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エッセンシャルな「共通語」の参考書が、異例のヒット! 『手話通訳者になろう』

記事:白水社

木村晴美・岡典栄著『手話通訳者になろう』(白水社)
木村晴美・岡典栄著『手話通訳者になろう』(白水社)

『手話通訳者になろう』(白水社)P.6-7より 目次
『手話通訳者になろう』(白水社)P.6-7より 目次

手話は世界共通?

 日本で、日本語以外に話されている言語は? と聞かれて、どんなことばが思いうかびますか。手話と答える人は少ないでしょう。

 海外に行かなくても、身近に異なることばと文化をもった人がいます。

 手話についてよく誤解されていることが、「手話は世界共通である」という勘違いです。しかし、手話は、ろう者たちがコミュニケーションをとるなかで自然に生まれた言語です。それゆえ、国や地域、さらに言えばそのコミュニティーによって異なります。日本のろう者が使うのは、日本手話と呼ばれ、たとえばアメリカならアメリカ手話があり、それぞれ独自の文法や表現をもっています。地域差でいえば、日本手話でも、大きく分けて関東と関西で方言差があります。

 どうして、世界共通だという誤解が生まれるのでしょうか。おそらく、聞こえる人たちにとっては音声言語が当然のもので、「手や指を使って、文字や音声を置き換えているのが手話だろう」という思い込みをしてしまうのでしょう。

 この勘違いは仕方のないことだと思います。というのは、聞こえる人たちが手話を学ぼうと思っても、日本手話を学ぶ場がほとんどなかったからです。日本語を声に出しながら、手話単語を日本語の語順で並べる、「日本語対応手話」を学ぶ機会しかなかったのです。あくまでベースは日本語であり、日本手話とはまったく異なります。NHK手話ニュースも、2007年まで声と手話を同時に使ってニュースを伝えていました。日本語があって、それを表わすひらがなや漢字があるように、日本語を手指で表わすのだ、という印象を受けても仕方ないでしょう。このねじれは、木村晴美・岡典栄著『手話通訳者になろう』(白水社)によると、次のように書かれています。

 手話といえば対応手話で、ろう者が使う日本手話は語順もめちゃくちゃで日本語にない単語も出てくる劣った言語だと見なされてきた。『手話通訳者になろう』P.13より

 そもそも、日本語と日本手話はちがう言語です。そして、日本手話を使うろう者は、日本語を使う人たちと異なる文化をもつことも、覚えておきたいです。

『手話通訳者になろう』(白水社)P.114-115より 3章では現役の手話通訳者へのインタビューを収録。日本ではまだ少ない「ろう通訳」も取り上げている。
『手話通訳者になろう』(白水社)P.114-115より 3章では現役の手話通訳者へのインタビューを収録。日本ではまだ少ない「ろう通訳」も取り上げている。

手話通訳はだれのためのもの?

 おそらく、近年で最も多くの人が手話や手話通訳者を意識するきっかけとなったのが、新元号「令和」の発表会見でしょう。この会見では手話通訳者も配置されていました。ところが、テレビ中継で、手話通訳者を映すワイプ画像が、新元号の文字に重なってしまって見えなくなってしまったのです。

 このアクシデントはネット上でも話題になりました。そのなかにただ残念というのとは少し調子の異なるtweetがありました。「30年前の聴覚障害者はなんの情報もなくただただ平成の字を見るしかなかったのにこの30年で国民の一大事にインパクトを残せる位置に手話通訳者がいる。これはすごい進歩ですよ。」という内容。自身も聴覚障害をもつという男性の発信で、リツイート数は2万5千を越える反響を呼びました。

 そう、聞こえない人にとって、手話や字幕による情報保障が必要なのです。では、手話通訳は、聞こえない人のためにあるのでしょうか。そう──ではないのです。『手話通訳者になろう』では、通訳者の役割について次のように記されています。

