事態はそもそも昨日今日に始まったものではなく、西洋的な音楽の考え方自体の中にもともと、この種の自動コピーへの強い欲望が隠されていて、21世紀に至りそれがあられもないむき出しの形で露出してきた(だけ)にすぎないということだ。

 「AIによる自動作曲」とは実は、既に人が至るところでやってきたことの延長なのである。だから、単に「昔はよかった/今はよくない」式の話にしてしまうのでは、正当な時代批判にはならない。必要なのは、「ある意味で昔からこうだったのだ」という事実を、まず直視することである。社会学者のマックス・ウェーバーが『音楽社会学』で指摘したよう、西洋音楽の千年の歴史を貫く特質の一つは「合理化」である。そもそも「音楽」というきわめて身体的でアナログな現象を、五線譜という一種の方眼紙に記譜するという発想自体が、既にきわめて機械論的かつデジタル的なのだ。

 たとえば五線譜の真ん中の線の上に全音符が書かれているとする。ト音記号であればこれはシの音を四拍分鳴らす指示だ。本当は「あ~~~……!」とでも記すほかないような吐息だったかもしれないものが、そこでは「ブーーー(1・2・3・4)」と表示される。「小節の頭でオン、四拍のばして、小節の終わりでオフ」に変換されてしまう。このように五線譜に書ける(五線譜で考える)西洋音楽は、そもそもの成り立ちと記譜原理からして、AI式のオン/オフに落とし込みやすいのだ。逆に言えば、五線譜に記すことが難しいアナログ的身体的な音楽は、それと原理的に相性が悪いということにもなる。既述のように、人工知能によって尺八の音楽をシミュレーションすることは、ほとんど不可能だろう。

自動作曲によって失業する人、しない人

 人工知能に作曲らしきことができるのは、別に驚くようなことではない。とりわけパターン抽出と順列組み合わせの可能性の網羅という点で、それは大いに作曲家の時間節約の役に立ってくれるはずである。十二音技法の作曲家シェーンベルクは、次の作品で使用するための音列のメモを前もって作ることがあった。オクターヴの中の十二の音の出てくる順番について、ありとあらゆる可能な順列パターンをあらかじめ列挙しておいて、それを使って曲を作るのである。恐ろしく複雑なことで有名な彼の《管弦楽のための変奏曲》についてシェーンベルクは、音列を片っ端から書き出したカードを手元に置いて作曲したそうだが、「カードをなくしたら作曲できなかった」と言っていたらしい。AIによるシミュレーションは、こうした手間を大いに省いてくれるだろう。

 しかしAIを有効にツールとして使うためには、主体性はあくまで作曲家自身になくてはなるまい。それはつまり、「AIにおまかせ」にはしない、全自動化はしないということだ。単に売れ線のコード進行に売れ線のリズム・パターンをつぎはぎして、次から次へダンス・ミュージックなどを作ってきた職業作曲家たちが、これまではいた(今でもいる)だろう。別に批判しているわけではない。そもそもダンス・ミュージックやBGMの類は、誰もそれに注意して耳を傾けたりはしないから、それはそれで構わないのだ。しかし少なくとも確実に言えるのは、AIによる自動作曲が進化すれば、パターンの寄せ集めだけで曲を作ってきた「主体性がない」人たちは、真っ先に失職するということだ。マニュアル対応しかできないマクドナルド的店員ならAIで代用可能であるのと、これは同じだ。

 マニュアル対応を絶対にしない――まさにこれこそが偉大な音楽家たちの共通点である。大芸術家はパターンから入ってパターンを破る。だからこそ彼らは大芸術家なのだ。パターンのやり繰りでもって、それなりにクオリティのある仕事をしていく人は多い。しかし彼らは「大芸術家」ではない。

 しかるに、漫然とパターン反復をしないからこそモーツァルトは、ベートーヴェンは、マイルス・デイヴィスは、ビートルズは、他を圧する存在であり続けてきた。彼らが一度でも「似たり寄ったり」のことをやったか? 彼らは他人のパターンはおろか、自分自身の過去すらコピーしなかった。常に変わり続けた。そして反復をしない人のシミュレーションをするというのは、それ自体が原理的に矛盾である。「AIは絶対に偉大な芸術家にはなれない」と私が確信する最大の理由は、これである。

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