 手話通訳の場合、基本的には耳が聞こえない人(聴覚に障害がある人)と聞こえる人で手話がわからない人の間をつなぐ。つまり、どちらか一方のために手話通訳者がいるわけではなく、ともに手話通訳者の力を借りなくては、コミュニケーションが成立しない双方のために手話通訳者はいるのだ。聞こえる人が圧倒的大多数だからといって、手話通訳者は聞こえない人のためにいるわけではない。手話を使う人が講師の講演会で、手話がわからない聴衆は、耳が聞こえようと聞こえなかろうと、通訳者に頼らなくては、話の内容がわからない。
『手話通訳者になろう』P.28より

 確かにその通り。けれども、自分が多数派=日本語がわかる聞こえる人であると、つい、この思い込みをしてしまいがちです。さらに自分に問いかけてみると、耳の聞こえない人は障害者で、その人たちのためになにか「してあげないといけない」、自分が耳の聞こえない人から教えてもらうような場面が想定できない、という無意識があるのでは……と、自分の隠れた差別意識を突きつけられた気がして、どきっとさせられるはず。

 聞こえない人も、もちろん企業などで働いていますし、専門知識や技能を社会に役立てている人がいるわけです。そして、だれでも、その人たちのお世話になることはありえます。

 たとえば、『手話通訳者になろう』には、ろうの弁護士とその専属通訳者のインタビューも収録されています。この弁護士さんに聞こえる人が依頼をするとき、手話がわからないのであれば、通訳者の存在は欠かせません。

 また、最近注目されているサービスとしては、「電話リレー通訳」があります。聞こえない人の依頼を受けて、通訳者が聞こえる人に電話をするというサービスです。行政の福祉課による通訳と異なり、仕事の用件でも使えるということで、人気なのだそうです。職場に、お客さんや取引先から、電話リレー通訳での電話がかかってくることもありうるわけです(ちなみに、電話リレーを利用できる公衆電話は、羽田空港などの公共施設に設置されています)。

羽田空港に設置された、電話リレー通訳ができる「手話フォン」
羽田空港に設置された、電話リレー通訳ができる「手話フォン」

認知度は上がったけれども

 2020年に入って、さらに、手話通訳者は認知されるようになりました。緊急事態宣言の発令時の会見では──それまで官邸中継で手話通訳の姿を映していたのはNHKだけでしたが──東京のテレビ局すべてが手話通訳者を映すようになりました。知事の会見のときも、手話通訳者がつくようになりました。あるいは、沖縄県知事のデニー玉城氏が、会見の席に着こうとして手話通訳者の前を通るとき、なめらかな手話で「よろしくお願いします」と挨拶をしたことが、SNSではちょっとした話題にもなりました。

 それでも、聴覚障害者や手話への理解はまだ十分ではないと感じられます。

 たとえば、手話では、目や眉、口元の動きも文法的な役割をもっているわけです。コロナ禍で、マスクで口元が覆われて見えなくなることは致命的なのです。口の動きを見て相手のことばを理解する聴覚障害者にとっても、事情は同じなのです。かといって、周りの視線を考えるとマスクを外すのはためらわれる──という事態を、聞こえる人はどれくらい理解しているでしょうか? 幸いなことに、手作りできる透明マスクの作り方がシェアされていますが。

 聞こえない人は、車いすに乗っているわけでも白杖を持っているわけでもないので、ひと目ではその存在に気づかないかもしれません。でも、異なることばや文化をもつ人は、身近にいるわけです。手話への注目が高まるなか、もっと彼らと助け合ったり、友だちづきあいしたりできるようになるといいですね。

 手話は視覚言語です。手話での語りは、とても情景的で臨場感にあふれている──そんな感想をもつ人は多いです。そのおしゃべりは、きっと楽しいはず。そのために手話を学ぶのもいいし、手話ができる人を介して話すのもいい。

 最後に、ろう者の強烈なジョークを『手話通訳者になろう』から引用して締めくくります。

 肢体不自由の人が亡くなりました。遺族はあの世でも困らないように、車いすをお棺の中に入れました。視覚障害の人が亡くなりました。遺族は白杖をお棺に入れました。聴覚障害の人が亡くなりました。遺族は手話通訳者をお棺に入れました。手話通訳者って必要!
『手話通訳者になろう』P.40より

【木村晴美・岡典栄著『手話通訳者になろう』(白水社)の動画です】

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